5・チェイサー

 1・『追跡者』

「爆弾でも落ちたか? 」

 菱形が大きく穴の空いた天井を見上げながら言った。天井であった場所は吹き抜けの様になっていて、上階の天井が見える状態になっていた。穴からは水が滴り落ち、破壊された天井の断面から、飴細工の様にぐにゃりと曲がった鉄筋が飛び出していた。

 菱形の居る部屋には、バルーン投光機が置かれ部屋の隅々まで照らし出していたが、そこにあるのは正真正銘の瓦礫の山だった。床には原型を留めていない黒い大きな金属の塊が転がっていて、他にも無数の金属片や砕け散ったコンクリート片、ありとあらゆる物が元の姿を残さず散乱していた。多少動く度に安全靴の底からパリンカシャンと音がする。部屋の壁には無数の細かい穴が空いていて所々金属のパイプが突き刺さっていたが、天井の様に大きく破損している所は無かった。

「逆ですよ。この部屋で爆発があって上の部屋を破壊したんです」

 星野が菱形と傍で同じように天井を見上げながら説明した。

「この部屋、何に使われていたんだ? それに上の部屋って何だ? 」

「備品室だったみたいですね。主にパイプ椅子とか簡易テーブルとか置いていたみたいです」星野は手に持っていたA4サイズの数枚の紙をめくりながら言った。

「上の部屋はこの学校のサーバルームですね」

「サーバか。ビアガーデンの季節だからな」

「生ビールいいっすね。今度行きましょう」

 ふんっと鼻で笑って菱形は腰を落として足下に転がっていた黒く薄い弁当箱大の残骸を手に取った。プラスチックの表面はやけ焦げ、大きな裂傷があり内部が見えた。表面に書かれていた英語が読めたが綴り自体途切れていて意味のないアルファベットの羅列になっていた。

「何かの記憶媒体ですかね」

 菱形の肩越しからのぞき込むように星野が聞いた。

「わからん。爆発物が仕掛けられていたのはこの部屋だけか? 」

「はい。爆発物処理班が学院内捜索しましたが何処にもありませんでした」

「って事は……」

「上のサーバルームだけを狙った爆破と考えるのが普通か」

「モンロー効果を利用した上部破壊」

「だろうな。この学校は国家情報機関の隠れ蓑だった可能性が高いな。これは学校襲撃に見せかけたテロだ」

「そこでスーパーエージェント菱形と星野の登場ですよ」

 菱形はまた、ふんっと鼻を鳴らし立ち上がりながら持っていた黒い残骸を投げ捨てた。「実際の所どうなんだ? 」

「ただのサーバルーム兼コントロールルームですね。まあ金持ち私立ですから、使われていたサーバやシステム自体は、ちょっとした企業並の奴が導入されていたようです。学校内のイントラから空調照明設備の管理、セキュリティ関連の全てを一括管理していますね。こりゃ相当金掛かっていますよ」

 星野は紙をめくりながら言った。

「セキュリティ管理はどうなっている」

「80台の防犯カメラと夜間の赤外線監視です。カメラ映像はハードディスクに保存されていた筈ですが」そういって星野は天井に開いた穴を見上げた。

「今日の録画映像も消し飛んだか。昨日までの映像のバックアップは? 」

「それが悲しいかな、資料によると来月に2か月分纏めてバックアップ予定でした。」

「過去も見られなきゃ今日のも見られないか。きな臭いな」

「火事って臭いがなかなか取れないんですよね」

「アホ」

 星野は目を細めて笑った。

「まさかここの生徒が内申書や成績表を吹き飛ばそうって、爆破したんじゃねぇだろうな」

「狙いがピンポイントすぎますからね。筋が通る説明は難しいと思います」

「しかも襲撃犯との関連性も不明か」

「偶然同時多発な訳ないし」

「ところで何で俺は呼ばれたんだ? このヤマの初動は此処の所轄だろ。テロだとしても本庁との合同捜査ならまだ先の話だ。それに襲撃犯は誰に射殺されたんだ? SATか? 」

