第9話 魔女の真名
森の外からレンの家まで続く道。馬車の
そうだよね――だって、僕がこの森に来てから一度も馬車が森の中へ入って行くのを見た事がないもの。ゴードンさんだって、セラス母さんの家で馬車を停めちゃうからなあ。
誰も通らないから、落ち葉で道が埋まったんだろう。このまま冬が来て落ち葉も全部雪に埋まったら、雪解けする春にはグジュグジュになっていそうだね。
でも、グジュグジュの葉っぱは畑の肥料にすごく良いって聞いた事があるかも?
そんな葉っぱ、普通なら〝ゴミクズ〟なんだろうな。何かに使えるかもって気付いた人はすごい。きっと賢くて優しい人だ。
肥料にできるのが雪で湿った葉っぱのことなのか、全く違う葉っぱのことなのかは分からないけど――これも今度、セラス母さんに聞いてみようっと。
道を歩いていると、ゴードンさんがくれた『ブーツ』っていうお洒落な靴が落ち葉の絨毯に埋まって、ふかふかカサカサで楽しい。
ブーツは頑丈で曲がりにくいから、あんまり歩くと足が疲れちゃうんだ。でもケガしないし、あったかいし、見た目がカッコイイ。
僕ってば、今カウベリー村で一番のお洒落さんかも知れないな。もう僕はカウベリー村の人じゃないけどさ。
僕は落ち葉の山を蹴り上げて遊びながら、レンが住む魔女の家を目指した。
◆
魔女の家は相変わらず小さい。そして、どうしてかは分からないけど壁一面に這うツタは真緑のままだった。
森の木は茶色くなっているのに不思議だ、もしかしてこれも魔法のお陰? よく分からないな。
僕は扉の前に立って、大きく息を吸い込んだ。
またすぐ帰れって言われたらどうしようかな。少し緊張しているのかも。
胸いっぱいに吸った息をゆっくり全部吐き出して、思い切って扉をコンコン叩いた。
扉はちょっと経ってから、ギィッと音を立ててほんの少しだけ開いた。家の中からレンがこっちを覗いているんだけど、真っ黒で大きなキツネ目は半分になって、僕をじっとり
――うん? おかしいな、レンって僕より大きくなかったっけ? まあ良いか。
「おはよう、レン! 今日はちゃんと用があって来たよ、入っても良い?」
「………………随分、まともなウサギに近付いてきましたね」
レンは言いながら、扉を全部開けてくれた。久しぶりに近くで見るレンは、相変わらず黒と白でできたふわふわキツネだ。可愛い。
でも「まとも」って言われた意味が分からなくて、僕は首を傾げる。
「まとも? ――ああ、だって最近、セラス母さんに道徳の授業ばかりされているからね! 「用がないなら遊びに来るな」って言っている人のところへは、本当に用もなく行っちゃダメだって言われたよ。話しかけずに隠れてこっそり見ているのも
「いえ、中身のお話ではなくて――それより、隠れて見ていたんですか? 君、やっぱり相当アレな人ですね……まあ良いです、今日は何の用があって?」
なんか、すごいゴミでも見るような目で見られた気がするけど――でも僕は負けないよ!
だって、今はもう犯罪してないからね! 時間は戻せない、過ぎたことは仕方がないって母さんも言っていたし!
ひとまずレンが家の中に入れてくれたから、僕は背負っていた風呂敷をテーブルの上に置いた。
「ええと、母さんと僕から、美味しいものをたくさんもらったお返し。小麦粉とバターも持ってきたから、またクッキーを作ってもらえたらすごく嬉しい」
「文字通り、甘い蜜の味を覚えてしまったんですね。アレはたまたま1人では食べきれない分が残っていたので、特別に施してあげたものです。そう簡単には作りません」
「えぇ、そんな……っ
「……君にプライドはないんですか?」
レンはすっごく呆れていたけど、でも「ありがとうございます」って言って風呂敷包みの結び目に手を掛けた。その結び目を丁寧にほどきながら、僕の顔を一つも見ずに喋り始める。
「君はこの森に来てから、どのくらい経ちましたか」
「え? ううーん……ちゃんと数えた訳じゃないけど、たぶんひと月……いや、ひと月半ぐらいかな?」
「ご飯もよく食べられているみたいですね。あの人――セラスも、君みたいな子が来て楽しんでいることでしょう。私にはどうしてあげることもできませんでしたが」
もしかすると、レンはセラス母さんの子宮のことを気にしているのかな?
母さんは元々、なくなった子宮を取り戻したくて魔女の秘薬に縋ったって言っていた。だけど、なくしたものが戻ってくるような魔法の薬はないんだってさ。
「うん! 1日5回も食べているよ、だからかなり太ってきたと思うんだ。セラス母さんは――そうだね、僕が来てすごく楽しいし、嬉しいと思う!」
「……自分で言いますか?」
「だって母さんが毎日そう言うから。母さんは泥棒じゃないし、嘘つかないよ」
レンは、ほんのちょっとだけ笑ったように見えた。
少しは安心させられたかな? でも、母さんは本当に毎日僕へ「ありがとう」「幸せ」って言ってくれるから――ひとつも嘘じゃないんだ。
喋りながら結び目をほどき終わったレンは、風呂敷をゆっくり開いた。
小麦粉、バター、干し肉、お茶の葉、それに香油が入ったビンを見て、レンは「助かります」って言う。
そうして風呂敷から1つ1つテーブルに並べて――底に敷かれるように包まれていたレフラクタ文字の辞典を見て、ぴたりと手を止めた。
「……君」
「うん、読めた! もうレンの名前、分かるよ。だから今日は僕と遊んでくれる?」
「もう? 学のある大人でも、解読するのに相当な集中力を要する文字なのに――いや、何も知らない子供だからこそ、先入観なしで読み解きやすかった……?」
「ねえねえ、答え言っても良い? あのね、ちょっとこれ貸して!」
僕は、レンの手からレフラクタ文字の辞典を取り上げた。そうして、レンが書いて渡してくれた名前のメモと見比べながらページを開いていく。
「レンの名前は、全部で5文字。だけど、最後の一つは文字を
「……どうせセラスに教わったんでしょうけど、覚えたばかりの難しい言葉をこれ見よがしに使ってきますね……まあ続けて下さい」
「えっと……『レ』・『ン』――」
セラス母さんに言われた通り、1文字1文字指差してレンに見せながら名前を呼ぶ。ページを見たレンは、小さくだけどちゃんと頷いてくれた。
「次が『フ』……で、最後が『ア』だ。でもこれは拗音に変換されて、小さい『ァ』――だから、レンの名前は『レンファ』。ハチミツがとれる花の名前と同じだって母さんが教えてくれた! ……レンファはキツネじゃあなくて、お花の魔女だったんだね」
僕は読めたことが嬉しくて、エッヘンと胸を張った。
レンファはまた少し笑って、僕の頭をポンポン叩きながら「――よくできました」って言ってくれた。
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