14・作戦
1・『作戦』
宮島からの通信があって数分後、オオワシ隊が研究所に到着し合流した。浅尾と短い会話を交わした宮島は、左足を引きずりながら後藤の元に来た。
「こちらへ」
後藤は素直に宮島に従った。ふたりが受付台の奥へと向かう後ろで、ドロドロとディーゼルエンジンが発する独特な音を鳴らしながら前照灯も点けない大型クレーンが、かつてガラス壁だった開口部からゆっくりと建物内部へ入って来た。
ふたりは受付台の裏に入る。宮島は倒れていたオフィスチェアを立たすと、それに座わり、ヘルメットを脱ぎ後藤に目配せした。後藤もヘルメットを脱いだ。
「足を痛めているので座らせてもらいますわ」
「ここでは部下には見られませんよ」
宮島はふっと笑った。
「アクティブになると性格が捻くれるのかしら? 」
後藤は肩を竦めた。
「後藤さんが今回の作戦を立案されたようですね」
「佐村を疲弊させるには最適な作戦です。佐村用の弾丸、あれで分かりました」
「何でもお見通しですわね。でも助かりました。強襲も失敗しましたし航空支援も無い。正直困っていましたの。タカチホブラッドの活動限界時間に気付いたのは月岡先生ね? 」
後藤は頷いた。
「宮島さんもよく分かりましたね」
「菱形警部の報告書にあなたの心電図装着の記載がありました。でも流石ですわ、あなたのデータだけでそこに辿り着くなんて。私達も数少ない佐村研究の検証データからやっと導き出したのに」
宮島は片えくぼを作り微笑む。
「それでどんな方法を用いて、アクティブになったタカチホブラッドを制御しているのかしら? 佐村のように場数を踏んでいる訳でもないですし、研究機関で解析された訳でもない。とても不思議ですわ、教えて頂きます? 」
宮島はねだるような目で、下から後藤を見た。
「機械を埋め込んでいます」
後藤は躊躇わず答えた。宮島の目が大きく見開かれた。
「腹に追跡装置を埋め込んだ時に、その奥にマイクロチップも埋め込みました。僕の心拍数の急上昇を感知すると、そこからナノグラム単位で麻酔薬が血中に放出されます。全身の痛みを感じなければ、佐村同様に身体の限界を超えて動けます。それに一度アクティブになれば僕でもある程度は心臓をコントロールできます」
「お見事、ですわ。私の組織に月岡先生をスカウトしたいくらいです」
「無駄だと思いますよ」
でしょうね、と宮島は笑った。
「それで具体的なあなたの活動可能時間は? 」
「佐村と同じなら恐らく5分程度、でもあくまでもこれは僕の感覚です。実際にやってみないと分かりません。そしてもうすでに1分は消費しました。」
「佐村の活動時間は私達の予想とほぼ同じです。本当にお見事ですわ。では最低でも5分以上、佐村に攻撃し続ければいいのですね」
後藤は頷いた。
『重機セッティング完了。各隊員も予定位置につきました』脱いだヘルメットから声が聞こえた。
「行きましょう」
宮島はヘルメットを小脇に抱え立ち上がった。
「正直あなたが生きていてくれて助かりました。同じ作戦でもあなたが命じてくれた方が隊員の方たちも納得してくれる」
ヘルメットを被りながら後藤が言った。宮島はヘルメットを被るのを止め、目を細めた。
「心にも無いことを。やはりアクティブになると、捻くれ者になるようですね」
顎紐を締めヘルメットを装着した後藤の目は、バイザーで隠れていた。
◇
嵐が過ぎたのか、1階フロアに吹き込んでくる風が弱まっていた。そのフロアに眠れる巨象のように2台の大型クレーンがフロアのほぼ中央に鎮座していた。2台分、8本全てのタイヤの側面は大きく裂かれパンクしている。そのパンクしたタイヤと大理石の床の間に、潰れた長方形の箱のようなものが挟まっている。そしてそこから細いワイヤが伸びている。8本のワイヤは床を這い、階段を昇っていきながら1本に纏まり、2階フロアの中央で待機している浅尾の握っている朱色のスイッチに繋がっていた。
『各分隊配置完了。状況クリア』ノイズ交じりの通信が浅野の耳に入る。
「了解。総員衝撃に備えろ、何が起きるか不明だ」
『了解』浅尾はひとつ大きく息を吐いた。
「後藤さん、準備は整いました。お願いします」
後藤はその通信を1階フロアの奥で聞いた。目の前には閉ざされた扉がある。
「分かりました」
後藤は短く答え、扉のドアノブに手を掛けた。力を込めノブを押し下げ扉を押し開ける。ゴオォっと音と共に、湿った空気の塊が後藤をすり抜けて扉の向こうに吸い込まれていく。その空気の流れはすぐに止まり、後藤は扉の向こうに一歩踏み入れた。そこは闇が更に深くなっていた。後藤はバイザーを降ろし、鹵獲したRPGを肩に掛け、短機関銃を持ちその闇の中へ入っていった。
◇
鼻先に人が立っていても分からないほどの闇が満ちているトンネルのような廊下を、後藤は暗視装置の力を借り、乱れなく真っすぐな足取りで歩いていた。空気が澱んでいる廊下は闇だけではなく湿気も満ちていて、どこからか饐えた匂いも漂ってくる。歩くたびポーチにある弾倉同士がぶつかって奏でるカチャカチャとした軽い金属音だけが聞こえる。
廊下はやがて地下に降りる階段になった。後藤は一旦立ち止まり下を見る。数10段降りた先に踊り場があり、折り返してまだ下に続いていた。階段を下るにつれ徐々に体感気温は上がっていき、下りきった先にあった鉄製のドアの前に辿り着いた時には、汗ばむ程になっていた。
ドアの向こうに人の気配は感じられない。後藤はドアノブを押し下げる。だがノブはピクリとも動かなかった。ドアには鍵穴やロックの類は見当たらない。
