第2話 アレクシスと泥せんべい

 風呂敷の結び目に挟んだままだった、魔女の名前が書かれた紙。僕はそれをなくさないように畳んで、ワンピースのポケットに入れた。

 そうして膝の上で風呂敷を開くと、中から出てきたのはやっぱり何種類かのキノコと、房に紫色の粒粒した実がついたものだった。

 キノコはどれも綺麗な茶色で、模様がない。これはカウベリー村近くの森でも見たことがあって、毒もないし香りが強くて美味しいヤツだ。


 自慢じゃないけど、僕は生きるのに必死だったから、森の中に生えているものはだいたい口にしたことがある。

 だから、今までに食べたことのあるものなら毒のあるなしがなんとなく分かる。口に入れた時の舌が痺れる感覚で「これは飲み込んじゃいけない」って分かったりもする。

 それに、森に住む小動物がかじるかどうかを見ていれば、毒のあるなしの判断がつく事もあるしね。


 こっちの紫の粒粒みたいなのは森になかった。ひとつひとつ実が大きめで食べ応えがありそうだ。

 カウベリー村は名前の通り牛をいっぱい育てていて、森には小さくて赤い『鈴ベリー』っていうのがたくさん生えている。鈴ベリーは酸っぱい実だ。でも熟すと赤い実が黒くなって、すごく甘くなる。村の女の人たちは牛の乳を搾って森でベリーを集めて、ミルクジャムを作っていたっけ。


 見た目が良いのは早摘みの赤いジャムだけど、味はちょっと酸っぱいから、肉料理や野菜にかけるソースになるんだって。熟した実で作る黒いジャムは、見た目は悪いけど甘くてパンに合うらしい。

 僕は実そのものしか食べたことがないから、ジャムの味は分からない。


 魔女のくれたものだから長く大事に食べたいけど、木の実や果物は腐る足が早い。この紫の粒粒は早めに食べなくちゃいけないな。


「――うん? あ、これだ……お腹が空く匂い」


 キノコの下に隠すように敷かれた、茶色い紙の袋。

 それはとても小さい袋だったけど、中からすごく良い香りがする。何の匂いだろう――甘いというか、香ばしいというか。こんなに良い香りは、村の夕飯時にもなかなか嗅げないと思う。


 またお腹が大きな音を立てて、口の中がよだれでいっぱいになった。紙袋は僕の広げた手の平よりも小さい。丁寧に折りたたまれた袋の端を開いて、中を覗くと――なんだかよく分からない、平らで茶色ものが入っている!


「なんだ、これ! いい匂い!!」


 袋の中から茶色い塊を1枚取り出して眺める。見た目はまるで、泥を平らに固めて乾かしたようなもの。泥せんべいだ。でも、このいい匂いはなんだろう? どこかで嗅いだことのあるような――。

 そうだ、前にジェフリーがビンに入った牛乳を振って作った、クリームみたいなのに似ているんだ。

 母さんは「牛乳の美味しいあぶらだ」って言っていた気がする。美味しい脂クリームをつくるために、ジェフリーは二十分ぐらいビンを振り続けていて、すごく大変そうだった。

 きっとアレが食べ物じゃなければ、ビンを振るのは僕の仕事になっていたんだろうな。


 僕がいつも貰っていたのは、美味しい脂を取り終えた後のサラサラになった牛乳だったっけ――サラサラでも美味しいから、好きなんだけどね。


「まさかこの泥せんべい、あの美味しい脂クリームが入ってる……!? もったいない!」


 魔女ってば、おままごとをするにしてもやって良いことと悪いことがある。泥のせんべいに脂クリームを練りこんだんだ。全く、食べ物で遊ぶなんて――やっぱりまだ10歳なんだな。

 僕は泥せんべいを見て、ごくりと喉を鳴らした。泥だとしてもこの匂いはずるい、気付いた時にはもう口の中に放り込んでいた。


「――泥じゃない……! よく分かんないけど、美味しい!」


 泥じゃなかったし、鶏の骨せんべいとも違う。口の中でホロホロになって、香ばしい匂いが鼻を抜ける。それに、たぶん『美味しい脂クリーム』だろうと思う味が、口の中にじゅわっと広がった。美味しいせんべいはあっという間に口の中からなくなって、僕は悲しい気持ちになった。

 そっと手元の紙袋を覗くと、美味しいせんべいはあと2枚しか入ってなくて、もっと悲しくなった。これは大事に食べないと! でもまだ食べたい――!


 僕は紙袋に鼻を突っ込んで、せんべいの匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。今は匂いだけでなんとか我慢して、夜になったら――いや、明日の朝になったらもう1枚食べる? それとも明日の夜に? いやいや、これも果物と同じで腐る足が早かったら?


 僕は真剣に悩みながら、紙袋の中で深呼吸を繰り返した。すると、近くの茂みががさりと揺れて、僕は驚いて息を止めた。


「――あら? 君、そんなところで何をしているの?」

「泥せんべいを吸っています! …………誰?」


 いきなり話しかけられて、僕は紙袋から顔を上げた。揺れた茂みの向こうから僕を見ているのは、知らない大人の女の人だった。

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