05

 目の前にそびえ立つ巨大なコンクリート。無機質な灰色の壁に囲まれたそれは、巨大な墓標のように感じて薄気味悪い。

「では、中にどうぞ。案内します」

 その口ぶりからやはり、目の前に居るハイエナのような男がこの施設の管理者のようだ。重厚感のある鉄の扉。長いビープ音の後、中央で合わさっていた二枚の金属がそれぞれ、ゆっくりと左右にスライドし始める。内側と外側を隔てるものが完全に消えたことを確認すると、ハイエナは早足で施設の中へと移動を始めた。

「ふぅん」

 資料の中に在った情報を思い出しながら巡らせていく視線の先に映るもの。それは、想像していたような光景と異なることに、どう反応をするのが正解なのだろうか。

「外と中で大分印象が違うなぁ。立派な詐欺だぜ、こりゃあ……」

 説明の際、エレナに渡された資料によると、この施設が建設されたのはもう随分と昔の事。この建物は施設の運用が開始した当時から、殆ど改修をされることなく、今現在もこの場所に存在していると記載されていた。そのせいで、設備もそれなりの物しか無いと勝手に思い込んでしまっていたのだが……悪い意味でこの予想は裏切られてしまったようだ。

「一度入ったら簡単に出ることが出来ねぇ……って事か?」

 一見すると障害物が無く綺麗に見えるこの廊下ですら、そこかしこで稼働する監視カメラの存在が実に鬱陶しい。目に見える範囲だけで既に両手の指が埋まりそうな台数は、少しばかり異常だと感じてしまう程だった。

「ここまでして、何をそんなに警戒してるんだよ」

「……………………」

 隣を歩くブラッドは相変わらずだんまりを決め込んだまま、口を開こうとしない。元々お喋りな性格というわけでは無いのだが、ここまで沈黙を保っているのも珍しい。そう感じてしまうのは、この場所の雰囲気がそうさせるからなのだろうか。


 この場所は実に居心地が悪い。


 それはブラッドだけではなく、ヴァル自身も感じていることだった。先程から独り言が多くなるのはそのせいで、沈黙がとても耐えられない、と。無意識に溜息と舌打ちが多くなってしまっている。

「あー……嫌だ嫌だ。早く帰りたいねぇ……全く」

 誰に言うでもなく吐いた悪態。この仕事が終わるのは一体いつになるのだろう。

 拘束された両手足は自由に動かすこともままならず、鎖が擦れる音がやけに大きく響く。聞いているだけで腹立たしい。後どれくらい歩けばこの不自由さから解放されるのか。次から次へと、どうでも良い考えが頭の中で浮かんでは消えていく。そうやって辿り着いたのは、豪勢な扉で飾られた最もらしい部屋の前だ。

「さぁ、どうぞ」

 重たい扉がゆっくりと開かれる。入れと促され足を踏み入れる室内。部屋の中は小綺麗で、それほどものが無くさっぱりとしている。部屋に入って直ぐ目に付くのは、手前設置された応接セット。壁に沿って設定されている棚の中には、読むのも大変そうな専門書や資料と何の大会のものか分からないトロフィーや盾などが飾られている。部屋の隅には背丈の高い観葉植物。ブラインドの下ろされた窓の手前に配置されたエグゼクティブデスクには、まだ処理されていないファイルが小さな山を作ってはいるが、それでも机の上が見え無くなるような散らかりかたはしていない。操作されず放置したままのPCは、すっかり液晶モニターでリゾート地の写真をスライドで流すスクリーンセーバーへと切り替わってしまっていた。

「ヴァレンタイン女史より、詳しい話は聞いているのかね?」

 部屋の奥へと進み、デスクに凭れるようにしてこちらを向いたハイエナが、二人に向かって声を掛ける。

「ああ、詳細は知らないが、大体のことは聞いた」

 彼の問いに答えたのはヴァルだ。ブラッドはその質問に答えるつもりは無いと言いたげに大きな欠伸を零していた。

「宜しい」

 その問いに頷き満足げに顎を撫でるハイエナ。改めて部屋の中を眺めると、所々趣味の悪そうなインテリアが飾られていることに気が付く。それは始めに抱いた印象を簡単に覆すほど見目が悪く、レイアウトにも一貫性が無く疎ら。どうにもこの部屋はアンバランスだとヴァルは思う。

「……飾りゃあいいってもんじゃねぇだろ」

 今まで黙っていたブラッドが唐突に口を開く。その口調はどうも穏やかなものでは無く声に苛立ちが含まれているように感じ、慌ててヴァルがフォローに入る。

「ブラッド、黙ってろ」

「けっ」

 どうやら彼は、目の前のハイエナ男の感性が気にくわないようだ。注意されたことでふて腐れてしまったブラッドが、ヴァルの後ろで小さく悪態を吐いているのが分かる。自分だってこの男の感性とは趣味が合わない。それを口に出して言う事が出来ればどれだけ気持ちがスッキリするだろうか。

 それでもここは客商売だ。相手が依頼人である以上、機嫌を損ねるのは御法度。報酬の値引きをされないためにも、此処はこちらが譲歩するべきだと。ブラッドを軽く睨み付け窘めた後で、ヴァルは改めてハイエナへと向き直り口を開く。