都合がいい、後藤は呟くと身を捩り、右膝を上げ、息を止めた。次の瞬間爆発的に息を吐き寸時だけ力を解放し、閉ざされたドアに前蹴りを放った。
轟音と共に、くの字に折れ曲がったドアが吹き飛んだ。折れ曲がったドアは、床の上を耳障りな金属の引っ掻く音と火花を散らしながら滑っていった。後藤はこじあけられた扉を抜け、地下室に入った。空気が変わったのが分かる。さっきまでの澱み湿った空気ではない。真逆の、冷えたそしてどこか甘い新鮮な空気だった。
そこは柱が無く天井が高い空間だった。後藤は設計図を思い出す。地下室は地上階から20メートルは下にある。下って来た階段の距離とも合致していた。地下室は非常用発電機や貯水タンク、排水処理施設など主なインフラ設備が地下に設けられている関係から、地上階に比べてふた回りは小さい。後藤が下りて来た階段部分も排水処理施設のスペースの一部だった。
高い天井を這うように銀色のダクトや太さの違うパイプが縦横無尽に走っている。そして壁に沿ってコンテナのような部屋が地下室を囲むように並んでいた。その部屋はガラス張りで中には薄い透明なビニールに包まれた様々な器械が並んでいた。後藤が見た事もない器械だったが、それは医療機器や化学実験装置である事は容易に想像できた。
後藤は視線を戻し、正面を見据えた。
地下室の中央に立方体の部屋があった。床を這うように数10本のパイプが、その部屋に向って伸びている。
――あそこに佐村がいる。
後藤はバイザーを上げた。アクティブを使わなくてもそれは明白だった。後藤は立方体に向い歩き始めた。
近づくにつれ、正面の正方形の壁に薄っすらと一条の細い光が縦に走っているのが見えてくる。それは、薄く開けられたドアから漏れだす部屋の内部の光だった。
後藤はドアの前に立った。ドアには取っ手もドアノブも無い。壁に手を当て静かにドアをスライドさせる。ドアは抵抗も音も無くスルスルと開いていき、部屋から漏れだす淡い光が、暗い地下空間を照らし出して行く。
光満ちる白い部屋が、後藤の目の前にあった。
白い部屋の中は、後藤にも見覚えのある空間だった。さして広くない部屋の中央に2床の手術台、その周りを囲むように置かれた様々な機器やモニタ、そしてそれらの上部に覆うように設置されたヘキサゴン型無影灯……部屋は手術室だった。
部屋と廊下の境界、光と闇の境界線上に、後藤は立っていた。
そして長い黒髪のセーラー服の少女が、脚を組み右の手術台に腰掛けていた。少女の美しい顔に微笑みが浮かんでいる。
「おひとりですか? 」
小野寺葵は手術台から降りた。右手には銀色の鞘が握られている。
「彼女は今どうしている」
「疲れて寝ています」
葵は憂いを帯びた表情になる。
「可哀そうに泣き疲れたみたいです」
葵が首を振る。乱れた長い黒髪が葵の顔を隠した。髪の乱れが自然に収まると、現れた今度の表情は満面の笑顔だった。
「それよりわざわざひとりで来てくれてありがとうございます。手間が省けました。でもまさかと思いますけど、兵隊さんを巻き込みたくなかったのでしょうか? 」
葵は人差し指を顎にあて首を傾げた。後藤は答えなかった。
「そんな事無いですよね。後藤さんも、消耗品に何の興味もないですもの」
「お前の目的はなんだ」
後藤の突然の質問に、葵の目がパチリと瞬くと、すぐに細い目になった。
「意味の無い質問だと、後藤さんも分かっているのではないのですか? 」
後藤は黙って葵を見つめていた。
「生き続けたいからに決まっているだろう」
佐村の声に変わった。
「お前も実感している筈だ、アクティブになった時の万能感を、力の漲りを。そしてそれを無制限に使いたい衝動を。今抑えるのに必死だろう、どうだ? だがタカチホブラッドを持っているだけで一生国家に監視される。アクティブになったら尚更だ、この星の何処に行っても監視と実験の対象になる。だったら俺の出す条件を呑む奴等と契約して、永遠に生き続ける。それだけさ」
葵はゆっくりと手術台から離れ、後藤に向って歩み始めた。
「お前も見ただろ、あの機械を。あれだけ揃っている理由は分かるよな。クローンどころじゃねぇ、葵の卵子を使って人工授精やES細胞作成をやりたり放題に出来る。人権や倫理なんて俺達には無縁なのさ。お前なら分かるよな、タカチホブラッドの力を手に入れた人間が何をしでかすのか。俺のやった事なんて可愛いもんだ」
後藤はRPGの肩ひもに手を掛けた。葵はゆっくりと近づいてくる。一瞬だけ後藤は力を解放し、右腕を動かした。次の瞬間、10キロを超える重量のRPGは全くぶれもせず、弾頭は真っすぐ葵を向いていた。
「ラスボスらしく世界征服って言えよ」
「世界を破壊する気も征服する気もねぇんだよ、面倒くせぇだろ。それよりそんなもん向けるなよ、俺はかよわい女子だぞ」
葵の歩みは止まらない。後藤との距離が詰まって来る。
「かよわい女子にしては物騒な仲間が沢山いるな」
「あの方々は私のファンです。色々とお世話してもらい助かっていますけど、あまり役に立たないのが残念なところです」
葵の声に変わった。
「私もお世話になっているお礼に、私にしかできない事を提供させてもらっています。ほんの少しの事ですけど、それであの方々喜んで頂けるなら私も嬉しいです。それより後藤さんの本当の目的はなんですの? 私を殺す事ですか? それとも世界を救う事ですか? 」
葵はにこやかな笑顔で首を傾げた。
「小野寺葵を助けに来た」
葵は微笑んだ。
「おもしれぇなぁ」
佐村の声に変わる。
