第3話 道徳心2
「アル、イチから一緒に考えてみましょうか」
お話が終わった後、感想を聞かれても何も答えられずにいると、セラス母さんが優しく言った。母さんはたぶん、初めから僕が答えられないことを知っていたんだと思う。
「うん……ごめんね、僕よく分からないんだ……」
母さんは首を横に振ってから、右手にシャーペンっていう、字を書く道具を握った。
「ただ、これはあくまでも私の解釈だから――決して〝答え〟ではないってことを理解してね」
「分かった」
「まず、主人公の男の子は貧乏なお家の子よ。とは言えお友達は居るし、少し前のアルみたいに食べるものに困ったり、着るものに困ったりしていないわ。生きて行く分には問題ないけれど、他の子と比べたら……ちょっぴり生活がギリギリなお家ってところかしら」
僕は頷いた。だけど僕には、男の子が何を「恥ずかしい」と思っているのか、そこからして分からない。
友達が居て食べ物があって着るものがあって、相談に乗ってくれる母さんが待つ家がある。
――それの何がダメだったんだろう? 不思議な子だ。
「アルは、何か「これだけは人に負けないぞ!」っていうことがある?」
「……負けないぞ?」
「得意なこと、好きなこと……なんでも良いわよ。ちょっとで良いから、同じ年頃の子より上手くできること」
セラス母さんの質問に、僕は必死で考えた。
――僕が得意なこと? 負けないこと? 他の子より上手くできること、か。
なんだろう。僕は同じ年頃の子より小さいし、ガリガリだ。ちょっと強く押されただけでも倒れちゃうほど弱い。
別にかけっこが得意な訳でもないし、他の子みたいに勉強してないから、頭もよくないと思う。
じゃあ、好きなこと――僕って何が好きなんだろう? 村で何をしていたか、ひとつひとつ思い出してみようかな。
朝誰よりも早く起きて、家の掃除。井戸に行って水汲み。あとは釜に火をくべる。
一緒に遊んでくれるような友達は居なくて、弟のジェフリーも僕を無視していた。そもそも働くのに忙しくて遊ぶ時間はなかった。
父さんが魔女探しに出かけてからは、薪割りと森の中で売り物拾いをする回数も増えた。
別に、何も好きじゃないな。嫌いでもないけど。
「たぶん、早起きが得意だよ。あと掃除かな……同じくらいの子で、僕ぐらい掃除しているのは見たことないから」
僕は頑張って負けないことを絞り出したけど、それを口にしても、あんまり誇らしい気持ちにはならなかった。
村の子たちは「そんなことで勝ったってちっとも嬉しくないよ」って笑う気がしたから。
でもセラス母さんは、ニッコリ笑って頷いた。「アルは私より早起きができるし、掃除だって上手いものね」って言ってくれる。
ガサガサの髪の毛をぽんぽん撫でられて、なんだか照れくさくなった。
「お話の男の子にとっては、昆虫標本をつくって集めることがそうだったの」
「……でも、お金持ちの友達には負けちゃったんでしょう?」
「そうよ。お金持ちの友達は、男の子と違って専用のいい道具を買う余裕があったし――それがなくとも、技術力が大人顔負けだったのね。標本づくりのちゃんとした知識があって、しかも経験だって多かったんじゃないかしら。まあそれだって結局は、資金力あっての事だとは思うけれど」
「ふーん……」
「アルの村には居た? 賢くて何でもできて
僕はまた、一生懸命考えた。
何でもできるずるい子――村で一番可愛いって人気だった、サーシャかな?
サーシャは村の男の子に人気で、皆から「大人になったら結婚したい」って言われていた。顔が可愛くて頭が良くて優しくて、かけっこも早いんだってさ。
村で一番大きな牧場を持っているから、牛もたくさん飼っていて――物々交換ばかりの村で、牛は一番のお金だ。だから一番お金持ちの家とも言える。
僕が頷いたら、セラス母さんは笑いながら真っ白な本に何か書きこんだ。
「どこにでも居るわよね、ずるい子――才能にしろ金銭面にしろ、人よりも恵まれている子。こういうの『目の上のたんこぶ』って言うんだけどね、もちろん私にも居たわよ」
「母さんにも?」
「妹なんだけどね。私より年下のくせに、なんでも私より上手くできるの。私は子供の頃から要領が悪くて、ずうっと悔しい思いをしていたのに……両親も妹ばかり褒めるしね」
「……そう、なんだ。僕も弟のジェフリーの方が――」
僕は「なんでも上手くできたから、褒められていたよ」って言おうとしたけど、でもよく考えてみたら、ジェフリーは遊ぶか寝るかしかしていなかった。
勉強は僕よりできるのかも知れないし、背だって僕を追い越しちゃった。でも、早起きも掃除も僕の方が上手くできる。だから「なんでも僕より上手い」って訳じゃあ、ない気がする。
でも、だったら――どうしてジェフリーばかり褒められて、僕は叱られてばかりだったんだろう。
ああ、いや。呪われていた、から、うん。そうだね、僕は仕方なかった。
「……よく褒められていたよ」
なんだか僕はちょっと嫌な気持ちになって「なんでも上手くできたから」ってジェフリーを褒めるのをやめた。
まるで物語の男の子が、恵まれたお金持ちの友達を「悪いヤツだ」って思っていたのと似ている気がする。僕はもしかしたら――ジェフリーが『嫌い』だった?
ううん、そんな訳ない。だって僕はお兄ちゃんだ。弟のジェフリーは大事で、可愛い。だから『好き』に決まっている。
「私と一緒ね。でも、ずっと悔しい思いをしていた私にも、1つだけ「ざまあみろ」って思っていることがあるのよ」
「ざ、ざまあみろ?」
それは、すごく強い言葉だ。
村の子たちが僕に向かって石を投げつけた時に、僕がケガして血を出すと言われたことだよ。「呪われているくせに村に居座るから悪いんだ、ざまあみろ」って。
僕は目をパチパチして、ぽかんとセラス母さんを見た。
「妹には、昔から好きで好きで仕方がない男が居たんだけどね? その男は、今も私のことが好きなのよ。妹から恨み言を聞かされた時は、本当に快感だったわ……生まれた瞬間、いや母親の胎内に居ると分かった時からずっと私の
「へ、へえ……」
意地悪く笑うセラス母さんに、僕は「母さんも色々、大変だったんだろうな」って思うことにした。
でも、ふと僕は考える。
あれだけ村の父さん母さんから大事にされていて、村の子たちにも人気のジェフリーが、もしも僕と同じようにレンを好きになったとして。
レンがジェフリーじゃなくて僕を選んでくれたとしたら、それはすごく――嬉しいだけじゃなくて、気持ちいいことだなって。
でもまあ、僕とジェフリーが並んで「どっちが良い?」って聞いたら、皆ジェフリーを選ぶに決まっているけどね。
なんとなく、セラス母さんの言いたいことが分かった気がした。これが善いことか悪いことかは、ちょっと分からないけど。
「主人公の男の子は、私と同じなのよ。お金持ちの友達に対して強い〝嫉妬心〝と〝劣等感〟を抱いていた。だからお友達が何も悪くなくたって「悪いヤツ」だって悪者に仕立て上げるの。そうでもしなきゃ、自分が惨めだから――人間って弱い生き物でね? 「負けっ放し」じゃあ生きられないのよ」
「負けっ放し……」
母さんの話を聞いていると、僕はなんだか胸のあたりがザワザワした。
よく分からないけど――ずっと見ないように蓋をしていたところを、無理やりに開かれるような気がしたからだ。
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