第3話 惑う。

 イベントですら、こんなに近くでは見たことがない赤江緋色の顔面。本当に整っているし、目の色もカラコンとは思えない自然な赤色。まあ、この世界が現実だと言うのなら、生まれ持った瞳の色なので自然であるべきなのだろうが。適度に引き締まった肉体。腕の筋肉も、首周りも間違いなく成長している。秋山圭祐はどちらかと言うと細身でスラっとしているタイプだ。つまり、秋山圭祐が演じている大人の赤江緋色ではなく、物語の中の赤江緋色が成長した姿ということ。

 信じられない。しかし、夢だとするなら余りにも質感があり過ぎる。私が今握っている毛布の裾は、間違いなく触れている。ここに生きている、私が。

 頭にも背中にも痛みはない。思ったより軽傷だったとか、随分と時間が経って治ってしまったとかそういう感じとも違う。元からなかったみたいだ。

 まだまだ気になることはある。七色戦隊の物語についてだ。最終回でクログロンは倒されて世界に平和が訪れて、七色戦隊も解散になったはず。でも緋色は、私にレインボーレッドと呼ばれたときに、元だとか昔はそうだったとか、そういうことを一切言わなかった。茉子さんが脚本を書いていたら、そういう台詞は絶対挟まれる筈だ。違和感があるから。そもそも今は最終回のあの日から、一体何年後の世界なのだろう。レインボーズは放映終了後のスピンオフでも、過去の話しかやらなかった。最終回から先の物語は一切作られていない。これでもかと言うくらい誰もが納得いく伝説の最終回を放送した以上、その後の話はどんなものでも蛇足になると、脚本を担当した大木茉子おおきまこさんは語っていた。悪の組織を倒して、ヒーロー戦隊が解散する最終回。寂しかったが、これでこの人たちは戦わなくて済むのだと、子どもながらに安心もしたものだ。私は茉子さんのそういうところを信頼していて彼女が脚本を手掛けた作品は全て観た。茉子さんだったら、大人の緋色をこんな風にはしない。たった数年先の未来、というわけでは間違いなくなさそうだ。何かよく見たら薄っすら顎に髭とかも生えてるし。


「あ、あの…今って西暦何年ですか?」


 恐る恐る聞いてみる。


「2020年だけど」

「何月何日?」

「12月16日」


 間違いなく私が階段から転げ落ちた日だ。


「今年って、大変な年でしたよね?」

「大変…だったか?特別これと言ってなんかあった記憶はないけどな。相変わらず敵さんは暴れ回ってるけど、それもまあ例年通りと言えば例年通りだしなあ」


 2020年は、誰にとっても大変な年であったはずだ。やはり私が生きていた2020年の世界とは、全く違う。こういうの何て言うんだ?異世界?パラレルワールド?


「敵さんって?」

「クログロンだよ。田舎から出てきたの?シノノメに住んでてクログロン知らない奴はいないと思うんだけど」

「クログロンって、世界から色を奪おうとする悪の組織ですよね?」

「なんだ、知ってるじゃないか。ねえ、君。さっきから変な質問ばっかりだけどさ、本当に何者?」

「クログロンは15年前、レインボーズが組織の幹部シアンを倒したことで解体されたんじゃないですか?」

「それを知っているのは一部の人間だけダ。ヒイロ、こいつは只者ではないゾ」

「その様だな。落ち着いてから話ってわけにもいかなくなっちまった」

 

 面倒そうに頭を掻く。そういう仕草は、本来緋色はしないはず。もっと言うと、蒼大くんの癖だ。


「青澄蒼大くんは?同い年ですよね?一緒にクレオメで働いてましたよね?」


 赤い瞳が真っ直ぐに私を捉えている。緋色の瞳は、もっと熱かったはずだ。それなのに、目の前の男の目は燃える火の様な色であるにも関わらずとても冷たい。レインボーレッドは、情熱的な愛の戦士だった。私が大好きなレインボーブルーは、クールで冷たい氷の戦士。