「どうやって? 俺を殺さない限り小野寺葵は助けられない。だが俺を殺せば、葵嬢ちゃんも死ぬ」
葵と後藤の距離は更に縮まる。
「さあな」
後藤は言い放った。「俺も色々めんどくせぇと思っているが、そんな事はどうでもいい。時間を掛けて方法を探すさ。本音を言うと、葵を助けるのは二の次で、ここに来たのは個人的な理由だ」
葵の歩みが止まった。
「俺も世界がどうなろうと知った事じゃない。ただ、お前との因果を絶ちに来た」
「やはり俺を殺しに来たんだろう。御託並べんなよ」
「さっき言ったろ、お前を殺す事なんて、どうでもいいんだよ」
葵の眉間に皺が寄る。
「遊びたいのか? じゃあ俺が遊んでやるよ、話はその後だ」
後藤は一歩下がり弾頭を天井に真っすぐ向けた。
「この場所、ベストだ」
そう言って引き金を引いた。
床に向って噴射されたバックブラストが、閃光を伴う高温のガス雲になり後藤を包む。後藤は床を蹴って後ろに飛び、そのガス雲の中にその身を投じた。
◇
葵にスイッチが入る。全身の血流が瞬時に沸騰し、心臓がドクンドクンと2回大きく跳ねるように脈動する。同時に時空間が歪んだ。音速に近い速度で膨張しているガス雲の動きがゆっくりになる。
小野寺葵は床を蹴り、ガス雲の中へ切込んだ。後藤の影がガスの中で揺らめく。突如目の前にRPGの発射筒が現れた。葵は横一閃の居合抜きで発射筒を真横に切った。
刀の切っ先で綿アメのように切り裂かれたガスと、真っ二つに切られた発射筒のすぐ後から、無数の弾丸が向かって来ていた。それは更に散弾のように分裂し広がっている。
全てを刀で切り飛ばすには足場が必要だが、宙を飛んでいる今の状態では無理だ。
葵は即断し、踏み込んだ足が床に着くと同時に真横に飛んだ。
◇
後藤はRPGの引き金を引くと同時に力を解放した。激痛が心臓を貫く。異変を感知したマイクロチップが即座に麻酔薬を血中に投与した。後藤の意識は寸毫だけ途切れたが、すぐにアクティブになったタカチホブラッドが肉体の極限を超える力を後藤に与えた。
膨張していたガスの動きが緩慢に見える。身体に纏わりついている高温ガスの灼熱は全く感じない。そのガスで視界は効かないが、牙をむき出した野獣の殺気が突進してきているのが分かった。後藤はその殺気目掛け、用済みになった発射筒を投げつけ、正面を向いたまま床を蹴り大きく背後に飛んだ。背中に圧縮されたガスの弾力を感じる。同時に左手に構えていた機関銃を葵に向け引き金を絞った。3点バーストで発射された対佐村用の弾頭は、銃口から射出された瞬間に分裂し、散弾になってガスを切り裂き飛んで行った。纏わりつくガス雲を抜け後方に着地した時、殺気が横にスライドして消えた。後藤は腕時計のストップウォッチを作動させると、踵を返し、手術室に背を向け地下室を疾走した。
◇
天井に向け直進飛翔したRPGは着弾と同時に爆発した。モンロー・ノイマン効果を最大限発揮できるよう弾頭内に設置された円錐状の金属ライナーは、計算通りに成形炸薬の爆発エネルギーを一点集中で受け瞬時に液状化し、音速の20倍の運動エネルギーと3000度の高温を伴ったメタルジェットとなって厚さ30センチの鉄筋コンクリートを溶融させながら易々と貫通していった。貫通し1階に迸り出たメタルジェットは、轟音と共に大理石の床に大きく孔を穿け、爆発の衝撃波はビル全体を揺らした。
轟音と共に1階床に出現した直径1メートル近い爆破孔は、後藤の狙い通り、運び込まれ並べられた大型クレーン2台の、丁度真ん中の隙間だった。クレーンの自重で撓んでいた床は、ギシリと不気味な音を立てその歪みは更に大きくなった。
後藤と佐村の闘いの第一幕は、僅か2秒も満たない刹那の時間で終わった。
◇
2階で待機していた浅尾は爆発の衝撃を感じ、宮島を見た。宮島は即座に頷いた。浅尾の指に力が籠められる。その時後藤との会話が、走馬灯のように脳裏を走った。
◆
作戦がある――闇の中、後藤は血の匂いが漂う4階フロアで、屋上階から合流してきた浅尾にそう告げた。それは想像も出来ないような奇想天外な作戦だった。
佐村が潜んでいる地下室に後藤単独で乗り込み、天井に向けRPGを発射。着弾の爆発とほぼ同時にC4 爆薬で床を爆破。事前に運び込んでいた2台のクレーン車ごと地下室へ落とし爆発させ、佐村を地上階に引きずり出す。そして地上階に配置していたアカツキ隊により、集中砲火を佐村に浴びせ続けると言うものだった。
絶えず波状攻撃を仕掛ける事で、佐村の超常の身体能力を限界まで酷使させ、活動限界まで追い込む。
それしか佐村を止める術がない、と後藤は言い切った。
佐村が地下室にいる根拠を後藤に聞くと、自分ならそうすると、即座に答えた。
「地下室は地上階と違い壁構造で開けた空間です。最小限の動きで敵を迎撃できる。逆に言えば佐村が避けたいのは、敵が隠れて展開している状況です。その状況を作り出し、佐村を攻撃し続ける。宮島さんが立てた作戦もそうだった筈です」
浅尾は嘆息を吐いた。確かに宮島から下達された作戦は後藤の言う通りだった。
『近接戦闘を避け中長距離からの連続及び全方位攻撃』その為に、たったひとりの確保の為に30人近い自衛隊の精鋭を差し向けた。だが……
「……正気の作戦とは思えない。それでは佐村の捕縛どころか、あなたまで死亡する可能性がある。無茶苦茶だ」
「自分と佐村はこれ程度では死にません。ですが佐村が地上に出て戦闘になればアカツキ隊の損耗が考えられます。その事を覚悟してください」
淡々とした口調で後藤は言った。浅尾の口角が少し上がる。
