第11話 知り合うきっかけ
高校二年生になると自分で言うのもなんだけど、女子高生らしさが板に付いてきた。
久美とは縁が結ばれているようで、また同じクラスになった。
わたしはおばあちゃんのお葬式の後、わたしの少し奇妙な生育歴を彼女に話していた。正直、彼女は目を丸くしたけれどわたしは彼女を信じた。
すると久美はおでこを軽くデコピンして「過去がどんなんだって、美波は美波だよ。ちょーっと天然だけどね」と言った。
うれしかった。あんまりうれしくて泣いてしまった。なぜって、今までこの話をしたことがなかったから。受け止めてもらえたから。
してもいいと思える人がいなかった。
最初に話したのが本当に彼女でよかった。
三十分の電車通学の間は文庫を読むことを常としていた。小さい頃からテレビは見慣れていなかったので、YouTubeなどにはあんまり興味が持てなかった。洗濯物を畳むおばあちゃんの脇で、学校であった出来事を話したりして時を過ごしてきた。
人と人との関わり合いも目の前で直接見て育ったので、不特定多数を相手にするSNSにも興味がなかった。
よって、紙の本を読むことにしていた。新しい本もあったけど、おばあちゃんから譲り受けたものもあった。その日は座席に座れずに、垂直に立った銀色のバーに捕まりながら本に夢中になっていた。小川洋子の『密やかな結晶』。いろいろなものが少しずつ失われていく不思議な物語。
と、足元になにかを感じる。スカートの端がめくれる。
ん、と思って身を固くすると次はその倍くらいめくれ上がった。
……やだな。本当に痴漢なんて存在するのかな? どんな人? 会社帰りのおじさんとか?
思い切って毅然とした表情を作って振り向くと、そこには反対側の座席に沿って吊革につかまった男の子三人がいた。三人とも反対の窓側を向いていて、話をするのに夢中だ。
みんなイヤホンをつけてるのに、大いに盛り上がって話をしていた。
あれ?
真後ろの男の子の手元に、ラケット。
ラケットの持ち手はどういうわけかわたしのスカートの端にかかっていた。つまり、これが揺れる度にスカートが。
どうしたものか。彼は悪くない。でもこのままだと居心地が悪い……。
「あの……」
電車はそこそこ混んでいて頭だけ後ろを向いて思い切って話しかけた。
「あの」
おい、と男の子のひとりが真ん中にいる例の男の子に声をかけてくれる。え、ああ、俺?
彼は上ずった声で自分を指さした。
わたしは泣きたい気持ちになったけれど頷いた。
そんな時でも電車はわたしたちを真っ直ぐ運んでいく。ガタガタと列車が揺れる度、ラケットも動く。
「あの……その、わたしのスカートに」
死んでしまいたい。
恥ずかしさのあまりその場に沈んでしまいたくなる。いや、沈めるくらいならラケットを避けられるはずなんだし。
わたしは自分の顔がその時どれくらい 赤いのか、まるで想像できなかった。
彼は最初、言われていることがまったくわからないという顔をした。わたしだってそうなると思う。知らない女の子が自分に『スカート』の話をしてくるとは思わないだろう。
ところが最初にわたしに気がついてくれた男の子が、彼のラケットに気づいてくれた。
「うわぁ、ごめんなさい!」
電車は混雑していた。身動きひとつが難しい。
大丈夫です、と言うわたしの足元からはスカートをめくり上げる以外に上手くラケットをどかすような余裕も余地もなく、どうせ混雑なんだからと「いいです!」と言ってしまった。
もう何がいいのかわからなかったけれど少なくとも涙目だった。
彼は唖然とわたしを見て、たぶんよくわからないくらい高価なものなのに違いないそのラケットを床に落とした。
カタンと音がして、わっ、と思った。こんなに混んだ電車の中では拾い上げることが難しいのに。
わたしも彼もお互いの目を見つめた。
次の停車駅で電車が止まり、彼以外のふたりは電車を降りた。ひとりが彼の肩を叩いて「がんばれよ」と言った。
「どこの駅で降りるの? まだ過ぎてない?」
「あ、次の次です。そうですね、その時に跨いで降ります。あなたは?」
「次の駅でたくさん降りるから心配しなくても大丈夫だよ。自由に動けると思う」
確かにそうだ。すみません、と小さく答える。
こんな時なのに彼との間に妙なシンパシーを感じる。
きっと今までもこの列車で一緒になったことがあるはず。違う形で知り合いたかった。息を吸い込む。唇は半分開いたままになった。
今さら知らないふりをして反対側を向くわけにもいかないと思ったけど、この姿勢のままではあとできっとどこか、変にひねって痛くなるなと思った。
「いつもさ、本、読んでるよね?」
「え? はい。好きなんです」
なんでそんなことを知ってるんだろう? わたしは彼に気が付かずにいたのに、彼はわたしがこの世界にいることに気が付いていた?
「不思議? 目立つよ、他の人と違うから」
「……よく言われます」
それは育ちのせいだろうかと少し落胆した。彼の目から見たわたしがおかしな存在だということが意味もなく悲しかった。
どうしようもないことだけど、消しゴムでは消せない、ある種のオーラのようなものがわたしを取り巻いているんだろう。
「あの、変な意味じゃないからそんなに気にしないで。みんなきっと思ってる。背筋を真っ直ぐに伸ばして、本を見つめている俯き加減の……その……だから、知り合うきっかけがこんなんでちょっと凹んでる。もっと普通に声をかけられたらよかった」
最後の方は畳み掛けるように言葉が続いて、もしも両手が自由なら顔を隠してしまいたかった。
「君の駅まで、送らせて。俺は君と降りてからまた乗り換えるから」
……はい、と答えた。
この人は知らない人だ。知らない人は怖い。わたしを知ったら軽蔑するだろうか? 普通の家庭で普通に育ってないことを気味悪がるだろうか?
――知らない人は、怖い。
電車を降りてしまえばきっとまた『他人』だ。穏やかで密やかな毎日が戻ってくる。だから、たぶん大丈夫。
彼は後ろのわたしを気にしているようだった。
わたしはもう後ろを向けなかった。向かなかった。ただ顔を伏せていた。背中に急にすべての神経が集まってしまったかのような居心地の悪さを感じた。
こんなことならいっそ、真正面に彼と向き合ってしまえばいいのに、そう思った。
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