古本

 一時間半後、新幹線のホームに出ると想像以上に人がごった返していた。改めて席を予約したのは正解だった。時間通りに到着した車両に乗り込み、席に着いた。

 足を引いて歩く体力的な疲れと、彼女に裏切られた精神的な疲れのダブルパンチで体がずっしり重たい。

 ショルダーバッグからペットボトルを取り出して数口飲んでから、隆文たかふみは前の席に立てかかっている机を平らに倒した。

 そして、バックから固い紙のケースに入っている書籍を取り出した。

 分厚い海外の作者の古典文学だ。日本で最初に出版されたのは終戦直後。漬物石になりそうなほどの重量感だ。もとは真っ白だったであろう背表紙は薄茶く変色している。誰が見ても『古書』というだろう。

<こいつのせいで!>

 見るだけで怒りがいてくる。もちろん、中身など読む気にならない。


 古書は二日前に手に入れた。

『夏休み明けにレポートを提出。書籍は……』

 文学の授業の宿題。こんな古い本に興味はない……。読書が好きで文学部に入ったが、読むのはもっぱらライトノベルだ。現代文学なら興味がくが、古典文学は……。自分で選んだ学部なので仕方ないのだが。

 新品を買おうと思ったが相当高価だと分かった。

 フリマアプリで出品されていないか検索したが発見できなかった。そこで、隆文たかふみは最終手段として都内の古書街に向かったのだ。

 古ぼけた紙の臭いが充満した狭い店内、天井までの本棚が詰まった古本屋でそれを見つけた。

 いかにも『古書売ってます』と言わんばかりにメガネをかけた老人は「お買い得だよ」と言った。確かにその通り、交通費を加味してもお釣りが来る買い物だった。


 隆文たかふみは倒した小さいテーブルにケースから出したその本を置き、パラパラとめくり始めた。

<ここが問題のページだ>

 本のちょうど真ん中あたり、次の章に入る手前の白紙のページ。

 そのページには元の所有者が書いたと思われる走り書きがあった。


――啓治  吉 可もなく不可もない

――剛   吉 少しいいことがありそう

――隆文  大凶 不幸しか感じない

――翔太  大吉 申し分なし


 購入時、明らかな破損がないかは確認したが、全ページまで確認していない。書込みに気が付いたのは帰宅してからだった。

 『隆文』はまぎれもなく彼の名前。一般的な呼び名だが、漢字まで一致する人とは意外と会ったことがない。そのため、同名が記述されていることに強い不快感を感じた。

 書込まれた時期は分からない。しかし、新しいものではなさそうだった。

<持ち主が友人とおみくじを引いてメモをしたのか?>

 推測が正しかったとしても、偶然手に取った古書に自分の名前が書かれているのは心地よいものではない。

 隆文たかふみは霊や霊感を信じていなかった。生まれてからそういった体験は一度もない。肝試しでビビるタイプでもなかった。

 しかし、今回は違った。この二日間、不可解なことが起こっている。

 本を買った一昨日の帰り。よく行く食堂で好きなカレーライスを注文した。そのカレーに大きなハエが入っていた。最初はその程度だった。そして、昨日も不可解なことが続いた。

 本を捨ててしまおうかと考えた。しかし、そこはバイトの身。新品で買う値段の1/3で買えた本を手放し、新品で買い直すほどの余裕はない。

 捨てるならレポートを書いてからだ。ページを破ることも考えたが、余計に不吉なことが起こるかもしれない気がした。

 友達に相談したが、ネタだとしか思ってもらえない。霊感がないと思っていた隆文たかふみだが、ついには誰かに見られている気がしてきた。昨晩は一睡もできずテレビを見て過ごした。

 そして、今朝。実家に帰ることに決めたのだ。同じ屋根の下に誰かがいれば何とかなる気がした。

<急いで読んでレポートを書いたら処分しよう。実家は地元のお寺さんと繋がりがあるので、そこに納めるって手もある>


 その時……列車が急停車した。

<トラブルが発生したので緊急停車します>

 車内アナウンスが流れた。

 列車は駅と駅の途中で完全に止まった。

――またか

 十分ほど停車したが出発する気配はない。車内はざわつき始めた。スマートフォンでSNSなどを確認するが状況はつかめなかった。

 隆文たかふみは、この数日、幾度となく起こっている不運で感覚が鈍っていた。徹夜と心身の疲れで眠気が襲ってきた。

「何かあったら起こしてください」

 隣に座るスーツ姿の男性にそう告げた。

 そして、本をバック入れ、席を倒してウトウトし始めた。少々遅れても寝ていれば気にならない。とにかく眠かった。

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