「素人のあなたに心配される筋合いではない。我々は相当の覚悟でこの場所に来ている」
相当の覚悟。それが試される地獄の窯のその蓋を、浅尾は今開けようとしていた。
「点火」浅尾ははっきりとした口調で朱色のスイッチを捻った。
◇
あらゆる方向から照らしてくる白い光は、どこにも影を作らせない程に部屋に満ちていた。後藤はまた白い部屋に戻って来た。部屋の中央には白いワンピースの小野寺葵が両手で顔を覆い座り込んでいた。床に広がったワンピースは白い床に溶け込んでいるようだ。
後藤は葵の元に向かったが、すぐに部屋の異変に気付いた。透明の壁が葵を囲っている。壁の表面は滑らかな曲線を描きチューブ状に葵を囲っていた。
後藤はその透明な壁に手を当てた。冷たく堅い感触が返って来る。
「無駄だよ。葵嬢ちゃんはそこから出てこない」
背後から佐村の声がした。
「何をした」
後藤は振り返らなかった。
「何も。まあ狙撃の瞬間を見せたくらいか」
――この透明な壁は小野寺葵自ら作ったものか
「それよりお前らの作戦、確かに遊べそうだな」
佐村の口調は何処か楽しそうだった。後藤はゆっくりと振り向く。銀髪の美少年が笑みを浮かべて立っている。
「あぁとことん遊んでやる。遊び疲れて、お前がもういいって言っても続ける」
ふっと笑った後、佐村はぎゃははと身を捩らせながら笑い声を上げた。
「いいねぇ、なにせ俺も完全アクティブの奴と闘うのは初めてだ。お互いベストを尽くそうぜ、後藤君」
美しく整った顔を歪ませながら、佐村は舌を大きく出した。
突然部屋が暗転し暗闇になる。
「なぁ本当はお前も楽しみなんだろ、俺と遊ぶのをよ」
佐村の声が耳元近くでする。後藤は微動だにせず、視線も動かさなかった。
「お前自分の顔、鏡で見て見ろよ。さっきからずっとニヤケてるぜ」
◇
2台のクレーン車下部に閃光が走り、大爆発が起こった。上方に抜ける爆風と爆圧の威力は、100トン近い2台のクレーンを宙に浮きあがらせた。クレーンは大破したが、爆散せず、すぐに床に叩きつけられた。
設計荷重を大きく上回る大型クレーンの自重により撓んでいた床は、後藤の地下からの攻撃により構造的塑性域限界を大きく超え、そこにC4爆薬の爆発とクレーン落下の衝撃荷重が加わる。コンクリートは砂糖菓子のように砕け、格子状に配筋されていた内部鉄筋はいとも容易く切断された。
床は10メートル四方近く崩壊し、2台の大型クレーンと共に地下へ崩れ落ちていく。しばしの静寂の後、建物の全体が大きく揺れ大轟音が地下から響いてきた。暫くして噴火した火山のように、灰色の噴煙が地下から昇って来た。
「砲撃班、位置につけ!」
明石の指示が大声で出された。灰色の噴煙舞う中、柱の影に身を潜めていた3名の隊員が飛び出し大きく開いた崩落孔の周辺を囲むように立った。隊員の肩にはRPGが担がれている。
発射! 号令と共に一斉に3発のRPG が佐村の潜む地下に向け発射された。隊員達は発射と同時に発射筒を投げ捨て、身を翻し大きく後ろに飛んだ。
再び爆発の轟音が咆哮を上げ、爆風が地下から吹きあがってくる。
不気味な低音と重油が燃える匂い、そして吹きあがってくる熱を帯びた噴煙が外から吹きこんで来る風と混ざり、灰色の熱渦を発生させた。渦の中にはオレンジ色の火の粉が、ホタルの様に乱舞していた。
「全隊員、射撃位置へ」
12人の隊員達のインカムに届いたのは、後藤の静かな声だった。その隊員達が音も無く柱の影から現れ、崩落孔から少し離れた場所でお互いに距離を取って扇状に展開した。銃口を地下室から昇って来る噴煙に向ける。
隊員達の顔には汗が滲み、流れ出していた。徐々に上がって来た室内の気温のせいだけではなく、今から始まる想像すら出来ない超常の闘いへの未知なる恐怖によるところも多かった。
後藤からの指示は未だなく、暗視装置にも佐村の姿を見えない。ただ仄かに明るく光る崩落孔と、そこから立ち上って来る噴煙だけが見えた。隊員達は引き金に指を添え、待った。その数秒が永遠にも感じられた。
不意に噴煙の渦が崩れた。崩落孔から黒い影が猛烈な速度で飛び出してきた。
「撃て!」
後藤の指示が聞こえると同時に全隊員が引き金を引く。絶え間ない銃声が重なりマズルフラッシュが10か所近く光る。黒い影は信じられない事に空中で方向転換すると真横に飛んだ。
「2時方向!」
後藤の指示に数10本の火線も真横に伸びていく。
ダダダダダと鈍い音がして黒い影が厚い煙の向こうに消えていく。だが佐村が被弾したのか分からない。
「正面、ランダム!」
後藤の指示は終わらなかった。煙を切り裂き黒い影が隊員達に向ってきた。隊員達は咄嗟に銃口を右に振り、無我夢中で引き金を引く。黒い影は高速で左右に移動し弾丸を避ける。
ガチ。弾丸を撃ち尽くし引き金が軽くなった。それはほぼ全員同時だった。
ガン! 何かが隊員達の前に大理石の床に突き刺さった。それは地下に落ちたクレーンの操縦席のドアだった。ドアには無数の黒い穴が出来ている。
「上だ!即応しろ!」
隊員のひとりが咄嗟に上を見上げた。暗視装置の中、天女の衣のように煙を纏ったセーラー服を着た少女が、大上段に刀を振りかぶって宙に浮いていた。
まだ幼さが残るが、美しい顔の少女の顔は笑っていた。
――マガジンを
だが絶望的な恐怖の前に体が動かなかった。時が緩慢に進む。
少女はゆっくりと隊員達に舞い降りて来た。
間に合わない。隊員は死を覚悟した。