「で、これは何時解いて貰えるんだ?」

 目の前の男に見える様に、態とらしく持ち上げる腕。両手に嵌められた手枷から、鎖の擦れる音が聞こえ浮かべた苦笑。

「ああ。直ぐに手配させよう。誰か!」

 癇に障る声で男が人を呼ぶ。暫く何も反応が返ってこない時間が続いたかと思うと、慌ただしい足音と共に、この施設の制服を着た、職員らしき人物が慌てて部屋へと駆け込んできた。

「なっ、何でしょうか? 署長」

 余程急いで来たのだろうか。現れた職員の呼吸は随分と荒く肩を大きく揺らし苦しそうに咳き込んでいる。

「彼等の拘束具を外してあげなさい」

「え?」

 拘束具を外せ。上司にそう言われることは想定外だったのだろう。制服を着た男が、分かりやすく躊躇いの表情を見せ狼狽える。

「しかし……彼等はまだ……」

 彼の反応から考えるに、どうやら凶悪犯か何かと勘違いされているようだ。

 確かに、ヴァルもブラッドも、見た目がチンピラに見えると言われれば首を横に振って否定することは難しい。過去の犯罪歴が有りそうと言われても、確かにそうだと頷けば簡単に信じてもらえるだろう。だからといって、本当に犯罪を犯して此処に連れてこられたかというとそんな事は全く無い。そもそも、この拘束具が必要かどうかは始めから疑問だったのだ。やれやれとヴァルは首を振ると困った様に眉を下げ口元を緩める。

「ああ、彼等は違うのだよ」

 その様子を見て居たハイエナは、楽しそうに顎を撫でながら職員にこう告げる。

「彼等は私がとある組織に派遣を申請したハンターだ」

 ハンターと言われて納得するのだろうかと一瞬心配になったが、それは杞憂に終わったようだ。

「ああ、そう言う事でしたか」

 漸く呼吸が落ち着いてきたのだろう。ハイエナの言葉に軽く頷くと、納得したらしい制服の男が小さく頷き、直ぐに二人に嵌められた拘束具を外すために手を動かす。

「んっ……ん。これで漸く自由だな!」

 音を立てて床に落ちる拘束具。

「未だ檻の中だけどな」

 隣に居たブラッドの足元にも、全く同じものが一式転がっている。

「煩せぇな、お前。一言多いんだっつーの」

 両手と両足。それが漸く自由になったところで、ヴァルは両手を組んで大きく背を伸ばしした。感じられる開放感に自然と緩む表情。凝り固まった筋肉が小さな悲鳴を上げ鈍い痛みを広げていく。ブラッドはというと枷を嵌められていた両手首を撫でた後、軽く手首・足首を回しストレッチを始めているようだ。

「で。今現在分かって居る状況の資料と、こっちが携帯出来る物資について聞かせて貰おうか」

 それでは早速、ビジネスの話をしようじゃないか。改めて会話を切り出すべく口を開きかけた時だった。

「ん? 葉巻?」

 ヴァルの目に止まったのはアンティークなボックス型の葉巻のケース。

「何だ? 君もやるのかね?」

 自分の嗜好品に興味を持ったことが嬉しかったのだろう。葉巻に目を止めたヴァルの言葉に、ハイエナは嬉しそうに目を輝かせ口を開く。

「ああ、嫌いじゃ無いぜ」

 自分では買わないけど。最後の一言は言わずに呑み込みながらそう答えれば、上機嫌になったハイエナがボックスを手に取り満面の笑みでこう言葉を続けてきた。

「そうか! それなら一本どうだね?」

 ケースの蓋を開け中身を見せられる。几帳面に並べられた葉巻は、まだ随分と本数はあるものの、箱の底面の一部が見えてしまっている状態。普段は吸うことの無い葉巻の銘柄なんて、詳しいことは分からないから、突っ込んだ話をしないように気をつけ笑って誤魔化す。吸うか吸わないかの選択は吸うの一択のみ。こういう場合、断る方が色々と面倒臭い。それに、何より今は兎に角煙が吸いたくて仕方が無かったのだ。

 ヴァルはこの提案に素直に頷くと、ケースの中から茶色の棒を一本掴み取り軽く礼の言葉を言って頭を下げる。

「シガーカッターとライターは……」

「ああ、これを」

 タイミング良く差し出される二つのアイテム。どうやら、ハイエナ自身も、この嗜好品を早くヴァルに味わって欲しいようだ。

「自由に使い給え」

 その好意に素直に甘え、カットした部分をオイルライターでゆっくりと炙り煙を起こす。久しぶりに味わった葉巻の味は、いつもの紙煙草とは違い香りが深い。

「やっぱ、全然違げぇわ」

 財布に余裕があるのならば、数ヶ月に一回くらいは自分でこれを手に入れ楽しんでみたい。だが、そんなことは夢のまた夢。今は滅多に味わう事の出来ない嗜好品をゆっくりと堪能することにしよう。何度目かの煙を吸い込み味わうように時間を掛けて吐き出したところで、すっと差し出されたファイルに気が付きヴァルはそれを受け取るべく無意識に手を差し出す。

「これが、現状判っている分の情報だ」

「ふぅん」

 待機していたブラッドを呼び、今し方手渡されたファイルの中身を二人で確認していく。

「……んだよ。目新しいのはねぇじゃん」

「そうみたいだなぁ」

 まとめられた情報は、エレナから渡された資料に記載されていたものと大差はない。どうやら、彼女が事務所に持って来た内容は、現在手元にあるファイルが原本という事で間違いはなさそうである。

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