第二章 思い出の中で (美波)

第9話  絶望の中で(美波)

「大人になれない」って聞いた時、なにを言ってるんだろうと思った。

 それまでずっと、子供は大きくなれば大人になると思ってたけど、本当は子供は子供のまま、大人は大人のままなのかもしれない。

「かわいそうに、この子は大人になれない」

 そんなふうに泣かれても困る。わたしは背が低いから涙を代わりに拭いてあげることはできないんだ。

 まわりの大人たちもわたしを同じような目で見た。

 なんでみんなそんなに悲しそうなの?

 なんでみんなそんなにこらえてるの?

 それは――絶望のせいだ。


 絶望は死に至る病だと言ったのは誰だったっけ。まさにその通りだ。

 世界はもうすぐ終わってしまう。閉じてしまうんじゃなくて砕けてしまう。それはどうもテレビやネットのニュースを見る限りでは確かなことだった。

 その事実がわかった時、わたしはちっぽけな女の子でしかなくて周りの人に何もしてあげられなかった。少なくとも「してあげられなかった」と思うくらい子供だった。


 地球に大きな隕石が落ちてくるとわかったのはわたしが三歳の時のことで、もちろん世界中の人が絶望した。

 絶望しなかった人がいるんだろうか? たとえば天文学者者は希望を今も持っているかもしれない。たとえば戦争好きな国の偉い人たちは今こそ敵国に攻めいる時だと考えたかもしれない。石油資源とか、死の商人とか、利権を巡って。戦争狂の人たちのことだ。


 でも一般市民はみんな、未来を思って絶望したと思うし、だから『おばあちゃん』みたいな人のところにたくさんの人が祈りに来たのだと思う。わたしたち子供は絶望の中で育っていった。


 まずおばあちゃんは絶望に囚われて抜け殻のようになったわたしの両親から、小学校を卒業するまでわたしを預かってくれた。

 わたしの両親にはわたしを育てる精神的な力がなくなってしまった。それまでかわいがって育てられた分、わたしを失うことに耐えられなくなったのだと後におばあちゃんは教えてくれた。


 大好きなおばあちゃんはその頃のわたしから見ても一風変わっていて、いま思うと完全におかしな人だった。

 おばあちゃんは大きく言ってしまうと『教祖様』のような立場の人だった。

 小さなお寺の世話をしていたおばあちゃんは、教義を教えること以上に、周りの人の声を受け止めるのに熱心だった。信者さんではない人も、困ったことがあると相談にやってきた。

 おばあちゃんにはいつもたくさんの人がついて回り、おばあちゃんに声をかけられるとその人たちは笑ったり、泣いたり、頭を下げたりした。

「後生だから頭を上げてくださいよ」とおばあちゃんはよく言った。おばあちゃんとしてはそんなにたくさんの人を助けたつもりもなければ、癒したつもりもなかったから。ただ、誰かの話を聞いて、うなずき、寄り添っただけだと言っていた。


 わたしは『お寺』で育ったお寺の子だ。

 神様や仏様のことはよく知らない。でも心の中のいちばん純粋で正直なところに神様はいるんだよ、とおばあちゃんはわたしに教えてくれた。それはお寺の教義とは少し違うものだったのでわたしに教えるべきことではなかったのかもしれない。でもわたしは、地球を消滅させようとする宇宙の中の真理のひとつを知った。

 それだけでいろんなことを乗り越えてきた。

 辛いことも、悲しいことも。


 わたしが覚悟して本当の家に帰った時には、両親はあんなことがあったとは思えないくらい『普通』の人になっていたので、わたしの方が畏まってしまった。自分を産んでくれた人たちを、心のどこかで『おかしな人たち』だと捉えていたのは間違いだったと反省した。

 お父さんは毎日、朝になるとスーツを着て仕事に行き、お母さんは笑顔で昼間の早い時間だけスーパーのパートで働いていた。

 夕飯の時間にはテーブルに挽肉から作った手作りハンバーグが食卓にあがり、時々、お父さんはその時間に間に合わなかったけれどその代わりにコンビニでアイスを買ってきてくれた。

 たったそれだけのことだけど、わたしの父母は善良な人たちなんだとわたしは思った。おばあちゃんの言う通り、純粋で正直でいることこそ大切であると思ったし、両親も平凡で純粋であることを美徳としているように感じられた。


 でも考えてみて。

 地球がなくなることがわかってるなら、相手がいなくなることがわかってるなら、いさかいを起こしても意味が無いじゃない? 静かに、ただ静かにその時まで毎日を平和に送りたいと願うんだ。


 ただし転校した中学はそうではなかった。

 わたしは訳のわからないところからやって来た『お寺』の子だったし、わたしの理論はみんなのそれとはちょっと違うようだった。

 少し離れたところから、遠巻きにみんなはわたしを見た。わたしはぐるりとみんなを見回さないわけにはいかなかった。まるで『かごめかごめ』だ。後ろの正面に誰がいるのかわからないまま、三年間を過ごした。


 高校生になると、環境が少し変わった。学割の定期券を買ってもらい、電車で三十分ほどのところにある知ってる人のほとんどいない学校に進学した。

 そこは女子高で、いつもイチゴのような甘ったるい匂いと、みんなのくすくす笑う声で満たされていた。

 それはわたしにとってすごく意味のあることだった。


 わたしが『お寺』の子だということを知る人はいなかったし、唯一無二の親友を得た。

 思えばそれまで、体育の時間に出席番号順に組を作ってくれる子はいても、積極的に自由に組んでくれる子はいなかった。久美くみはそんなわたしとペアを組んでくれる子だった。

 すっかり世俗の暮らしに馴染んでいたので、高校入学のお祝いに買ってもらったスマートフォンを自由に操れるようになり、夜通し久美とLINEをして笑い転げた。久美は十六になってもTwitterやYouTubeに慣れないわたしを指さして笑った。


 自由だった。


 テレビでは迫り来る隕石の恐怖について専門家が延々となにかを喋っていたけれど、わたしたちにはそれは関係なかった。

 たとえば休みの日に待ち合わせをしたのにどっちかが寝坊したとか、電車を乗り間違えたとか、そんな些細なことで笑い合うことができる自由だった。

 そうか、こんなに怖い時のはずなのに、非常事態のはずなのに、みんな普通の顔をして普通に暮らしているのはそれが『自由』だからなんだ。

 少なくとも日本の大多数の人は余計なことは考えずに変わらない毎日を選んだんだ。

 それを知った時、わたしはおばあちゃんに手紙を書いた。今こそ書く時だと、強く思ったからだ。

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