ガガガガ! 唐突の銃声が鳴り響き、銃撃が少女の右側方の闇から浴びせられた。火線が少女の身体をすり抜けていく。少女の周りで火花が散り、キンキンと金属の激しくぶつかる音が響いた。少女は空中で回転し、空中の見えない床を蹴ったように大きく跳ね、跳躍距離を伸ばすと隊員達を飛び越えていった。皆が呆気に取られている間にも、更に左側方からの銃撃は続いた。
少女は止まる事無く驚異的なスピードで銃撃を躱し、フロア奥の柱の影に隠れた。銃撃の火線は少女の後を追うように走り、柱に着弾し無数の弾痕を刻むと、ようやく銃声は止んだ。
我に戻った隊員達はすぐにマガジンを変え、態勢も反転しその柱に銃口を向けた。
10数メートルの離れた距離にある柱は、フロアの隅にあり柱の背後は壁になっていて、葵は追い詰められた形になった。
「ひどいですね、実弾なんて。私を殺す気ですか? 」
柱の後から声がした。隊員達は初めて敵の声を聴いた。だがそれは男の声ではなく、明らかに少女の声だった。
「投降しろ。この人数相手では、幾らお前でも勝てん」
右手の暗闇から、銃を構えた明石が現れた。明石は左手を横に振るハンドサインをだした。隊員達は再び距離を取りながら横に移動して扇状の隊形を更に広げた。
「その声は後藤さんではありませんね。後藤さんは今どこにいるのですか」
明石は無視して警告を続けた。
「投降しろ。お前に逃げ場はない」
「まあ考えている事は分かります。私を動かし続けてアクティブの時間切れを待っているのでしょう」
その時、明石達のバイザーに緑色のテキストが浮かび上がった。それは宮島からの命令文だった。
『対象が姿を見せた時、即時発砲せよ。無抵抗な場合も例外ではない』
隊員達は静かに呼吸を整え、視界を前方に集中し引き金にしっかりと指を掛けた。
フロアを通り抜けていく風の音と、時折鳴る地下からの火が爆ぜる音だけが聞こえてくる。緊張感がフロアに満ちた。暫くして佐村の声がした。
「分かりました、投降します……」
隊員全員の指に力が籠められる。
「って言う訳ねぇだろ」
せせら笑う声がした。
斬撃音がし、柱に閃光が縦横無尽に走った。直後百雷の音がすると同時に柱が砕け散り、無数のこぶし大のコンクリートの塊が高速で明石達に向って飛んできた。
「伏せろ! 」
インカムから後藤の声がした。だが遅かった。猛スピードで爆散したコンクリートの塊は隊員達を襲い、瞬時に半分以上の隊員を吹き飛ばし行動不能にした。
塊は明石の所にも飛んできて、頬と大腿部を掠って飛んで行った。陸自の精鋭を纏める小隊長の明石も、刹那の事態に伏せる事すら出来ず、立ち竦んでしまった。
ゴン!
砕け散った柱の横の床が巨人の拳で殴られたかのようにベコリと凹み、割れた床の大理石の破片が宙に舞っていた。
「ランダムに撃て!」明石の耳に後藤の怒声にも似た声が届く。
ゴゴゴゴン!
破壊音が連続で響き、床の凹みが飛び石のように明石達に向ってきた。
佐村か!
明石は凹みに向って引き金を引いた。無事だった隊員達も我に返り、迫りくる見えない敵に向って引き金を引いた。だがそれも遅かった。
ドン! 肉を打つ鈍い音が明石の耳に届く。
明石が咄嗟にその方向に顔を向けた。生き残っていた最左翼の隊員が床にめり込むようにうつ伏せに倒れていて、その背中にはセーラー服を着た少女が立っていた。
少女が左手に持った光を吸収しているような黒い刀は、既に隊員の背中に突き立てられていた。
「散開して距離を取れ! 」
明石は叫んだ。隊員達は弾かれるように左右に飛びのいたが、その瞬間少女の姿も消えた。左右に展開した隊員達がひとり、またひとりと目に見えない敵に襲われ、発砲も断末魔を上げる事も出来ないまま次々と斃されていく。
首を飛ばされ、胴体を真っ二つにされる。惨劇の場に明石は銃口を向けたが、佐村の姿が捉えられない上、射線上に隊員が重なり引き金を引けない。
その時明石のすぐ近くに居た隊員が宙に浮いた。隊員の背中には黒い刀の切っ先が飛び出している。
――南無三
明石は引き金を引いた。バババと音がし隊員の背中に弾丸が当たる。隊員の四肢が痙攣したかのようにバタバタと動く。それでも明石は引き金を引き続けた。
突然明石の目の前が真っ暗になると同時に衝撃が身体に加わり、明石の身体は後ろに吹き飛んだ。床に叩きつけられた明石はすぐに立ち上がろうとしたが、重たい物体が体の上に載っている。それは先ほど自分が銃撃を加えた自分の部下だった。力なく首が折れている顔が目の前にあり、事切れているは一目で分った。
ドス
明石の腹に鋭い痛みと、熱い衝撃が走る。
「上官が部下を撃つとは最低です」
葵が横たわる明石の傍らに立ち、刀でふたりの人間を串刺しにしていた。その先端は隊員を貫き、明石の腹部まで達していた。明石は苦悶の中、どうにか離さず握っていた機関銃を葵に向けようとした。
「動かないでください」
葵は刀を押し込んで来た。鋭い切っ先が、ゆっくりと明石の胃を貫いていき、背骨で止まった。激痛が明石を襲い、上がりかけた銃口が地に堕ちる。明石は唇が切れる程強く噛みしめ、苦悶の声を飲み込んだ。
「後藤さん、早くお姿を見せてください。そうでないとこの方、死にますよ」
葵は暗闇に沈むフロアの右奥に向って叫んだ。刹那その方向から鋭い殺気が飛んできた。葵はにやりと笑いながらアクティブの力を開放し、電光石火で刀を引き抜く。
ガガガガガ!
ほぼ同時に銃声が鳴り響く。自分が被弾するまでコンマ何秒の猶予。だが葵にはそれでも銃撃を防ぐには充分な時間だった。その場所に後藤が潜んでいる事は、先刻受けた実弾の銃撃で分かって居た。
分かっていれば余裕をもって対応できる。
だが、葵は背中に迫りくる圧力を感じた。
――後ろ?