「未だ発表なし。警部を呼んだのは参事官直でしたから、それも含めて何か裏があると思いますけど」

 星野は肩を竦めた。その時菱形の携帯が鳴った。

「ナイスタイミング」

 星野が指を鳴らした。菱形は星野を睨みながら携帯に出た。

「はい」を数回繰り返し最後に「了解しました」と言って菱形は通話を切った。

「図書館の場所、分かるか? 」

「ちょっと……待って下さい」

 星野はまた紙をめくった。

「はい分かりますよ。行きますか」

「その地図よこせ。俺ひとり来い、だとさ」

     ◇

「菱形警部が見えられました」

 図書館の入り口に立っている警官が、左肩にある無線機に向かい話した。ほぼ同時に「通せ」と返事があり、警官は図書館の入り口扉を開けた。

「菱形、入ります」

 薄暗い部屋の中に向かい、菱形は声を掛け入っていった。薄暗い理由はすぐに分かった。図書館の窓は全てブラインドが降ろされ、かなり高い天井にある照明は消灯していて、壁に取り付けられている間接照明用の灯りだけが点いていた。入り口正面には楕円形の受付カウンターがあり、カウンターの上に『夏休み課題読書本』と手書きのカラフルなポップの下に数冊の本が表表紙を向け置かれていた。

「菱形警部、こっちだ」

 右手の方向から声がした。菱形は声の方に視線を向ける。人の背丈の倍程の本棚が並んでいる先に、明かりが漏れている場所があった。菱形はそこに向かって進んだ。上質な絨毯の様なカーペットが足音を消していた。「お金持ちの私立学校」と言った星野の言葉を思い出す。

 明かりは本棚の並ぶ間隔が広くなっている場所からだった。菱形は本棚の林を抜けると、ロボットのように体を真っ直ぐ伸ばし、頭を軸にくるりと左半回転すると同時に敬礼をした。

「菱形警部、参上しました」

 両側の本棚の上部には後付けで取り付けられたスポット照明があり、それが光源になってこの場所を照らしていた。

『地理』の本棚と『哲学』の本棚を結ぶ様に長方形のテーブルが置かれ、そのテーブルの上には1台のモニタが置かれていた。

 そのテーブルから数メートル離れた正面に同じようにテーブルがあり、3人が座っていた。

 中央に淡いグレーのスーツ姿の若い女性が座り、右側には警察の制服を着た中年の男性、左側には白のワイシャツにノーネクタイの若い男性が座っていた。制服の男性は菱形をこの現場に呼んだ参事官だったが、若い男女は見知らぬ顔だった。

 その若いふたりの前にはノートパソコンが開かれた状態で置かれていた。電源が入っているのであろう、青白い光がぼんやりと3人を照らし出していた。

「ご苦労。座りたまえ」

 参事官が言った。だが菱形は敬礼を解きテーブルに近づいたが椅子を引くこともなく、椅子の横で再び直立不動になり動かなかった。

「どうした、座れ」

「参事官、そちらのおふたりは? 」

「今回の事件の関係者の方だ。早く座りたまえ、お互い暇ではない」参事官は険しい表情で面白くなさそうに言った。

「関係者? 容疑者の? それとも被害者側の? 」

「聞こえなかったのか! 座れ」

 参事官は声を荒げたが菱形は臆する事無く淡々と続けた。

「襲撃犯が死んだ現場、しかも爆弾テロの可能性も高い現場で素性の知らない人物と密談ってのは、居心地が良く無いと思いまして」

 参事官が大きく口を開けかけた所で、中央の女性が手を軽く上げ参事官を制した。

「自己紹介が遅れました。私、宮島と申します。隣に座っているのは部下の湧井です」

 宮島の左隣の湧井が軽く頭を下げた。菱形は宮島の声を聞いて、宮島の年齢が自分の予想より更に若いかもしれないと思った。

「名刺交換お願いできますか? それとも私の名刺の裏に連絡先書いていただきます? 」

「菱形、いい加減にしろ」

 参事官は怒気を抑えた低い声を発したが、宮島はふっと笑って湧井に目配せした。

 湧井の右手がマウスを掴んだ。同時に菱形の目の前のモニタが点灯し、見覚えのある警察手帳のIDがふたつ映し出された。そこには宮島と湧井が制服を着ているバストショットの写真と所属先が映し出されたが、所属先は菱形が見た事も無い部署だった。

