第17話 わたしたちの始まり
店に着くともちろん彼が来ているはずもなく、初めてこういうお店にひとりで入ったのでどうしていいのかよくわからない。
「好きなお席に」と言われて一歩も動けないわたしを、店員さんは適当なテーブルに割り振ってくれた。
メニュー表を開く。とりあえず、なにか頼んだ方がいいんじゃないかな。デザートとか、ドリンクとか。
時間的にドリンクだけっていうのはおかしいんじゃないかな。よそのテーブルはみんな、スパゲッティやピザを広げて盛り上がってる。
うちは家族で
横を通り過ぎようとした人が二歩戻って向かいの席にドサッと座った。びっくりして顔を上げると、そこには瑛太くんがいた。
「三十分……」
「美波ちゃんが電話してきた場所からここまでの時間を差し引けば、三十分未満で着くんだよ」
よかった、彼は怒ってないようだ。ただ、本当に急いでくれたらしくてとりあえずドリンクバーから氷をたくさん入れた水を持ってきた。……走らせちゃったんだ。また反省。
「なにか頼んだ?」
「まだ」
「食べ物頼んでもいい?」
「うん」
「美波ちゃんのリクエストは? お腹空いてる? それともデザート?」
「えっと……ティラミス」
流れるようにベルを押して店員を呼ぶと、瑛太くんは難なく注文を済ませてしまった。こういうのは、訓練次第なのかもしれないけどわたしには難しい。
「どうしたの?」
昼間にも会ったばかりなのに、よくよく顔も見たばかりなのに、なんだか眩しい。
その眩しさに自分の卑しさが影を落とす。強欲になってしまう自分がつくづく恥ずかしい。
「あの、わたし、今日、おかしくなかったですか? ほかの女の子とは違ったんじゃないですか?」
彼はまじまじとわたしの顔を見た。その視線を受け止めていることが難しくて、顔を逸らそうかと思うくらい。
そして彼は腕を組んで、うーん、と言った。
……めんどくさい子だと思われてる。仕方ない。わたしだって逆の立場ならそう思うに違いないもの。
「なんでそんなこと気にするの? ふたりきりでいつもと違うところに行ったらさ、しかも美波ちゃんは男と出かけるの初めてだったわけだし、緊張して多少挙動不審だったとしてもおかしいどころかかわいいじゃん」
「か、かわいい?」
「まして初めてのデートの相手でうれしくないわけない。俺の方こそ、強引で嫌な思いさせたんじゃないかと家で反省してた」
「反省……わたしも……」
お待たせしました、とモッツァレラの乗ったピザがテーブルに乗って、回転するピザ用のカッターを使って彼は手馴れた様子でピザを切り分けた。
「少し食べなよ。冷める」
「あ、はい」
大きな口を開けて大きな一切れを器用に、彼は口の中に収めた。一口で。
「反省会しに来たの? それとももう一緒にいるのは懲り懲りだって思っちゃった? そう、『思ってたのと違う』とかさ」
「逆! 瑛太くんがそう思ったんじゃないかって心配になっちゃって。わたし、変だから。普通じゃないから」
ペーパーナプキンを一枚取ると、彼は指先の油を丁寧に拭った。
「どこもおかしくないよ。美波ちゃんがシャイなのは最初からわかってるし。俺はすごく押せ押せで早足になっちゃってるけど、一生懸命歩幅を合わせようとしてくれてて、そんなきみを大事にしたいって会う度に思うけど」
「わたし、無理してなんかないよ」
「そう? じゃあ、俺たちの間になにも問題ないよ。こうやって昼間に会って、夜も会いたいなんてアホみたいなこと考えるのが自分だけじゃなくて良かった。美波ちゃんの顔を今日は何時間も見られてうれしいよ。いつも部活のない日に電車の中とか駅のベンチとかでちょっとしか話せないもんな。ゆっくり、こんなにたっぷり会えてしあわせでしかないでしょ?」
「しあわせ」
お待たせしましたぁ、とティラミスが出てきて瑛太くんが銀色のスプーンを差し出してくれる。ティラミスからはお酒の匂いがした。
「でもね、わたし、秘密にしてたことがあるから。つまり、本当のわたしを知ってほしいんだけど、それでも今まで通りにしてもらえるか自信が」
「……ほかに男がいるの?」
「違う! いないよ! だからモテないって」
「なら問題なし。ほんと、せっかちなんだよ俺。だからさ、俺だけのものでいてくれるって約束してくれたら、それだけでなにもいらないよ」
「……出鼻をくじかないで。本当のわたしを知ってもらえて、それでもすきでいてくれたらもっと素直に」
『素直に』。そう、一息に言ってしまおう。
「少し話を聞いてね。わたしとみんなが違うところがあるってことを聞いてほしいの」
時間を忘れて話した。
お父さんとお母さんのこと。
おばあちゃんと『お寺』のこと。
中学に行っても疎外感ばかり感じていて上手く学校生活が送れなかったこと。心配されて女子高にいくことになったこと――。
その間、彼は相槌を打ちながら話をしっかり聞いてくれて、テーブルの上にはすっかり冷めて電子レンジに入った方が良さそうなピザとドリアが残された。
「いい? これから何度も言うと思うけどよく聞いて。俺は美波がすきだよ」
真剣な言葉に胸を打たれる。鋭い弾丸がわたしを貫くように。息ができなくなる。
「美波がすきだよ。ほかのどの女の子でもない。俺が自分で決めたんだ。美波がすきなんだ。もしほかの子と違うところがあったとしても、そこが魅力なのかもしれないよ。だって俺にはそれくらい美波が特別なんだから。でもさ、おかしいかもしれないけどあの日ラケットが引っかかって良かったと思ってるんだ。じゃないと声をかけるチャンスが見つからなくて……いきなり呼び捨てにしてごめん」
頭を横に振った。それしかできなかった。
喉につかえていたものがころんと出てきたように、代わりに涙が滲んだ。
初めて知った。初めてばかり。わたしは許されたかった。わたしがわたしであることを。こんなわたしが彼をすきだということを。
「大丈夫? ごめん、小説みたいにキレイなハンカチとか持ってなくて」と新しいペーパーを何枚か、彼はあわててくれて、わたしはそれを受け取ってそして笑った。
「ありがとう、長い話を聞いてくれて」
「なんもしてないよ。知らなくても良かったんだ。でも心の重荷になることならなんでも話して。……よかった、別れ話じゃなかったァ」
はあー、とひとつ大袈裟にも思えるくらいのため息を彼は吐いて、頭を抱えた。
「今日は全然スマートじゃなかったし、いつも会ってる時よりすごい緊張しちゃったし、あれでよかったかなってすごい考えちゃって。なんでも聞くよ、だから逃げないで」
それがわたしたちの始まり。高校二年の夏のことだった。
彼氏ができたことはお母さんにはすっかりなぜかバレてて、「遅くなるのはダメよ」とだけ釘を刺された。
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