超感覚を後方に飛ばす。即座に圧力の正体が分かった。発射音が消された複数の銃弾が後方から迫っていた。
虚を突かれた葵は対応が遅れた。背後の崩落孔の向こう側のフロアには朽ち果てたソファと死体、巨大な開口部と数本の柱しかない。その柱の影に伏兵が潜んでいた。
2方向からの攻撃は絶妙な時間差で確実に仕留めに掛かっていた。葵は意識を心臓に集中させた。
心臓が跳ね、全身のタカチホブラッドが瞬時に沸騰する。
時の流れに急制動が掛かかり無音無色の世界になった。自分に向って飛んできた無数に分裂した銃弾が空中で止まる。だが弾幕となって向かってくる銃弾は寸前まで迫っていて跳躍して逃げ切る事は不可能だった。
葵は刀を縦横無尽に振り回し、2方向から迫りくる銃弾を切り飛ばす。
音速を遥かに超える刀の切っ先の軌跡は、葵の周辺に局地的なソニックブームを誘発し、聴覚が麻痺する程の破壊的な轟音を発生させた。
千切り飛ばされた銃弾が四方八方に飛び散る。それは葵に踏みつけられている明石をも襲い、その両脚に突き刺さる。強烈な痛みと熱で意識が飛びそうになったが、上半身や頭部には息絶えた隊員が楯になり、致命的な傷は負わなかった。
葵は、超常の力を10秒近く続く弾幕迎撃に集中させた。通常の世界であればそれは瞬間的な出来事だったが、タカチホブラッドの超常の力を全開放している葵の中では、それは数十分間に匹敵する時間だった。
破壊的な轟音と、極端に緩慢になった時間の流れ。それが葵の超感覚に、寸毫の空白を生んだ。激しい銃撃が突然終わり、同時に衝撃波の轟音が止んだ。ジェット機の通過音のような桁違いな残響音が、フロアに反響する。
危機を脱し、ギアを落とした葵も、その轟音で聴覚が奪われた。
葵は想定外だった崩落孔の先を睨んだ。地下室からまだ昇ってくる煙は薄くはなっているが、その向こうにふたりの人間を見つけた。
その時。
バン!
1発の銃声が足元から鳴った。
葵は目を大きく見開き、下を見た。口から血を流し倒れている明石が、肘を床に着けたまま拳銃の銃口を向けていた。銃口から白煙が上がっている。
白いセーラー服の左わき腹に黒い穴が開き、徐々に赤黒い染みが広がっていった。
そして、鮮明な赤い点が自分の心臓を捉えていた。
「対象、腹部に被弾」
バイザーを下げ、顔を半分隠した後藤がフロア奥の闇からゆらりと現れた。後藤の構えるAK12に取り付けられているレーザーポインタから伸びた赤いビームが、葵の心臓を捉えている。
「多勢に無勢だったな」
ゆっくりと葵に近づく。
「その身体で2方向からの銃撃を躱せるか? 刀を穴の中に投げ棄てろ」
葵は脇腹に右手を当て後藤を見ていた。葵の眉間には少し皺が寄っていたが、薄笑いを浮かべていた。その映像は後藤のヘルメットに装着されているカメラによって、離れた場所にいる宮島達に送られていた。
葵まで数メートルの場所で後藤は止まる。
「4分48秒」
葵が呟いた。その呟きの意味を後藤はすぐに察した。
「後藤さんが考えている私の活動限界は5分程度ですか? 」
後藤は答えなかった。
「ご自分のアクティブ状態から推測したのでしょうが、いい線いっています」
ガン!
ギン!!
銃声と金属音が同時に鳴った。
葵は飛んできた実弾を刀の横一閃で切り飛ばしていた。
「刀を捨てろ。次は連射する。小野寺葵が無傷である必要は、俺にはない」
「4分49秒」
葵は静かに息を吐いて俯いた。
「多勢に無勢、確かにそうですね。でもそんなに戦力差はないのですよ」
――戦力差がない?
後藤は強い違和感を覚えた。本能が警告を発する。ほぼ同時に超感覚がフロア全体に走り、視覚に浮かび上がった全方位映像を瞬時にサーチする。
廃墟と化したフロアに、生者とそうでない者が映し出された。葵の足元で虫の息の明石達、動かなくなった多くの遺体、柱に身を潜め葵に銃口を向けている宮島と浅尾……
――居た
自分の右斜め後方、地下室に通じている扉の方向だ。地下室から一気に階段を駆け上り、扉を抜けた。その時確かに扉を閉めた。
だがその扉が今は半開きになっている。そしてその扉の向こうに、息を顰めた何者かが強い殺気を発していた。
後藤が殺気を感じた瞬間、その何者は引き金を引いた。
撃芯がチャンバーの中にある薬莢の後部にある雷管を叩く。雷管は瞬時に発火しフラッシュホールを通じて薬莢の中の火薬を爆発燃焼させた。
スナイパーライフル!
