第162話 「凛として美しい顔」

(蒼汰)


「蒼汰君、本当に汚いわね」


「すいません」


「これでも食べながら、少し待っていて」


 買ってきてくれたゼリーやビタミン飲料を置いて、美麗先輩はお風呂場に消えていった。

 先輩に言われた通りに、渡された物を食べながら座って待っていた。久しぶりに食事をした気がする。

 しばらくして、先輩が腕まくりをしてお風呂場から出て来た。


「いまお湯を張ったから、しっかりお風呂に入って、ひげも剃って小奇麗になってから上がって来て!」


 お風呂場は綺麗に掃除がしてあり風呂桶にお湯が張ってあった。

 俺は先輩に言われた通りに、しっかりと体を洗い、髭を剃り、髪の毛も出来る限り綺麗に整えた。

 湯船に浸かっていると掃除機の音が聞こえて来た。

 先輩ごめんなさい。ありがとうございます。


 お風呂から上がると、洗い物は全て片付いて、散乱していたゴミも殆ど無くなっていた。


「おっ! 綺麗になったわね!」


「どうも。お風呂ありがとうございました」


「ねえ、蒼汰君。買い物に行く体力はある?」


「多分大丈夫です」


「じゃあ、これを買って来て」


 先輩から買い物リストとお財布を渡された。


「先輩お金は俺が……」


「良いから。早く買って来て」


「は、はい」


 俺は近くのドラッグストアに買い物に行った。

 ドラッグストアと言っても、生鮮食品や衣類まで置いてあるチェーン店だ。

 何日も歩いて無かったから、足がヤバかった。

 それでも、少し歩くといつもの調子で歩ける様になった。


 卒業式でお別れしてから約一年半。

 美麗先輩にまた会えるとは思っていなかった。

 タイミング的に早野先輩と俺の話でもしたのだろうか。

 後で話す機会があったら聞いてみよう。


 買物から戻ると、部屋は見違えるように綺麗になっていた。


「帰ってきたわね。さあ、ご飯を作りましょう」


「先輩。俺も何か手伝い……」


「良いの良いの。今日は私が全部するから、そっちで休んでいて。まだ体力全快じゃないでしょ」


「はい……」


 あの頃は外でしか会っていなかったから、こんなに家庭的な先輩を見たことが無かった。

 あの美麗先輩が、ご飯を作ってくれている。

 一瞬、本物かなぁ? とか思うけれど、振り向いた時の美しい顔は、やはり本物の美麗先輩だった。

 俺はさっきの疑問を聞いて見る事にした。


「美麗先輩」


「なあに?」


「俺の事は早野先輩から聞いたのですか?」


「そうよ。女の子づてに、涼介りょうすけの大事な後輩が大変らしいって聞いたから、ピンと来て連絡してみたの」


「はあ」


「そしたら、蒼汰君が酷い状態だって言うから、住所を聞き出して来て見たのよ」


「あれ? 先輩、鍵は……」


「呼び鈴を何度押しても出て来ないし、鍵が開いていたから、そのまま中に入ったのよ」


「あ、そうでした?」


「ええ。不用心だけど助かったわ」


「ご心配おかけしました」


「全くだわ! 本当に心配したわよ!」


「……ごめんなさい」


 先輩がつかつかと寄って来たから、怒られると思ったらギュっと抱きしめられた。

 

「無事で良かった……」


「……先輩」


「もう直ぐ雑炊が出来るから、少し待っていてね」


 ----


 美麗先輩が作ってくれたご飯を一緒に食べた。

 食卓の向こうに側に先輩が座っている。

 何度見直しても、美麗先輩だった。

 まだ、実感が湧いて来ない。不思議な感覚だ。

 ただ、分かっている事がひとつある。

 先輩が居なかったら、俺あのまま死んでいたかも知れない……。


 元気が出て来た俺は、美麗先輩に会えたのが嬉しくて話し込んでしまった。

 また会え無くなる様な気がして、少しでも長く話をしていたかったのかも知れない。

 先輩も笑顔で話に付き合ってくれた。

 先輩が何度目かのお茶を煎れてくれた時に、洗面所から洗濯機の乾燥完了の電子音が聞こえてきた。先輩が放置してあった洗濯物を洗ってくれたのだ。

 ベッドのシーツや枕カバーとかも一緒に洗濯してくれていた。何だか久しぶりに人間的な生活が出来る気がする。先輩に感謝だ。


 先輩は、ちょっと買い物に行って来ると言って出かけて行った。

 しばらく待っていると、コンビニの袋を持って帰って来た。

 食パンと牛乳と紙袋が見えたけれど、何を買って来たのかは分からなかった。


 先輩は出来上がった洗濯物を片付けながら、その中からシーツや枕カバーを取り出して俺に渡してくれた。


「はいはい。蒼汰君は自分の寝床を整えて!」


「はい。ありがとうございます」


「私は汗とほこりだらけで、このままじゃ帰れないから、お風呂を借ります」


 そう言いながら、コンビニで買って来たシャンプーとかを取り出していた。


「色々と申し訳ありません。どうぞどうぞ」


「蒼汰君」


「はい」


「覗いちゃダメよ」


「……はい」


 先輩がお風呂に入っている間に、言われた通りにベッド周りを整える。

 久し振りに部屋もベッドも綺麗になった。


 先輩がお風呂から上がって来たら、そろそろ送って行かないとな……。

 何処に住んでいるのか知らないけれど、終電とかの時間がまずいよな。

 今日は無理だから、次に会えた時に必ずお礼をしよう。

 あ、でも先輩会ってくれるかなぁ。デートとかで忙しいかも知れないな。

 そう言えば、今日はあのクールさが影を潜めている気がする。

 彼氏が出来て感じが変わったとか……いやー羨ましい。

 今日は俺のせいで一日潰してしまって申し訳ない。


 そんな事を考えていたら、洗面所からドライヤーの音がしてきた。


 ----


 しばらくしたら音が止んで、先輩がドアを開ける音がした。


「蒼汰君ごめんねー。ちょっと後ろを向いていてくれないかな」


 着替えでも忘れたのだろうか、見たいけれど我慢だ。

 ベッドの上に洗面所とは反対向きに大人しく座った。

 先輩に「よしっ!」って言われるまで動かないつもりだ。


 背中越しに先輩が動く気配が伝わってくる。

 紙袋の音がして、しばらく気配が無くなった。

 また動いたと思ったら、急に天井の明かりが暗くなったから驚いた。

 ベッドサイドにある照明は点いているので、そんなに暗くはないけれど、急に明かりを消したりしてどうしたのだろう。


「蒼汰君……」


 振り向くと目の前に先輩がいた。

 凛とした美しい顔で俺を見つめている。


 美麗先輩は巻いていたバスタオルを床に落として、俺にキスした……。

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