06

「結局は、貰った情報以上の進展はなーんもねぇってことかよ」

 真新しい情報が一つも無い資料。それで全ての興味を失ってしまったのだろう。渡された紙の束から目を離すと、ブラッドは面白くないとでも言うように舌打ちを零し、待機していた職員にそれを渡してそっぽを向いてしまう。

「そうだなぁ」

 隣から聞こえてくるのはガムを噛み始める音で。気まぐれな相棒のことは一旦保留にしておき、まとめられた紙を捲りながら改めて確認していく調査報告書。印字された文字の全てに目を通すほどの時間は惜しいため、気になる単語と前後の文章だけを掻い摘んで読み説いていく。資料は思ったよりも丁寧にまとめられており、詳細な内容が把握しやすいよう工夫もされていた。随分と手慣れている。そんな印象すら覚えてしまう程に。

「ふむ……」

 一通り目を通し終わった所で、ヴァルは広げていた資料から顔を上げ、持って居たファイルをハイエナへと返した。

「現時点での質問などはあるかね?」

 ハイエナはそのファイルを机の上に片付けてから、次の資料を二人に手渡す。

「調査報告書に関しての質問は特にねぇな。それよりも、これは?」

「ああ。これは、この施設で携帯出来る君たちの備品についてまとめたものだ」

 目を通して欲しいと促され、それに素直に従い手元の資料へと落とした視線。印字された文字情報は実に簡易的なもので、文末には目の前に立つ男の本名と思われる名前が、癖の強い手書きの文字でサインされている。どうやらこれは、備品の貸し出しを受領するための誓約書の様な物なのだろう。

「……小型無線機が二つとナイフが一本。それから携帯用の自動小銃が一丁……ねぇ……」

 無線機以外のアイテム。これは予め此処に来る前から携帯していた二人の荷物の一部で、ナイフはブラッドが、銃はヴァルがそれぞれ得意としている武器の一部である。この資料から分かる事はただ一つ。持ち込みできる武器は始めから装備している物以外認められていないということだ。

 其処で一度、写真に収められていた状況を思い浮かべてみる。そして次に、この施設の規模と設備、先ほど見た収容人数の数を思い浮かべ寄せる眉間の皺。

「これだけで仕留めろとか、先ず無理だろ」

 思わず零れ出てしまうのは渇いた笑いだ。エレナに見せられた資料の中にあった写真の内容から考えてみても、コレでは装備として不十分すぎるヴァルは判断し、ゆっくりと首を振る。

「本来なら武器を携帯すること自体控えて欲しいのだが、そうも言ってられない状況なのだ。これでも充分に譲歩した精一杯というところなのだよ」

 こちらの言いたいことを理解はしているのだろう。情けない顔で眉を下げるハイエナが、申し訳ないと頭を下げてきた。

「心苦しいのは承知だが、聞き入れてくれたまえ」

「……へいへい」

 彼の言いたいことも一応は分かる。少なくとも、此処は一般的な施設という訳では無く、特別な状況下で運用されている。そのことは事前に知らされていることではあった。

 一般に公開されない運用とはつまり、後ろ暗い理由が在ると言うこと。これからその内部に足を踏み入れる事を考えると、その様な場所で部外者が派手な武器を複数所持して居ることは、大きなリスクに繋がると言いたいのだろう。周りに知られれば、真っ先に暴力等といった力の矛先が向かう対象になる可能性は非常に高い。万が一、その武器を奪われ殺されたりしたら……施設内で大規模な暴動が起こる可能性だってゼロではないのだ。事態の収束やメディアのバッシング。世間からの厳しい批判や政治的な圧力。様々な場面に於いて起こりうるリスク。ハイエナは多分、そういったことを懸念しているようだった。

「アンタの言いたいことはわかるんだけどさ」

 それでも、己の身の保身は必要だとヴァルは考える。

「やばくなったらどうすりゃいいんだよ?」

 調査の対象が同じ人間ならばそれほど警戒をすることはない。ある程度ならば拳で対応出来るし、最悪銃声の一発でも響かせさえすれば、一時的にとはいえ場の空気を沈めることも可能なはずだ。それならば何故、この提案に素直にイエスと首を振れないのか。その理由は至ってシンプルで、今回想定されるターゲットが人の力でどうこう出来るものでは無い可能性が高いためである。

 だからこそ、最低限の身の安全を確保する何かが欲しい、と。ヴァルは葉巻を咥え直すと資料を返しながらハイエナにそう訴える。

「無線で連絡を入れてくれ」

 無線で連絡をして欲しいだなんて、随分と悠長なことを。

「それじゃあ間に合わない」

 連絡を聞きつけて応援が駆けつけるまでのロスが分からない以上、了解という前向きな返事は返せないとヴァルはその提案を断った。

 これは正当な駆け引きだ。妥協すれば命の保障はない。だからこそ、己に不利益が及ばないよう、慎重に答えを返す必要がある。

「…………」

 ハイエナは今何を考えているのだろう。先程から口を閉ざしたまま、低い唸り声を上げ考え事をしている。全ては相手の出方次第。勢いよく息を吸い込むことで赤みを増す葉巻の先では、燻ったままの炎がチリチリと燃える。