『内閣府 警察庁付国家安全保障対策課設立準備室 

                    筆頭情報分析官兼室長 宮島梓』

 湧井も「筆頭」と「兼室長」が無いだけで後は一緒だった。

「随分と長い肩書きですな」

「まだ公になっていない部署ですので他言無用願います。それと特殊な例で戸惑うかもしれませんが、警察官の職位だと私は『警視長』、湧井は『警視正』に相当します。以後お見知りおきを」

 階級から言えば、参事官や菱形より若いふたりの方がずっと上だった。通りで参事官が何時も以上に神経質になっているのに、菱形は合点がいった。

 菱形は軽く敬礼をして椅子を引き、座った。

「爆破現場を見られた様ですが、何かご感想は? 」宮島が聞いた。

「感想と言われても、私はコロシやタタキが専門で。爆弾に関しては全くの素人ですから鑑識の結果を聞かないと何とも」

「モンロー効果をご存知なのに? 」

 菱形はピクリと片目を吊り上げたが、すぐに表情を元に戻した。

「地獄耳、ですね」

「それが私の仕事ですから」

 宮島は魅力的な片えくぼを作りニッコリ笑った。菱形は、鼻から息を抜き、聞こえないように舌打ちした。

「上部階のサーバルーム破壊を狙った爆破でしょう。あの部屋は窓が無い。指向性の爆薬を使用すれば衝撃波の全てを天井に向けられる。生徒の殺傷や校舎自体の破壊を狙うなら別の場所に仕掛けた方が効果的です」

「良い推察です。私たちも同意見です」

「分からないのは爆破した理由と、襲撃犯との関連性です。それがどうも結び付かない」

「爆破事件に関しては事の性質上、襲撃事件と別件で捜査本部を設置させますが、所轄内には合同捜査本部の形を取らせ情報共有させるよう指示しました」

 捜査の常套だ、と菱形は思ったが未だ腑に落ちない事があった。

「もうひとつ、不明な事があります」

「菱形警部をここに呼んだ理由、ですか? 」

 菱形は頷いた。宮島は顔を横に傾け湧井に目配せした。

「襲撃犯です」

 モニタに目を閉じたふたりの男の顔が表示された。どちらの顔も煤けていて、所々に拭き取れなかった血痕が残っていた。ひとりの顎には大きな痣と首の左に大きな裂傷が見て取れた。

「見た事のある顔ですか? 」

 菱形は首を横に振った。

「警察庁のFRS顔認識システム、指紋照合、DNAデータベースにも当該人物は登録されていませんでした。現在、顎が破壊されていない人物の歯型による適合を首都圏全域の歯科医に当たらせていますが、時間は掛かるでしょう」

「いやいや、お見事です。捜査一課にきませんか? 」

 バンっと参事官が強く机を叩き、大声を出した。

「言葉を慎め、菱形」

「私は気にしていませんわ、参事官。それよりお静かに。私は菱形警部とお話がしたいのです」宮島は参事官も見ずに、穏やかな声で話した。参事官は顔を紅潮したまま黙り、横を向いた。

「次にこれをご覧いただけますか」

 モニタにはスケール定規と共に、オフマットブラックのサバイバルナイフが写しだされた。ナイフの全長はグリップ部分と合わせて30センチ程だった。

「見覚えはありますが、これが何か? 」

「今回の殺人に使われた凶器です」

 菱形は後頭部に軽く手を当てた。汗ばんだ地肌と掌が合わさり、ぱちんと音がした。

「佐村がラボの事件で使用したナイフと同型です」

 菱形は顔を画面に近づけた。

「似ていますね。まあこの手のナイフは良くありますし、『佐村モデル』ってふざけた名前のナイフがネットで売られていましたよ。多分、それでしょう」

「確かによく似た型のナイフが流通していたのは確認されています。が、材質まで一緒なのはどうでしょうか? 」

 菱形は画面から目を離し、身を引いて宮島を見た。

「このナイフは英国陸軍特殊部隊専用モデルをカスタマイズしたと言われています。当然一般流通はしていません。幾らマニアが写真を元に制作しても、軍事機密のチタン・ズージウムコンポジット鋼を入手できるとは思えません」