狙撃に特化したライフルの発射速度は短機関銃弾の比でない。
後藤は右に大きく飛んだ。
直後後藤の左耳のすぐ横を弾丸が掠めていく。バイザーの外部映像は高速移動に再生が追い付かずホワイトアウトし、視界から葵が消えた。後藤は床に着地と同時に身を翻し、扉に向って発砲した。だが扉は既に閉じられていて爆ぜる火花となって全て弾き返された。扉の下の床にはスナイパーライフルが捨てられている。後藤はそれにも銃撃を加え、ライフルは床から跳ね上がって破壊された。
バイザーを跳ね上げすぐに振り返り、葵の姿を探す。姿は見えない、だが何処に行ったかはすぐに分かった。崩落孔から立ち昇って来る煙が切り裂かれていた。そして床に突き刺さっていた扉が無くなっていた。
「佐村が行った! 迎撃しろ!」
後藤は叫び、すぐに跳躍して近くの柱の後ろに飛び込んだ。
◆
話は少し前に戻る。
吹き荒れていた嵐は収まり、厚い雲の切れ間からは星空も見えている。アカツキ隊を人特研に降下させたオスプレイは、研究所の上空から離脱し、後藤を救出したドライブイン跡地へ急行していた。
同時刻、ドライブイン跡地に設置された簡易テントの中、ストレッチャーの上で血色が戻って来た星野が寝ていた。テントの梁に掛けられていた輸血パックはほぼ無くなっている。その傍らには腕を組み、目を閉じている菱形が座っていた。
菱形は最初風の音だと思った。だがその音は徐々に大きくなり山間に響くようになってきた。菱形は目をカッと見開き、椅子を蹴飛ばすように立ち上がると、ストレッチャーに掛けていた松葉杖を乱暴にひったくり、幕を破るようにテントから出た。
テントの横には砂利の上に北尾達が背中合わせに両手と両足を縛られた状態で座らされていた。北尾の頭はまだ下を向いていた。
闇の中、テントから漏れ出る光を頼りに菱形は急いで周囲を見渡す。テントから遠く離れた開けた駐車場に複数の黒い影が見えた。菱形は松葉杖をせわしく動かし、体を大きく左右に振りながら全速力で走った。
「佐久田一等陸佐! 」
長身の黒い影が振り向いた。
菱形は一直線に振り向いた影に近づいた。
「オスプレイが帰って来たのか? 」
菱形は喰いかかる勢いだった。大柄の菱形よりも背の高い佐久田と呼ばれた隊員の傍には、複数の隊員が立っていた。
「菱形警部、後数分で地元県警と救急隊が到着する。拘束した身柄を含め県警との対応をお願いする」
「オスプレイが帰って来たのかと聞いてんだ。答えてくれ、あっちはどうなっている? 」
「答える事は出来ない。我々は原隊に復帰する、それだけだ」
佐久田は冷めた事務的な答えをした。
菱形は佐久田の顔を見上げ、睨んだ。
バイザーを上げた佐久田の表情は菱形の睨みにもひとつも動じていなかった。
「やばいのか? 」
佐久田は答えなかった。
「俺も連れて行ってくれ、作戦を邪魔するような真似はしない」
「小隊長は警部の同行を拒否したはずだ、忘れたのか」
「……やばい状況なんだな」
佐久田は口を真一文字に結び閉ざした。
菱形は眉間に皺を寄せた。
「後藤君を巻き込んだ責任は俺にある。頼む」
「駄目だ」
佐久田は即答した。
「責任と言うが、協力者は我々の作戦に参加している。それが協力者自身の意思だったとしても、不測の事態が起きたとすれば、責任を取るのは我々自衛隊の方だ」
佐久田の正論に菱形は黙るしかなかった。それでも、と言おうとした時、思いがけない声が菱形達の耳に届いた。
「佐久田さん、取引しましょう」
菱形は驚き振り返った。
そこには肩で息をしている星野が立っていた。
星野は続けた。
「助けてもらって心苦しいけどカテゴリUTの事を公表されたくなかったら、警部を現場まで連れて行ってください」
菱形は驚き、言葉が出なかった。
「取引? カテゴリUT? 何の話だ」
佐久田は訝しい表情になった。星野は左手を後ろに廻し、ズボンのポケットからスマホを取り出した。
少し上がった息遣いでスマホを片手で操作する。そして佐久田にスマホの画面を差し向けた。
『カテゴリUT、最重要国家機密又はそれに相当と判断されたドキュメント及びデータはその存在が絶対隔離されます。小野寺葵の出生から現在の至るまでのバイタルデータは基より学校での健康診断のデータまでの全てが改竄されており、元データはカテゴリUTとして処理されております』
宮島の音声が大音量でスマホから流れた。
『おい、ちょっと待て』
『国防上の機密、国内外の諜報活動で入手した極秘情報、外国との裏外交交渉内容、更に佐村の一部データもそれに当たります。もちろんタカチホブラッドの重要なデータも』
『そんな話聞いた事ないぞ』
『無論法律に定められたモノではありません』
『おい、お前何を言っているか分かっているのか?お前だって』
星野は器用に親指で画面をタップし音声を止めた。菱形は呆然と星野を見ていた。
「宮島さんの声なのは分かりますよね。カテゴリUTに関するデータや宮島さん達の公に出せない行動の記録を僕は持っています。現場に警部を同行してもらえるなら、そのデータを消去します。拒否すれば即座にこのデータをネットに拡散させます。それが僕達の取引条件です」
姿がまだ見えないオスプレイのローター音が、徐々に大きくなってくる。
「それが事実だとしても今我々がそれを確かめる術はない。取引にはならん」
「取引といいましたけど、これはリスクヘッジだと考えてください。宮島さん達の不正規行動が事実だった場合、警視庁だけではなく国家自体の信頼が崩れます。そのリスクを放置するのか、それともリスクを消去するのか。消去する方法は簡単です。警官ひとりを同行させるだけでいい。あなた達が支払う労力と負うリスクは、ゼロです」
「現職警官が恫喝をするのか? 」
「なりふり構ってられない状況なんですよ」
「……もしそれが事実だった場合、我々もなりふり構っていられないが、それも承知か? 」
星野は力なく、薄っすらと笑った。
「それに関して保険を掛けていますよ。なにせ宮島警視長と涌井警視正と一緒に仕事しているんです。何が起こるか分かったもんじゃない」
そう言って星野は再びスマホを操作して画面を佐久田に向けた。画面にはカウントダウンしていく時間が表示されていた。
「ある一定時間僕がアクセスしないと、あらゆるデータがネットに拡散します。そうプログラムしておきました。当然それにはカテゴリの件も含まれています。佐久田一等陸佐、あなた方が失うモノは何もないんです。たったひとりの警官を同行させれば」
