第13話 2コ上の大和先輩が東京藝大受験へ
2005年2月11日
祝日で学校は休みだが、山鹿麻矢の通う桃園中央高校の部活に休みはない。でも、この日の朝はのんびり髪型を整える余裕があったのは、父親の山鹿史矢が社用車で通勤する途中で高校の裏の陶芸棟そばで降ろしてくれることになっているからだ。史矢は昨日の営業先から直帰しており、この日も週刊雑誌の印刷日なので通常業務だ。
桃園中央高校への裏道は山間部を走る県道で路線バスも走っているが道幅は路線バスがギリギリ、アップダウンがあって上りではスピードが落ちて、下りではスピードが出すぎるので制限速度を維持するのが難しい。寒い時期なので積雪や凍結する日もあるが、この日は大丈夫だった。
社用車はカローラ・バンからダイハツのリッターカーであるストーリアに代わっており、車体が小さいのになぜかハイオクガソリン使用で110馬力もあるハイパワーモデル。本社の取引先の都合でこの社用車となったらしいのと、郵便局が民営化されたからかサービスの一環で郵便物を引き取りに来てくれるようになったため、荷物が多く積めるバンタイプの必要がなくなったこともあった。中古車販売がメインの雑誌だから、いろんなタイプの車を社用車としておくのも、タイヤやバッテリーなどの消耗系の自動車用品をテスト記事のためにも必要だった。ストーリアとしては、その後に国内ラリー選手権にチャレンジできるラリー競技用車両として「710X4」という4輪駆動でエンジンは710ccのターボで120馬力、5速ミッションというマニアックなモデルも限定販売された。
平成10年代はリッターカーと呼ばれる日産・マーチ、ホンダ・フィット、トヨタ・ヴィッツなどの排気量1000ccや1300ccの燃費が向上して、実用燃費は軽自動車と変わらないか上回る車もあったほど。軽自動車はリッターカーに負けない室内の広さを確保するため車体を高めにしつつ衝突安全性も確保したため全体に重量が嵩み、バンやワゴンタイプでは1トン前後となり、「軽」自動車とは呼べない車体の重さをエンジンにターボチャージャーを取り付けてパワーを補ったが、そのターボ車ではリッター10㌔を切る車もあったので軽自動車の魅力である経済性の高さは半減、毎年5月までに支払う軽自動車税の安さだけが軽自動車らしさともいえた。
麻矢が朝補習授業に間に合うバスに乗り遅れた時は、弁当づくりに奮闘している母・麻郁に甘えて「オカーチャン乗せてって」となることも。母親専用車もホンダ・ロゴから軽自動車のダイハツ・ネイキッドに代わっており、運転はしやすく室内も広いがターボなしの660ccエンジンは非力で夏に冷房エアコンを利かせたら坂はアクセル全開じゃないと登らないので結果、燃費も1300ccのロゴと変わらなかった。しかし燃料タンクもリッターカー並みタンクの40リットルだったためスタンドで給油する回数も変わらなかったのは救いだった。
桃園中央高校も3年生は大学受験がいよいよ大詰め。芸術コースの先輩たちは書道部の3年生は教職課程のある教育系か書道分野のある大学を目指すが、美術部の先輩はストレートに美大を目指す。東京の美大を目指す力量の先輩もおり、過去にも武蔵野美大、多摩美大へ進学を果たし、国公立では筑波大へ進学した先輩もいるので、高校全体としても頑張り所だ。
全国コンクールで優勝しまくる大和先輩も武蔵野美大、多摩美大を受験。見事にどちらとも現役合格を果たしていた。高校側としてはどちらかに進学してほしいようではあったが、大和先輩としては東京藝大の力試し的に受験したそうで、あくまで本命は東京藝術大学の油画コース一本。夏休みから美術専門予備校にも週イチで通っており、来週には予備校がセッティングした藝大受験合宿に同行して上京、一次試験に挑むとのこと。
東京藝術大学の美術学科の定員は1学年で250人ほど。この中で洋画や日本画、彫刻、デザインなどの分野別に25人、30人、40人という定員で区切られる。全国からその250人枠の定員入りを目指すわけで、5000人以上が一次試験に挑むらしいから競争率は分野で差はあるが10~20倍以上。学部は異なるが全国から受験するあの東京大学なら1学年で3000人以上も合格できるのとは比較できないくらい狭き門なのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます