第163話 「凪」

(蒼汰)

 あれから一ヶ月が経った。

 出来るだけ自活できる様に、俺は居酒屋でアルバイトを始めた。

 このバイトのお蔭で、人と話すのが苦手だった俺が、いつの間にか誰とでも普通に話せる様になっていた。


「みぃただいま!」


「蒼ちゃんおかえりー」


 あの日から、みぃ……いや、美麗先輩は毎日泊まって行くようになった。

 部屋の中に先輩の荷物が増えて行き、二週間後には先輩の部屋を引き払い俺たちは同棲を始めた。

 先輩と呼ばれるのはもう嫌だというので、いろいろ候補を考えた結果「みぃ」になった。俺はそのままで「蒼ちゃん」だ。


 俺達の同棲には、またタイムリミットがある。

 みぃは来年の九月に留学するから、同棲は来年の八月までと決めている。

 だから、それまで二人で後悔しないように過ごすと約束した。

 どちらかが出かける時も、帰って来た時も必ずキスをする。

 一緒のベッドで眠るから、みぃがダメな日以外は毎日抱き合ってしまう。

 あの日、何度もキスをして良い雰囲気でベッドに横になり、いよいよという時になって先輩が買ってきたアレの使い方が分からずに、二人で途方に暮れてしまったのが懐かしい。


 同棲を始めてから、早野先輩にお礼を兼ねて二人で会いに行った時の、先輩の複雑そうな顔が忘れられない。


「蒼汰。お前が立ち直った事は嬉しいけれど、美麗の事はちょっと悔しいな……」


 そう言いながらも、先輩は俺を力一杯抱きしめてくれた。


「お前の元気な姿が見られて良かった」


「ご心配お掛けしました」


「安心したぞ」


 早野先輩は苦しい時に親身になって心配してくれて、こんなに喜んでくれる。

 俺は本当に先輩に恵まれたと思う。


「美麗も蒼汰の事ありがとう」


 先輩は俺を放すと、今度はみぃを抱きしめようとして蹴り飛ばされていた。

 早野先輩。テラス席の女性が皆見てますよ……。


----


 みぃとは毎月必ずどこかに旅行に行く事にしている。

 九月には、まだ暖かい南の島に行き、遅めの夏を楽しんだ。

 リゾートホテルに宿泊して、綺麗な海と砂浜を眺めながら、大きなパラソルの下で横になって過ごした。

 みぃは、パレオ風の巻スカートが付いたビキニを着ていて、とても俺の彼女とは思えないぐらいスタイルが良くて綺麗だ。

 みぃがひとりで飲物を買いに行くと、直ぐに男どもからナンパされていた。

 そんな時はクールな美麗に戻り、男どもをズバズバと切り捨てて行く。

 男どもを切り捨てた後は、凛とした表情をしたまま戻って来て、ナンパされちゃったーとか言いながら、こっちが恥ずかしくなるぐらい抱きついて来て、そのままデレて離れなくなる。

 みぃ可愛い……。


 みぃはいつも俺の腕の中にいて、俺はいつもみぃの胸の間に顔を埋めていた。

 紅葉を見に行き、クリスマスを一緒に過ごし、ゲレンデにあるペンションに泊まり、大きな枝垂しだれ桜を愛で、美しい水源や新緑の平原を眺め、無数に広がる蛍の淡い光を見た。

 そうして、みぃと一緒に穏やかななぎの様な生活が続いていた……。


 いよいよ八月になり、みぃの留学の準備が整った頃、あの夏の日に見た星空を見に行く事にした。

 特急列車の降車駅でレンタカーを借りて、そこからはドライブをしながら町を目指す。

 車内で横になりながら星を見られるようにと、レンタカーはムーンルーフが付いた車にした。

 航に連絡したら、同じ日に茜ちゃんの家に行く予定を組んでくれて、茜ちゃんのお爺ちゃんの家で落ち合う事になった。


 二年ぶりに訪れた町は、驚くほど何も変わっていなかった。

 あの夏の日の事を道々話しながら、航達と写真を撮った場所を案内して回った。

 みぃはブルー系のシフォンワンピースを着ていて、ふちがざっくりとした麦わら帽子に白のサンダルを履いている。

 ポーズを取ってもらい写真を撮りまくってしまった。

 みぃはやっぱり凛としていて、抜群に綺麗だと思う。

 陽光を浴びてブルーに輝くみぃの姿は、田舎の風景にはミスマッチで、逆に幻想的だった。


 小川に裸足で入って、ワンピースの裾を膝上までたくし上げた写真が、今日一番のお気に入りだ。

 写真を撮った後に、下から覗き込んだら、コラッ! って怒られた。

 だって見たいもんって言ったら、いつも見てるでしょって可愛く言われた。

 みぃ、大好きだよ。

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