「先ほど凶器と言いましたが、襲撃犯達の死因は刺殺ですか? マスコミは銃撃され死亡したと言っていましたが」

「マスコミには偽情報をリークしました」

 悪びれもせず宮島が言った。菱形の右目がピクリと動く。宮島は続けた。

「ひとりは背中から心臓を一突き。もうひとりは両腕と頸部動脈を切断されての失血死。心臓を刺された人間がこのナイフを握っていました」

「簡単に考えれば犯人は襲撃中に突然仲間割れを起こし、片方が仲間の腕と首を切って殺害。その後自分の背中から心臓を刺し自害。矛盾だらけの状況って事ですね」

「さすが話が早い。ですから真相が判明するまでマスコミには情報操作を行い、警察内部にも緘口令を敷く予定です」

「何故そんな事を? 事態を余計混乱させるだけだと思いますが」

「理由は後程申し上げますが、マスコミ発表は合理的説明が付くまでの経過措置です。そして上層部はこの事件を単なる襲撃事件ではなく、国の安全保障を脅かす重大事案と認定し、ある程度の情報操作も許可されました。勿論事件解決後には、適正に修正処理した事実をマスコミに公表致します」

 菱形は両手を後頭部で組み、軽く仰け反るように、背もたれに体を預けた。

「それで俺には何処に居るか分からない3人目の犯人捜せってか? 」顎を上げ、菱形は鋭い視線で宮島と湧井を見て言った。

 ブラァボー、宮島は小声で呟き、茶目っ気たっぷりに顔の下で小さな拍手をした。

「国家の脅威となる存在をいち早く察知し、適正に対処する。それが私たちの使命です。ですが先ほども述べたように、私たちはまだ非公式な存在で実働部隊も現場捜査に長けた人物も居ない。ご協力して頂けませんか」

「お前らの使命なんて俺の知った事か」

「ご協力いただけないと? 」

「情報操作する奴等に手を貸す義理は無ぇな。他を当たれ」

「私としては佐村を逮捕した伝説の刑事のお力を借りたいのですが」

「あの時は多くの警官隊が取り囲んでいた、最後に手錠を掛けたのが俺だってだけだ」

「ご謙遜を。その警官隊は佐村によりほとんど無力化されていた。なのにあなたは重症を負いながらも、たったひとりであの佐村を取り押さえた。この機会に是非武勇伝をお聞かせ願いませんか」

「そんな趣味は無ぇえよ」

 けっ、と突然涌井が悪態をついた。

「佐村の蹴りの軌道を読んで鉄板を身体に巻いて対応し、蹴りを受けると同時に関節技で佐村の足と腕の関節を破壊。本人はアバラ3本と左上腕を骨折するも佐村の動きを止め確保に至る。報告書にそう書いてあったぜ。たしかに自慢する程の話でもねぇな」

 悪意が滲む涌井の口調に、菱形は眉根を寄せて涌井を見たが、涌井は不貞腐れた態度で目を合わそうとしなかった。

「涌井の非礼を詫びます」

 宮島が頭を下げた。

「ですが、そうですね警部にはもう少しこちらの事情を知って貰う必要がありますね」

 そう言うと宮島は隣の参事官の方を見た。

「席を外して頂きますか? 」

 参事官は驚いた顔になったが、それを宮島と菱形に悟られぬよう左下を向いて無言で立ち上がり、去って行った。参事官の後姿を目で追っていた宮島は、その姿が見えなくなると口を開いた。

「これは幹部でも一部の者しか知らない情報です」

 菱形の前のモニタに、赤と白が幾重に渦になっているキャベツの断面のような画像が表示された。菱形はそれを見て顔を顰めた。

「殺害された襲撃犯の上腕の切断面です。あのサバイバルナイフで切り落とされたと考えられますが、筋繊維や血管、骨も一瞬で切断されていました。常識では考えられない状態です」

