第13話 正直に、純粋に

 バスと電車を乗り継いで、久しぶりにひとりで『お寺』に行く。お盆に行ったばかりなのに珍しいわね、とお母さんは言って、あなたはおばあちゃん子だもんね、と少し寂しそうに笑った。

 途中で菊の花を中心に、少し盛りすぎたかなってくらいの花束を買って、入り口の石段をひとつ、ふたつ、と子供の時のように数えて上っていく。その度に気持ちが子供の頃に戻っていく。

 おばあちゃん、ただいま。はい、お帰りなさい。そこにはお寺は何にも関係なくて、おばあちゃんはお花を生けていたり、編み物をしていたりした。


「久保田さん……? いますか?」

 パタパタという足音が建物の内側から聞こえてきて、手拭いで手をふきながら久保田さんが姿を現した。大きなツバの麦わら帽子に手差しをして、まるで農家さんのような格好だった。

「あら、美波さん! まあまあ、お待ちしてたんですよ」

 本当に? 久保田さんはおばあちゃんの後継者なんだなぁと実感する。おばあちゃんには特にすごい何かがあるわけではなかった。ただ、他の人の気持ちが、心の動きが本人以上にすっとわかってしまうのだった。

 久保田さんも離れて暮らしているわたしが自然に発した信号を受け取っていたんだろう。


「お忙しい時期にお邪魔してすみません」

「気にしなくていいのよ、美波さんは家族ですもん。それにうちは『お寺』って呼ばれているけどどこかの宗派に属しているわけじゃないんですもん。お寺の管理は手伝ってるけどただの家よ。言うならご近所さんの寄り合い。井戸端会議したり、取れた野菜を分け合ったり。時々みんなで真面目に話すこともあるけれど、それはどこでも変わらないでしょう? こんな時だから。だからこそこんな寄り合いが必要になるのよね。昔からあるものだからこそ、でしょうねぇ」


 よく馴染んだ居間の座卓に通されて、仏壇にお線香を上げる。白檀の上品な香りとともに煙がすっと上がる。久保田さんはお花を生けた花瓶を運んできて、よっと、と言いながら遺影の両脇に花を飾った。

「マツさんも喜んでますよ。美波は、美波は、って美波さんがご自宅に帰った後はよく仰ってましたよ。妬けちゃうくらい」

 コロコロと久保田さんは笑った。

 わたしは何も言えなくなってしまって、いただいた麦茶に口をつける。暑い中、バス停から歩いてきたのでその液体は喉をスーッと溶けるように流れていった。


「あの」

「あらまあ、何も無理して話すことはないんですよ、ここでは。自然に話したくなったら私が何でも聞きますから、勢いがいらなくなったらお話になって」

 はあ、と出鼻を挫かれたような気持ちで膝の上に重ねた両手を見つめる。

 あの日の出来事がふわっと降りてくる。胸が急に苦しくなって、おばあちゃんに会えば、たとえそれが写真であろうと何かが解決するような気がしてたんだけども。


「ふふっ。美波さんもしっかり女子高生なんですね。先生が――マツさんがね、美波さんが夏頃、悩みを抱えてくるから、なぁんて言うから何のことかしらと思ったんだけども。いいですよ、聞いてますからリラックスなさって」

 そう言うと久保田さんの姿が少し猫背になってひとまわり小さくなって見えた。そのまま上を向くとひとつ大きく息を吸って、斜め上を見ながら言葉を口にした。

「美波、自分に正直に、純粋になりなさい」

 あ、と思うとその姿は幻影のように夏の熱い空気の中に揺らめいて消えていった。お線香の煙のように。煙が目に染みて涙目になるほど懐かしい。


「はい、おしまい。どうでしたか? 欲しい答えは出ました?」

「え、久保田さんはどうやって?」

「どうも何も、先生の真似をしただけですよ。いつも仰ってたでしょう? 『正直』に『純粋』に。美波さんは特に近くにいらしたからよくお聞きになったんじゃあないですか? いい言葉です。すべて許される」

 許される。わたしは何を許してもらいに来たんだろう? 何を迷っていたんだろう? 羽化したばかりのセミのような残された短い時間に『恋』をすることを――?

 少ない残り時間にすることを、こんな衝動的に決めてもいいんだろうか。そう思う気持ちがどこか、何かにブレーキをかけていた。


「久保田さん、わたし、わかりました。残りの時間をどう使うかは誰かに委ねることではなく、自分の責任で背負うものだと。迷いはなくなりました。やっぱり来てよかった。本当は」

「そうですよね、ここのことは忘れたかったでしょう。ここは特殊な場所だし、ここにいる限りあなたは特別な人になってしまいますからね。さあ、そんな呪縛からは逃れて、今夜くらいは泊まっていきませんか? おばあちゃんがいないのに、って気になります? わたしがいることと先生がいることはそれほど相違ないんですよ、実はね」


 縁側から懐かしい鬼灯ホウズキの橙色が目を引いて、そうだ、と写メってLINEで送る。蝉時雨だけが降り注ぐように騒がしい。『田舎に来ています』と一言だけ添えた。部活かな、それとも帰宅途中かな、と思う。ふぅ、と小さく息を吐き出してスマホをバッグに戻そうとする。ブルっと手の中で振動する。

『綺麗な写真ありがとう。なんか、清々しい気持ちになった』

 そうか、ここの空気を写真を経由して届けられたんならよかった、とスマホのライトを落とす。と、また短い振動が胸を揺する。


『明日は帰ってくる? 部活がないんだ。どこかに行かない?』

 ――これはデートの誘いだ。

 画面を見て頬が熱くなる。お寺育ちの上に女子高育ちのわたしに免疫はもちろんない。

 なんて答えるのが適当なのか。いや、それよりあんまり待たせるのは失礼なんじゃないか?

「久保田さん、デートってどういうところに行きますか?」

 くすくすと久保田さんはザルの中の夏野菜を仕分けしながら笑った。

「デートですか? そうですね、映画とか遊園地とか? いまの若い人にはボーリングなんて流行らないでしょうし」

 それから……と久保田さんが考えている間にスマホを手に取った。


『映画に行きませんか?』

『いいよ。じゃあ十一時に君の駅に迎えに行くのはどう? それからお昼食べて、映画を観よう』

 やった! これは本当にデートだ! 人生で初めての。

「そうですねえ、若い人たちは他にどんなところに……」

「ありがとうございます。決まりました。どんな服を着ていくのが好ましいんでしょうか?」

「……微笑ましいですね。お友だちに相談なさっては?」

「あ、はい」

 盛り上がりすぎていたテンションが、恥ずかしさに反比例してしゅーんと冷めていった。

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