第9話 主の娘は今

 古ぼけた薄暗い倉庫の一角に胴体に頭部だけを接続された状態でクロムは天井からクレーンで吊るされていた。電源の落ちたその赤い双眸に光はない。

 カツカツとパイロットスーツのヒールを鳴らしながら人影が倉庫に入ってくると、自動的に倉庫の照明が点灯された。照明の光で人物の姿があらわになる。

 少年のような焦げ茶色のショートボブの髪に整った眉は太くきりりとした印象を与える。しかし、クリっと開かれたまつ毛の長いライトブラウンの瞳は愛らしく、群青色のパイロットスーツに包まれた身体は女性特有の緩やかな曲線を描いていた。

 女性はスーツの胸ポケットから金属色の携帯端末を取り出すとその電源を入れる、と同時にどこからか≪システムを起動します≫という電子音声が流れた。

 暗かったクロムの赤いツインアイに光が灯る。


(俺は……俺はまだ俺のままなのか?)


 そう考えて、クロムは考えられること自体が己が己である証明であると吐けない安堵の息を吐いた。

 自身の安否が分かると次に気がかりなのは己の内にいた少女のこと。機内カメラに視線を移せばコックピットはもぬけの空。盛大に焦ったクロムは大音量で少女の名を叫んでいた。


『ミィ!どこにいる?ミィ!』


 左右に頭を振り必死にミィを探すクロムに群青色のパイロットスーツの女性はため息を吐きながら声をかけた。


「そんなに慌てなくても大丈夫よ。貴方のパイロットなら医務室で寝てるわ」


 女性の言葉にクロムは


『そうか、ミィは無事なのか……』


 と気の抜けたような声を出す。その姿にぷっと焦げ茶色の髪の女性は噴出した。


「自分の心配よりも、パイロットの心配をするなんてね。お父さんが話していた通りね」


『お父さん?』


 クロムはじっと女性の顔を見つめて、自身のマスターとの類似点を探していった。きりりとした太い眉にクリっとした人懐っこい瞳、すっと通った鼻筋に少しだけ厚い下唇は瓜二つと言っても良い。輪郭と無精ひげと肌の色以外、眼前にいる女性は主とよく似ていた。

 クロムのメモリーに一枚の画像が浮かび上がる。

 それは晴天の空の下撮られた一枚の写真。そこには眼前の少女とよく似た日に焼けた中年の男性と抱き上げられた目の前の女性を幼くした顔立ちの長い髪をはためかせ、淡いピンクのワンピースを着た少女の姿があった。


『お前、キョウコなのか?』


「そうよ」


 クロムの問いにこともなげに答える女性、キョウコを暫く見つめたクロムはぽつりと呟いた。


『……髪、切ったんだな……』


 クロムの呟きにキョウコは耳にかかった髪をいじりながら少しばかり感傷的な声で返えした。


「まあね、10年もたてば髪くらい切るわよ」


『そうだな。もう10年もたったのか……』


 感傷的な声を出すクロムの胸部甲が一人でに開きコックピットがあらわになる。キョウコは近くにあった作業台を足場にコックピットに乗り込むとすとんとシートに収まった。


「ホント、貴方ってお人好しよね」


『何がだ?』


苦笑を浮かべるキョウコにクロムは内心首を傾げる。


「買い物なんかしなければ足がつかないで居場所がバレる事もなかったのに。あの生体兵器フェアリーのためでしょ」


優しげな眼差しで機内カメラをキョウコは見つめた。


『まあ、な。……バレると分かってても腹減らしてる子どもをほっとけないだろ』


「やっぱりお父さんが育てただけあるわ。そう言う所、お父さんそっくりよ」


嬉しそうに微笑むキョウコに『そうか?』と納得しきれていない声でクロムは返した。


「ねぇ、貴方、この10年どこで何してたの?」


 キョウコの問いにクロムは頭部を上下左右に動かし考え込むような仕草をした後に少しずつ話し始めた。


『いきなり、自由に生きろと言われて始めはどうして良いか分からなかった。マスターが俺を逃がそうとしたってことは、捕まれば俺、自立AIとしての人格は消されるってことはなんとなく理解してた。だから、逃げ回った。逃げながらも巨獣に襲われてる町を助けたりもしてたけど……全部は助けられなかった。一人じゃまともに戦えない俺なんか…………俺になんか構わず治療を受けていたら主は助かっていたかもしれないのに……』


 そこまで話したクロムの声は泣いているかのように震えていた。


『俺は……機兵アウルゲミルだ。死んだりなんかしない……』


「死にはしないけど、お父さんと一緒に育ってきた貴方は貴方しかいない。今ある貴方に替えなんてないよ」


 そう言うとキョウコは操縦桿をぎゅっと握りしめた。


「貴方と話せて良かった。貴方はお父さんを殺してなんかいない」


 キョウコの言葉にクロムは驚きの声を上げる。


『俺がマスターを殺しただって?』


「ユーミルではそう言われているわ。貴方が主を死なせて脱走したって」


『俺はそんなことしてない』


「分かってる。貴方でない誰かがお父さんに重傷を負わせてその責任を貴方に全部押し付けた。でも、誰が何のために……」


 キョウコが考え込んでいるとスーツの胸ポケットに収まっている銀白色の携帯端末が震える。キョウコが携帯端末を手に取ると端末から少年のような電子音声が流れた。


『あ、キョウコ!なんかねぇ、MJモリブデン・ジェネラルCKクロム・カイザーとはなしがしたいんだって。つないでくれる?』


 思わぬ機兵アウルゲミルの通信にキョウコとクロムは身を固くした。

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