第16話  恋に走る

 触れそうで触れない手を意識して歩く。やだ、それじゃまるで手を繋いでほしいみたい。男の子と手を繋ぐなんて、それは……。

「やっぱりふたりきりって照れる。なに話していいかわからないな。ごめん、黙っちゃって」

 わたしが手を繋ぐとか繋がないとか考えてた時に、彼はそんなことを思ってたのかと驚く。じっと横顔を見つめてしまう。

「あの、恥ずかしいからさ、そんなに真っ直ぐ見られると」

「ごめんなさい、顔を見たら気持ちがもっとわかるかなって思って」

「そうかもしれない」

 彼はわたしを見つめるんだろうと思った。でも違った。すれ違ってばかりいた手と手が、ギュッと繋がれた。

 つかまれた、と言った方が正しいかもしれない。心ごときつく捕まってしまったから。


「あの」

「この方が早くない? よそ見してると転ぶし。お互いに横を見ながら歩くより気持ちが通じない?」

「……そうかもしれない。でも、あの、恥ずかしいかも……」

 声のトーンが少しずつ小さくなったのはたまたまではなかった。彼が繋ぐ手の力が、やさしくなったから。

「ほら、あちこちで手を繋いでる人がいるよ。誰も俺たちを見てないって」

「そうかもしれない……」

「じゃあ、手に気持ちを集中して? さっき、強く見つめてくれたみたいに。どう? 気持ち、通じないかな?」

 繋がれた右手に意識を集中する。わたしの手は少し汗ばんでいる。彼の手は――大きくてがっしりしている。わたしをきちんと約束の場所に導いてくれるように。


「どう?」

「……男の人とこんなふうに手を繋いだの初めてで混乱しちゃってごめんなさい。うちのお父さんは訳があって小さい頃別々に暮らしてたから、本当に男の人とこういうの初めてで」

 その時、パッと手が離された。

 わたしはあわてて足がもつれそうになった。

「それってすごく大切なことなんじゃないの、美波ちゃんにとって。俺なんかが軽々しく手を繋いじゃったら」

「いいの! ごめんね、変なこと言って。わたしが瑛太くんと手を繋ぎたいの。……繋いでくれますか?」

 瑛太くんは少し静かに前を向いて歩いていたけれど、いきなり立ち止まった。

 そして、手のひらを上にしてわたしにその手を差し出してくれた。

「いいの?」

「すきな女の子と繋がってたいって思うのは普通のことなんだよ、男にとって」

 そんなことを言われるとなんだか逆にどぎまぎしてしまって、出した手が途中で止まってしまう。それを彼はやわらかく包むように捕まえて「捕まえておきたい」と言った。

 初めてのデートで手を繋ぐのが適切なのか、また友人を怒らせるのかわからなかった。でも繋いだ手は頼もしくて、わたしを夢の中に誘ってくれるように思えた。


 食事中は結局、大したことを話せなかった。そのあと、お茶をしても同じ。はぁ。ため息ばかり。

 知りたい、いっぱい。彼のことをいっぱい。でもいざ対面すると、慣れないというか、恥ずかしいというか……。

 だって相手は本当に本物の男の子で、それは女の子とはまるで違うってことで、慣れないのは仕方なく思える。

 瑛太くんにも悪いことしちゃったな。わたし、ほとんどまともに話せなくて。

『共通のテーマ』を会話の中に見つけようと思うんだけど、なにしろわたしはちょっとみんなと変わってる。そこが今になって悔やまれる。……普通じゃない女の子なんて嫌じゃないかな……。

 黙ってていいのかな、このまま。

 でもまだ知り合ったばかりだし。

 ううん、いっそ言ってしまった方が物事は早く進むかもしれない。

 なぁんて、気持ちばかりが揺れる。


 ふと、おばあちゃんのことを思い出す。純粋に。そう、わたしは純粋に彼を好きなんだ。そして彼にも同じように思われたいと思っている。

 ――更に、わたしたちに残された時間はたぶん少ない。

 その少ない時間の中でどれだけ話し合えるのか、わかり合えるのか。瑛太くんの気持ちが欲しい。

 ほら、本音が出た。今までなにかを欲しいなんて、心から願ったことはなかったのに。


「美波?」

「久美のところにペンケース一式置いてきちゃったの。ちょっと行ってきてもいい?」

「それはどうしても無いと困るものなの? もう暗いし」

「大丈夫。それにもう行くって約束しちゃったの。無いと不便だし。こんな時間にごめんなさい」

 急いで靴を履く。

『嘘』。

 嘘をついてまで会いたい人がいるなんて、それはもう確かに恋と呼べるんじゃないかな? こんな時間に、家を飛び出すなんて。


 近所のコンビニに入ってとりあえず息を整えてからスマホを取り出す。最近、よく聴く歌が流れている。好きな人に夢中だと何度も繰り返す。

『もしもし? いきなりどうしたの?』

『あの、今話しても大丈夫ですか?』

『大丈夫だけど、今、外なの?』

『……うん』

『会って話そうか? それとも電話の方が話しやすいかな』

 わたしは狡い人間だということを初めて知った。こんなに欲深い。電話で話せばいいものを、なんならLINEで済むようなことを、ただ顔を見たいから直接会いたいと思うなんて。

『今日ランチ食べたサイゼで待てる? 急げば三十分、かからないかもしれない』

『うん、待てる。来るまで待ってる』

『わかった。暗いから気をつけて』

 終話。


 すぐにまた電話する。

『どうしたの、美波? わたしは構わないけどさ、ひとが変わったみたいとはまさにこのことだ。恋ってすごいね』

『ごめん! 本当にごめん! わたし、瑛太くんにお寺のこと、話そうと思うの。だってわたし、変じゃない? 一緒にいても話が噛み合わないことばっかりで。それってやっぱりわたしが普通じゃないってことが……』

『落ち着けって。わたしは美波を変だと思わないよ。でも、美波にそう言ってもつき合いの長いわたしからの言葉じゃ伝わらないかな? なんもさ、そんなに猪突猛進で恋に走らなくたっていいんじゃないかとも思うんだけどさ、よくわかんないけどそれは美波たちの速さなんだろうから、部外者は黙っておくよ。おばさんから電話来ても適当に誤魔化すけど、危ないから早く帰らなきゃダメだよ』

『うん、ありがとう……』

 この蒸し暑い真夏の夜の中で、久美は汗をかくわたしに与えられたふかふかのタオルのような存在だった。『ありがとう』、リフレインして電話を切った。

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