「教える必要はないゾ、ヒイロ」

「教えてください。蒼大くんはどうしたんですか?あなた、昔はそんなんじゃなかったですよね。まるで蒼大くんみたいな…私はあなたがレインボーレッドだと信じられないんです。レインボーレッドってもっと熱くて、うるさくて、一生懸命で…こんな、こんなくたびれた雰囲気なんて、大人になってからも絶対出さない人だった」

「どうしたら信じてもらえる?俺がレインボーレッドだって」

「…蒼大くんの話が終わってません」

「変身でもすればいい?」

「ヒイロ、時間の無駄ダ。マスターのメカで情報を吐かせればイイ」


 サケトバはメカらしい効率重視の思考を持つ。これは私の知っているレインボーズの設定とも合致している。マスターのメカの中に自白に強い性能を持つものはなかったはずだが、15年もすれば開発されているだろう。クレオメの店主にして、レインボーズのエンジニアも担当している天才マスター。さっきから知ってる名前が次から次へと出てきて、内心めちゃくちゃ興奮している。大好きな七色戦隊の登場人物の一人になっているみたい。油断したら頬が緩む。ぶっちゃけちょっと楽しい。


「そういう話ではなくてですね——」


 私が演技がかった態度でそう言った瞬間、突然ラボの扉が開いた。円を描く虹のエンブレムが刻まれた分厚い扉が左右に吸い込まれ、プシューっという音と共に、白い煙が立つ。


「たっだいまー!あれ、緋色さんが女の子連れ込んでる」


 ラボに入ってきたのは、制服を着た女の子だった。緋色の冷たい瞳に光が宿る。大きく溜息をつき、脱力している様子だ。私も釣られて、肩をすとんと落とした。少しだけ緊張が解ける。女の子のマフラーと手袋が蛍光緑で、目が痛い。


「中あったかー!やばいよ、外。めっちゃ寒い。てかだれだれー?この子。緋色さんがナンパしてきたの?」

「ちげえよ。ていうかここお前の家じゃないぞ。何回言ったらわかるんだ。ていうかお前、その恰好」

「おかえり、カノン」

「ただいまー、サケトバ。あんたの飼い主は冷たいねえ」

「ワタシはヒイロのペットではナイ」


 どうしよう。ここに来て全く知らないキャラクターの登場だ。深い緑色の髪を高い位置で一つ結びにしていて、ライトグリーンに光る瞳、ということは…いや、彼女はどこからどう見ても女子高生。私が知っているレインボーグリーン、緑川詩歌みどりかわしいかは物語の中では20歳だった。つまり、あれから15年後、2020年の詩歌ちゃんは35歳くらいのはず。顔立ちもあまり似ていない。この子は先ほどサケトバにカノンと呼ばれていた。詩歌ちゃんとは別人だ。


「しばらく泊めてー。詩歌と喧嘩しちゃった」

「詩歌”さん”だろ。年上もうちょっと敬えよ」

「うっさいなー。ねえその子だれー?」


 詩歌って言ったか?ということは、詩歌ちゃんの娘とか?


「不審者だよ。店の前で倒れてた」

「不審者じゃないです!」

「何も教えてくれねえんだもの。現状そうとしか言いようがないね」


 ぐうの音も出ない。しかし、何からどう話せばいいかわからないのだ。


「なあに?この空気。お茶でも飲む?」

「それはイイナ」

「サケトバにはオイルあげる。ねえ、私もお姉さんとお話ししたいな」


 慣れた手つきでお茶の準備をする彼女。その姿は、詩歌ちゃんに似ていた。


「立てる?そっちにお茶持って行った方がいい?」

「あっ、もう大丈夫です」

「拘束したりしなくて良いのカ?」


 こうそく。余りにも馴染みのない言葉で、一瞬漢字に変換できなかった。相当警戒されている。まさか生きている間にそんな言葉を自らの肌で感じて聞くことになるとは。今この状態が生きていると言って良いのか、それも正直わからないけれど。


「ま、そんなに強そうには見えないし良いんじゃないか?いざとなりゃ、俺が力づくで止めるよ」

「むっ、私そんなに弱くないです!合気道初段ですよ!」

「振りかざしちゃ駄目だろ。合気道でなに学んだんだよ」


 返す言葉もなかった。

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