 菱形は手を頭の後ろで組んだまま話を聞いていた。

「その襲撃犯は交通事故に遭ったかのように、内蔵破裂もしていたそうです。とても人間業とは思えない」

 菱形は胸の前で腕を組みかえた。

「……佐村がやったとでも言うのか? 」

「正確にはTBアクティブの可能性が高い、と言う事です。だから上層部も情報操作を認めた。ご理解いただけましたか? 」

 菱形は何も答えなかった。宮島はちらっと涌井を見た。モニタ画面が変わり、ライフルと拳銃の銃弾が映し出された。

「全てゴム弾でした。更に襲撃時間前後に飛行申請の出ていない所属不明のヘリがこの学院付近を航行しています。つまり襲撃犯の目的は不特定多数の殺傷ではなく、TBアクティブの拉致誘拐の可能性があります」

「この女学校にそんな奴が居たってっか」

「分かりません。偶々この学院に潜んでいたのか、関係者なのか、それとも生徒や教師だったのか。ですがその正体不明の人物は、武装した襲撃犯を殺し行方も知れない。それを警部に捜査してもらいたいのです」

「腑に落ちねぇな。だから何で俺なんだ、警察内部に緘口令を敷きマスコミに偽情報を流せる程の権力を持ったお前なら、本庁や所轄を総動員してそいつを探し出せばいいじゃねぇか」

「敵に俺達の存在を気付かせたくねぇんだよ、馬鹿か」

 また涌井が罵るように口を挟んだが、菱形は反応しなかった。

「襲撃犯の装備は全て軍用品でした。ヘリや爆破の事を考えれば背後には軍隊レベルの組織があると考えられます。そしてその襲撃犯を返り討ちにした犯人は、TBアクティブの痕跡を隠そうともしなかった。何故彼らがこの女学院を殺し合いの場所に選んだのか不明ですが、そこが問題ではありません。問題は軍隊レベルの組織が我が国で行動を起こした事、そして佐村の悪夢が再び起こる可能性がある事。前者は私たちが対応しますが、後者は警部にお願いしたいのです。もちろん戦えと言う意味ではなく、3人目の正体を明らかにしてもらいたい。その後我々の全勢力を持って3人目を確保し、背後の組織も壊滅させる。そう考えております」

 菱形は顎に片手を当て、首を廻した。ゴキッと骨が鳴る。

「段々見えて来たな。警察が軍隊もどきに喧嘩売って勝てるかよ。お前ら自衛隊か?」

 菱形の問いに宮島と涌井の表情に変化は無かった。

「我が国の歪な法体系の中では、このような事態に即応する組織は存在しません。かといって手をこまねいている訳にはいきません。これは機密事項ですが、実はこのような事態が起こる前から私たちの部署の創立が計画されていました。今回の事件を受け、急遽計画が前倒しになったと言うのが実情です。ですから私たちには捜査能力に長けた優秀な人材がいないのです。立場は違えど、国民の生命財産を守るのが我々の大義であり任務ではありませんか? 」

 菱形はまだ首を廻していた。

「これは余談ですが、これが公になれば再びTB保有者が世間からの差別や迫害を受けるかもしれません。上層部はそれを懸念し、熟考した結果情報操作を認めた、と言う事情もあります。クラスA2の警部も、ご理解していただけるのでは」