佐久田は少し顎を上げ、ふっと息を吐いた。
ローター音が再び山間に反響してくる。オスプレイの飛行灯が闇夜の中にはっきりと見える距離まで近づいてきた。
佐久田は視線を下げ菱形を見た。
「菱形警部、作戦行動中貴官の身の安全は保障できない。それと万一の場合、貴官の安否は永久に秘匿される。その覚悟はあるのか」
「お前さんらと同じだよ、警官になった時からその覚悟は出来ている。それに家族もいない、気にするな」
菱形は佐久田の視線を外さず見つめ返した。
『アカツキ隊、着陸態勢に入った。着陸地点へ』
明瞭な声がインカムから聞こえて来た。
「パイロットへ、こちら佐久田。兵員1名追加する」
『了解した』
「同行を許可する」佐久田はそう言い残し離れていった。
オスプレイの機体が大音響と共に、50メートル向こうの開けた場所に着陸しようとしていた。ローターから打ち下ろされた風が
菱形の方まで吹いて来る。菱形は振り向いた。
「後藤君を巻き込んだ責任は警察にあります。僕は一緒に行けませんけど、警部は最後まで警官としての任務を全うしてください」
風で飛ばされそうになった星野は踏ん張り、大声を出した。菱形は背筋を伸ばし指先まで神経を張りつめた敬礼をすると、すぐに踵を返して佐久田達の後を追った。
◇
「佐村が行った! 迎撃しろ!」
インカムに後藤の叫び声が届いた。浅尾は離れた柱に居る宮島と目を合わせた。宮島は躊躇なく頷く。同時に浅尾は手に握っていた朱色のボタンを押し込んだ。
宮島達から数メートル先の床に設置されていた2基のクレイモア地雷が1秒の時間差で炸裂し、耳を聾する爆音が響く。
2000個近い直径1ミリ程のゴム弾が前方の広範囲に秒速800メートルの猛スピードで撒き散らされた。爆薬の量を最小限にして、鉄球からゴム弾に変え殺傷能力を落としているとはいえ、当たれば行動不能に陥り、下手すれば命を奪う程の威力がある。
その凶暴な威力を持ったゴム弾が爆散する範囲は、フロア全体と言っても過言ではなかった。銃弾を避ける程のスピードで動く敵を封じるには、高エネルギー体を高密度に発射し空間を面的に制圧するしかない。クレイモアは対佐村の最終兵器だった。
宮島と明石は柱に身を隠し後方爆風がやり過ごすと、すぐに柱から半身を出し、爆風で巻き上げられた砂塵が充満しているフロアに銃口を向けた。
視界はゼロだったが宮島達の暗視装置には、高速で直撃したゴム弾の衝撃エネルギーで全体が高温になっている床と壁が、赤く映し出されていた。
赤い立体映像の中、一段と真っ赤に表示されている長方形な物体があった。それは宮島達から数10メートル離れた床に、直立していた。
――壁?
宮島は思わず呟いた。その時その壁の後から人影が立ち上がるように現れた。
宮島と浅尾は咄嗟に引き金を引く。
銃撃と同時にその真っ赤な壁が宮島に向って飛んできた。飛翔物は柱に激突し突き刺さった。柱に密着していた宮島は、柱を伝わって来たコンクリートを砕くほどの衝撃波をもろに受け、後ろに吹き飛ぶ。
柱に突き刺さったのはクレーンの扉だった。扉の上面は溶けた真黒なゴムがコーティングしたかのようにベットリと張り付いていた。
浅尾は、扉から飛び出した人影に銃撃を続けた。
暗視装置の中、動く人影を確認したがその人影はフロア全体を使って、大きくそして素早く移動して浅尾に照準を合わせる暇を与えない。浅尾も直接照準を捨て、MP5を腰だめに構え水平射撃を試みるが、黒い影は火線を巧みに躱し、読めない動きで一気に浅尾との間を詰めた。
弾が切れるのと同時に浅尾は機関銃を捨て、拳銃をホルスターから抜いた。浅尾の目に、白い一筋の光が真下から弧を描き、迫って来るのが見えた。
ギン!と甲高い音と共に、浅尾の右人差し指と一緒に拳銃が真っ二つに切断された。
浅尾の目の前に少女が突然現れた。浅尾は歯を食いしばる。少女の長い漆黒の黒髪は傘の様に広がり回転した。次の瞬間少女の後廻し蹴りが浅尾の右腹部に直撃し、浅尾は真横に蹴り飛ばされ、扉が突き刺さっている柱に激突し、床に落ちた。
「後藤さんを陽動に使い、小隊を犠牲にして罠仕掛けてくるとは中々ですね。頭の良い方がいると思っていましたが、キレ過ぎです。本当に殺すつもりですか? 」
血反吐を吐き痙攣している浅尾を横目に、葵は動きのない宮島に向った。
葵はだらしなく黒い刀の切っ先を床に着けながら近づく。大理石の床に切っ先が触れる度、熱せられたナイフがバターを切り裂くように、音も無くスッスッと切れていく。
「止まれ」
静かな後藤の声が葵の背後から投げかけられた。首を横に捩じり、葵は横目で後藤を見た。
砂塵が収まったフロアの中央に、AK12を構えた後藤が立っていた。
「5分17秒。身体の修復にも相当力を使っている筈だ、観念しろ」
葵はニヤリと笑うと、ゆっくりと振り返った。右手を左脇のセーラー服の隙間に滑り込ませ、セーラー服を捲りあげた。細く華奢な小野寺葵の腹部が露わになる。白磁のような滑らかな肌には傷ひとつ無かった。葵は握り拳を後藤に突き出した。
「身体の修復ってこれですか? 」
すっと指を広げると掌の上に、ひしゃげた黒い弾頭があった。
「お知らせしたい事があります。確かに以前なら5分前後がアクティブの限界でした。ですが、今のこの身体になってからは不思議な事に倍近く活動時間が伸びています」
葵は掌を返し弾頭を床に落とすと、刀の柄を両手で握り中段の構えを取った。黒い切っ先はまっすぐに後藤に向いている。
「後藤さん。あなたはどれくらいの時間残っているのですか? 約束通り遊びましょうよ」
後藤は首を少し横に傾け、ふぅっとため息交じりの息を吐いた。
「年下との約束は守らんとな」後藤は躊躇なく引き金を引いた。
ガガガガと連続した射撃音が鳴り響く。
再び無数の火花が葵の前で散り、甲高い轟音が轟く。
残響音の中、後藤は残弾を撃ち尽くしたAK12をそのまま床に落とすと、右腕を腰の後ろに廻し警棒を抜いた。
グリップエンドから伸びる吊り紐を手首に素早く通しスナップを効かしてシャフトをスライドさせ、その先端を葵に向ける。
「なかなか卑怯な事しますね、後藤さん。ヒーローでしたら銃を投げ捨て、さあやろうぜって決め台詞を言う場面ですよ」
「お前相手なら何してもいいんだよ、ラスボス」
葵は目を細め、ぞっとする程美しい笑顔になった。
「愛しているぜ、後藤」
佐村と後藤の超常の闘いの第2幕が上がった。
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