「……そうか……ならば…」

 漸く何かを決断したのだろう。渋い表情を浮かべながらハイエナがデスクの引き出しを開き一枚の紙を手渡した。

「これは?」

「施設内の設計図だ」

 手渡された資料を広げると、紙全体に描かれた図面が現れる。どうやらハイエナの言った通り、それはこの施設の詳細な設計図のようだった。

「もしかして……これを使って換気ダクトから逃げろって言いたいのかよ?」

 作られたフィクションの中ではありがちな展開。己の命の危険が迫れば、退路を確認しそこから速やかに撤去せよと言いたいのかと呆れた笑いが零れてしまう。

「おいおい。冗談きついぜ」

 正直、戦闘になるとそんな事をしている余裕すら有るかどうかは判らないのだ。もしそのような展開を想定してこういった提案をしているのだとすれば、随分とおめでたい頭をしているな。と、ヴァルは苦笑を浮かべながらゆっくりと煙を吐き出しながら、目の前の相手を睨んだ。

「違うんだ。そうではなくて……」

「違う?」

 このままでは拙い。そんな空気とヴァルの態度。ハイエナは慌てて誤解を解くべく会話を続ける。

「よく見て欲しい。図面には特定の部屋に小さな四角が付随しているだろう?」

「四角?」

「ああ」

 ハイエナに言われてもう一度よく図面に目を通すと、建物の内部は少し奇妙な形をしている事に気が付いた。全ての部屋が内側に設置され、外側を大きな回廊で囲まれた建造物。それぞれの部屋は必ず巨大な外周に沿った回廊に繋がり、他の出入り口は一切ない。回廊の外側に部屋らしき物は一切なく、内側へのアクセスは常に一方通行。ただ、いくつかの部屋には確かに不自然なものが存在している。それがハイエナの言う四角い小さなボックス。このボックスは特定の部屋だけに設置されているもののようだ。

「この四角がどうかしたのか?」

 含みのある言い方に苛立ちながら先を促すと、彼は言いにくそうに顔を逸らしながら小さな声でこう答える。

「それは、武器庫になっている」

「武器……庫……だと?」

 ヴァルとブラッドがその言葉に反応を示したのはほぼ同時。

「ああ、いや。正確には武器庫だった……という方が正しいのだが」

 ハイエナは慌てて自分の言った言葉を訂正し、取り出したハンカチで汗を拭いながら言葉を換えて説明を続けた。

「今は主に緊急用の医療キッドと備蓄缶が入っているだけになっていて、武器の類は入っていないものの方が多い。……ただ、一部のエリアには、まだ武器がそのまま保管されている……というか……その……」

「……成る程。そう言う事か」

 始めから、この話は何かがおかしいと感じては居たのだが、これまた随分と焦臭い話になってきたものだ。そもそも、刑務所と言う施設内にこの様な武器庫が存在すること自体が可笑しい。もし本当にこれが武器庫として使用されていたのであれば、受刑者に「内乱を起こしてくれ」と言って居るようなものである。

「……いや……待てよ……」

 しかし、頭の隅に何かが引っかかって仕方が無い。その違和感が一体何なのか。それを確かめるべく、ヴァルは再び図面広げ建物の構造を確認していく。

「これ……は……」

 始めに感じていた気持ち悪さ。その輪郭は、段々と形を持ちハッキリと見え始めてきたように感じ歪む表情。

「どうしたんだよ? ヴァル」

 そんな彼の行動を訝しげに見守る相棒に、ヴァルは図面を指で叩きながら嫌そうにこう呟いた。

「そう言うことか。だから、意図的にこの武器庫が存在しているんだ」

「は?」

「有る意味で実に効率が良い仕掛けだよ! クソっっ!」

 図面から導き出した一つの仮説。ハイエナが武器庫と呼んだ小さな四角は、有る一定間隔で配置されていた。それは規則性があり一切の例外は存在しない。

「この施設は巨大なコロセウムなんだ! その為に作られた、そうだろう!? 答えろ!!」

 この問いにどう答える? 図面から顔を上げるとヴァルはハイエナを威嚇するように睨み付ける。

「…………」

 目の前の男は黙ったまま、反論する気はないらしい。暫しの間流れる沈黙。ヴァルが思い付いた仮説。それは間違いではないと物語っているのは、ハイエナの態度を見れば一目瞭然だ。

「随分と悪趣味だな、この施設はよぉ」

 広げていた施設の図面。それを乱暴に畳むと、ヴァルは大きく舌打ちを零し吸っていた葉巻を乱暴に灰皿へと擦りつけた。

「説明して貰おうか? 所長さん。これは一体どういう事なんだ?」

 納得いく説明を頼む。そう目で脅せば、相手の顔から表情が消える。

「説明出来ねぇってことは、曰く付きという認識で間違いねぇってことだよなぁ?」

 この依頼を受けるかどうかは相手の出方次第。男の返答を待っていると、不意に今まで大人しくしていたブラッドが口を挟んできた。

「なぁ、ヴァル」

「あ?」

「さっきからお前、何の話をしてるんだ?」

 実に呑気な口調でそう問いかけた相棒は、未だ状況が掴めていないらしい。どういう事だと目で訴えられ途切れた緊張の代わりに脱力感がヴァルを襲う。

「あのなぁ……お前……」

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