 菱形の動きが止まり、宮島を睨んだ。

「俺の血の話をするんじゃねぇ」

 宮島は悪びれもせず、片えくぼを作り微笑み返した。菱形はそれを見て、首をゴキリと鳴らした。

「動く代わりに条件と聞きたいことがある」

「協力していだだけるのですか? 」

「条件次第だ。まずこの事件の捜査情報は俺にも流せ。此処はまだ所轄の庭だ。俺が先に出しゃばって動き回っても煙たがられる」

「それは保証いたしますわ。必要とあれば、優秀な捜査員を選抜し警部の指揮下に編入出来ますが」

「まずは情報だけでいい。部下は自分のを使う」

「警部のご自由に」

「それと所轄や本庁を動かす時は、管理官や上役に根回しして顔を立ててやれ。いざって時にあいつ等が拗ねたら難儀するのは俺だ」

「そのお言葉、金言として承ります」

 ふん、と菱形は鼻を鳴らした。そして鋭い目で宮島を睨んだ。

「最後に聞くが、佐村は本当に死んだのか? 」

「それは間違いありませんわ。確実に刑は執行されました」

「そっちの情報操作じゃないだろうな」

「私の操に掛けてもそれは本当です」

 菱形は宮島の目をじっと見ていたが「喰えねぇ女だ」と呟いた。

「じゃあ本当に最後だ。もし犯人がアクティブの人間だったら、お前らどうするつもりだ? 」

 宮島は両えくぼを作り、満面の笑顔になった。

「勿論、適正に対処しますわ」

     ◇

「ショック状態が続いて精神的不安定になったんだろう。鎮静剤を打っておいたけど明日には家に帰れるよ。念のため潔をICUで待機させているから安心したまえ」

 木田は、ソファに座らずに直立不動の北岩に、優しく語りかけた。北岩の横のソファには、木田と向い合って天海が座っていた。北岩と天海は木田の院長室に居た。

「本当にありがとうございます」北岩が険しい表情のまま、深々と頭を下げた。

「礼を言うなら天海先生に言いなさい。あの事件現場で最後まで葵嬢に付き添っていたのは彼女だ」

「いえ、たまたま保健室で話をしていただけです。まさかあんな恐ろしい事が……」

「天海先生、何とお礼を言ってよいか。小野寺の家からも何れ正式に礼を」

 北岩は天海に体を向けると、また深々と頭を下げた。

「北岩さん、顔を上げてください。偶然が重なっただけで運が良かったんです。他の生徒達にも被害ありませんでしたし、小野寺さんも無傷でしたから」

「北岩君、天海先生が困っているよ。お礼はまた後からでもできるじゃないか」

 木田が困った表情になっている天海に助け船を出し、ようやく北岩は頭を上げた。天海は笑顔で微笑み掛け、北岩はぎこちない表情でそれに応えた。

「木田先生、小野寺さんに今会えますか? 」

 天海が木田に振り向き聞いた。

「薬が効いて寝ておるが、なぜだね」

「警察に出向く前に顔を見ておきたいのですが、よろしいですか? 」

「警察? ああ、事情聴取か。被害者と言うのにやっかいだね」

「全くです。でもこういったのを早く済ませておかないと」

「潔に連絡を入れておこう。寄ってから行きたまえ」

「ありがとうございます」

 そう言うと天海は立ち上がった。

「北岩さんもご一緒します? 」

「いえ、私は遠慮させていただきます」

「そうですか、それでは失礼します」

 天海は木田達に頭を下げると、部屋から出ていった。木田はPHSで潔を呼び出し、天海が行く旨を伝えた。

「葵ちゃんが無事だったのは良かったが、小野寺の家が来ていないと言うのはどういう事だ。海外にいる秋臣は仕方無いとしても、両親は何をしておる」

 木田はPHSをポケットに仕舞いながら、天海の前では見せなかった苦々しい表情に変わった。

「秋嗣様は九州へ向かう新幹線の中で、聡子様は公判中でしたので……」

「それでも娘を心配して駆けつけるのが親だろう。最初の電話だけで後は音沙汰なしだ。全くどういった神経だ。君の方が葵ちゃんを真剣に心配しておる」

「木田先生、どうか気をお鎮めください。お体に触ります。葵様が無事無傷で木田先生の病院に居ると分かっただけで、安心なされたのでしょう」

「君は……いや、君の立場もあるな。すまなかった。今度、秋臣に会ったら説教してやる」


 天海は、すややかに寝息を立てている葵の顔を見て微笑んだ。

「今はどちらなのかしら? 」

 右手を伸ばし葵の髪から右頬を撫でた。葵が起きる気配は無い。天海はゆっくりと顔を近づけ耳元でそっと囁いた。

「起きたらまた一緒に遊びましょ。それまでゆっくり寝ていて」

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