回想

 青年の名前は松田隆文たかふみ。大学二年生。

 隆文たかふみは最寄り駅から私鉄に乗車し、その後、JR線に乗り換えた。

 夏休みの平日、電車はそれほど混んではいない。座ることもできたが、立ち上がるときに痛みそうだったので立つことにした。

 ドアにもたれかかった隆文たかふみは腕時計を見た。予定していた時間より大幅に遅れた。ポケットから切符を出して出発時間を確認する。


―夏休みでしょ。お盆に久しぶりに帰ってきなさい。おじいちゃんの三回忌だし。

 先週、実家の母から手紙とともに切符が送られてきた。母は天然を装い強引なことをする。

 とはいえ、実家に帰っていないのは事実だ。兵庫県の田舎から関東の大学に入って一年四カ月。一度も帰省していない。正月すら帰らなかった。東京に実家がある友人も多くおり、特に寂しさは感じなかった。

<この夏も帰るつもりじゃなかったんだがなあ>

 実家は兵庫県の北部。京都に到着しても、時間的には旅程の半分。そこから在来線で三時間もかかる。ひとたび東京に住んだ隆文たかふみにとっては、うんざりするほどの田舎だ。


 実家には、両親と二歳年下の弟、ばあちゃんが住んでいる。じいちゃんは二年前に亡くなった。

<ちょうど、二年前のこの時期か>

 隆文たかふみは当時を思い返した。受験生の夏、勉強が最優先だったので亡くなった実感が薄い。大学合格後に上京したので、なおさら実感がなかった。

<帰ってもじいちゃんはいないのか>

 小さい頃はじいちゃん子だった。地元で小さい建築会社を営んでいたじいちゃんは六十歳を少し超えたあたりで突然、引退宣言をした。

 突然、社長を継ぐことになったのは父だ。隆文たかふみが生まれたころはちょうど会社の仕事が忙しい頃だった。母も経理として会社を手伝っていた。そのため、小さい頃はじいちゃんとばあちゃんと一緒にいた記憶が強かった。

 スマートフォンをとりだす。テニスサークルの男友達の翼からメッセージが来ている。

―何、おまえ。実家に帰るの? 突然?

 帰省を決めたのは今朝。明日、サークルの男女で海に遊びに行く約束だったが断りを入れていた。

―すまん。親族の三回忌でな

 そう返事を送ったあと、スマートフォンをバックにしまい窓の外に目を向けた。車窓から見える住宅街は真夏の太陽に照らされている。

 まだ、帰省に気乗りがしない。世話になった大好きだったじいちゃんの三回忌はまだいい。しかし、実家に帰るのは憂鬱だった。


「オレ、関東の大学に行きたい。文学部に入る」

 二年前の高校三年生の夏。そう告げたとき、両親は驚きで目を丸くしていた。

 両親は下宿するにしても神戸か関西圏のどこかの大学に行くと思っていたようだった。

「文学部って、おまえ、そんなに本が好きだったか?」

 夕食どきに父が静かに尋ねた。

「そもそもお前、理系じゃなかったか? 建築系に行くとばかり思ってたが」

 隆文たかふみは、「またその話か」と思った。

 父は建築系に進んで欲しいと思っていた。卒業後、どこかの設計事務所に勤め、修行が済んだら地元に帰ってくる。そして、建築が専門の家業の会社に設計部門をつくる。それが夢なのだ。

 隆文たかふみは建築に進みたいと言っていた時期もあったが、受験が本格化するにつれ興味が薄れていった。

「文学といっても難しいやつは読まないけどね。ライトノベルばかりだけど」

「映画とかになるやつか?」

「どちらかというと、アニメ化が多いな。いつかは、自分で書きたいと思ってる」

「まあ、おまえがやりたい道をいけばいい」

 父ははっきりと、「建築に進んで、いずれ戻ってきてほしい」と言ったことはなかった。しかし、言葉尻には希望が垣間見えていた。

 家業を継ぐ辛さを知っている父は無理強いしたくないとの思いと、自分の夢との狭間で葛藤があるようだった。それを感じていた隆文たかふみは、なんとなく居づらく家を出ることにしたのだった。

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