第3話 サギ女 ずくなし男

「これのどこがお諏訪様の御柱の木片だよ!」


差し出された木片に重隆が憤慨してみせると、目の前の青い比礼を纏った少女がギロリと重隆を睨み据えた。思わぬその気迫に一瞬引きかけながらも重隆は負けじと口を開く。

「諏訪大社の御柱は一位の木か杉の木だろ。これは松じゃねぇか。大体、御柱祭りは七年に一回。次は来年だってのに、こんな時期に御柱の木片がそんなに残ってるわけがないだろ」

「わらは大社なんちせってないっちゃ。こいは諏訪らのかむさんの御柱の木片なんどすえ」

 声は先程聞いた歌の通りの涼やかな響きながら、その言葉の訛りの混じり合った不思議さに面食らう。

「おまん.一体どこの国のもんずら?」

 すると少女はニッと悪戯な顔をして笑った。

「そういうあなたは信濃の人? 甲斐の人? 私は北は陸奥の十三湊、南は日向の高千穂まで津々浦々巡っているの。どこの国の者でもないわ」

 突然聞きやすい言葉に変わる。すっかり呑まれて口を引き結んだ重隆の前で少女は紙に向かってサラサラと筆を走らせた。それからその札を押し戴いて棚に乗せると目を閉じて薄く唇を開いた。


『祈念して高天原で祓いする 今より後は残るところなし』

 そっと和歌を呟き、棚の上の札にサラサラと榊の紙垂(しで)を滑らせてから重隆を振り返った。何やら印が描かれた札を差し出す。


「あいな、くれるよ。大事に懐さ入れて毎朝三度唱えてたもれ。『急急如律令』っつうんだっぺ」

「え、あ、はぁ、どうも」

 つい素直に受け取って、それも丁重に懐にしまい込んでしまってからハッとする。


「何だよ、これは?」

「万難を祓うお札よ」

 しれっと答えが返って来る。

「あなた、真っ当な御家人じゃないでしょ? こんな昼間から暇を持て余しちゃってさ。身なりは悪くないから平家か木曽か武田の縁者か郎党か、とにかく時勢を読み違えた、うっかり一族の三男って所かしら? だから難から逃れて出世する為のお札よ。大事にしてね」


 人というものは図星を指されると物凄く痛いものであり、また逆上するものである。だが重隆はお坊ちゃんだった。ただ面食らって口をパクパクとさせる。


「お……お前、そうやってサギしてるとな、本当に因幡の白ウサギみてぇに皮剥がれて痛い目に遭うからな! 神罰を舐めるなよ!」

 真っ赤な顔をしながら必死に応戦する重隆に対し、少女は冷たい目を返す。


「神罰? 神様はただ黙って見てらっしゃるだけじゃない。何もしてくれないもの」

 うそぶく少女に重忠は眉を顰める。

「そんなの当たり前だら」

 少女が驚いた顔で重隆を振り仰ぐ。その時に重隆は気付いた。その見かけや口ぶりよりも随分と少女が年若いことに。恐らく大姫と同じくらい。十を少し過ぎたくらいの童。

「俺らの小せぇ願いを叶えてくれる為に神がいるんじゃないだろ。神はもっとでっかいもんだ。神の為に自分に何が出来るかを考えるのが本当の信心じゃないのかよ?」

 少女は悔しそうな顔になってジロリと重隆を睨みつけた。ざまあみろと思う。図星をついてやったぞ。でも、それから少女の年少のことを思い、あんまり大人げなかったかと少し反省する。

「……というわけだ。これからは分をわきまえ、サギするのは控えめにするんだな」

 控えめに罰を言い渡し、小屋から出ようとした所に後ろから声がかかる。

「余計なお世話よ、ずくなし」

 振り返れば、少女が口を結んだまま少し潤んだ瞳で自分を睨んでいた。

「悪かったな」

 どうにも居心地悪くてぼそりと呟き、そのまま踵を返す。

 幕を上げて小屋を後にしながら、ふと重隆はそれに気付いた。

「……あれ? ずくなし?」

 『ずくなし』は信濃の言葉だ。鎌倉で口にすると大抵聞き返される。『根性なし』のような意味だ。

「すっげーな。あいつ、お国言葉の字引になったって食いっぱぐれはないんじゃねえか?」

 妙なことに感心しながら砂浜に出てみれば、いつの間にかひどい行列が出来ていた。女たちが群れて滲ませる桃色の気怠っこしい空気。でもどことなく殺気立ってもいる。重隆はそそくさと急ぎ足で場を離れた。その胸元には、つい素直に受け取ってしまったままのお札が入っていた。重隆は溜息をつく。

「あー、こんなん見えるたらせ、幸氏に笑われるずら」

 でも突き返せなかったのは、やっぱり少女の言う通り自分が「ずくなし」なんだろうか?

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