第156話 「僕の大好きな人」

(美咲)

 今日は合格祝いのパーティーで、蒼汰君のお家に遊びに来たの!

 何だか不思議な感じ。

 美咲の姿でこの家の玄関をくぐるのは初めて。


「お邪魔しまーす」


 とか言いながら少し照れてしまった。


 家の中はいつもと変わらないので、美咲の姿でいる感覚が麻痺して大変だった。

 キッチンを使う時も、いつもの調子で調理してしまい、途中で気が付いて慌てて場所を聞いたりして誤魔化した。

 掃除道具も直ぐに持って来てしまい、皆から変な目で見られたから、母の実家と作りが似ているからとか言って誤魔化した。


 極めつけは、普通に二階のトイレに行こうとしていたら、蒼汰君に慌てて呼び止められた事だ。

 トイレに行くと普通に答えたら、蒼汰君がキョトンとしていた。

 そのあとトイレの中にある鏡を見て、やっと自分が美咲の姿だったと気が付いて、蒼汰君のキョトン顔を思いだして独りで笑ってしまったわ。


 皆と過ごすのがとても楽しかったから、思わずお暇する時間が三十分も遅れてしまった。

 でも、自分の住む家からお暇するのは不思議な感じ。

 急ぎ足で貸倉庫へと向かい、駆け足で夕食の買い物に行く。

 汗だくになってしまったけれど、何とかいつも通りの時間に家に帰って来られた。


 でも、慌てていたから、履いていた靴が学校に行く靴のままだった。

 取りあえず見られない様に靴箱の中に仕舞い、いつも通り食材を持ってキッチンへ。

 リビングの入口で結衣ちゃんとすれ違った時に、彼女が私をじっと見ていたから少し緊張した。でも、特に何も言われなかったから大丈夫。

 家にはまだ何人か残っていたので、あまり姿を見せないように仕事をした。


 ----


 皆が帰り少し遅い夕食を蒼汰さんと一緒に食べた。

 食事の後に蒼汰さんと話をしていると、呼び鈴が鳴り突然の来客。

 応対に出た蒼汰さんが玄関で揉めている様子だったので、様子を伺いに行くと見知らぬ女性がが蒼汰さんを睨みつけていた。


 どうしたのか尋ねたら、いきなり罵声を浴びせられた。

 話している内容で、この女性が蒼汰君のお父さんの前の奥さんだと分かった。

 蒼汰さんに酷い事をした継母だ。

 女性からとても酷い言い方をされて、蒼汰さんがとても苦しそうにしている。

 なにこの人?


 忘れ物の真珠のネックレスがどうとか言っていたので、部屋の片づけをしている時に見つけた物を持って行くと、泥棒扱いされた上に、また罵声を浴びせられた。

 蒼汰君良く耐えているわね……。私キレそうよ。


 忘れ物を渡し蒼汰さんが帰るように促すと、突然ヒステリーを起こし手当たり次第に物を投げつけだした。

 止めようと近づこうとしたら、蒼汰さんに制止された。

 蒼汰さんは苦しそうに、だたひたすら耐えている。

 あまりに酷いので、私が警察を呼ぶと言ったら、睨みつけて黙って出ていった。

 結衣ちゃんから少し聞いてはいたけれど、本当にとんでも無い人だ。

 蒼汰さんはあんなに酷い仕打ちをされたのに、その女の人が連れていた子どもに手を振っている。

 蒼汰君。あなたはどこまで優しいの……。


 心配で声を掛けたけれど、蒼汰君は大丈夫だと言って部屋に行ってしまった。

 でも、全然大丈夫には見えない。

 結衣ちゃんが言っていた”酷い事をされ続けて来た”を目の当たりにして、蒼汰君が必死に耐えて女性不信にまで陥った理由が分かった。本当に酷い人。


 蒼汰君……大丈夫な訳ないよね……。


 そう思うと、じっとして居られなくなり、体が勝手に動いた。

 階段を上がりドアが少し開いたままの部屋を覗くと、暗い部屋の中で蒼汰君が座り込んで震えていた。

 蒼汰君が独りで苦しむ姿に堪え切れなくなって、そのまま部屋に入って後ろから抱きしめてしまった……。


 ----


 部屋の中は二人の息づかいしか聞こえない。

 私は黙って蒼汰君を抱きしめていた。

 愛しくて涙が溢れそうになる。


 そのまま抱きしめていると、震えが段々と治まり蒼汰君は深呼吸をした。


「……来栖さん。ありがとう」


「大丈夫?」


「本当にありがとうございます」


「大変だったわね……」


「はい……」


 どの位の時間が経ったのか分からないけれど、そのまま蒼汰君を抱きしめていた。

 すると、蒼汰君が呟くようにポツリポツリと話し始めた。


「……来栖さんって不思議な人ですね」


「……どうしてですか」


「こうして目をつぶったままで抱きしめられていると、本当に不思議な気持ちになるんです」


「不思議な気持ちですか?」


「ええ。来栖さんは僕の大好きな人と同じ香りがするんですよ」


「えっ?」


「シャンプーとかの香りじゃなくて……その、何て言うか、汗ばんだ香りとか……。僕が堪らなく好きな娘と同じ香りがするんですよ……」


「……汗ですか?」


「ええ。それに何故なのかは分からないけれど、僕を抱きしめてくれている来栖さんが、大好きなその娘にしか思えなくなって来て……とても不思議なんです」


「蒼汰さんが好きな方とですか?」


「ええ。前にお話しした片思いの女の子の事です」


 え? え? 蒼汰君の片思いの相手って……もしかして。

 はっきりとは言われていないけれど、私は嬉しくなり思わず強く抱きしめてしまった。


「あの……来栖さん。お、お願いがあります」


「は、はい!」


「絶対に変な事はしませんから許して下さい」


 蒼汰君は急に振り向くと、目をつぶったまま私の胸に飛び込んで来た。

 危うく押し倒されそうになって身構えたけれど、蒼汰君は言った通りそれ以上の事は何もしなかった。

 ただ私の胸の間に顔を埋めたまま、じっと抱き付いているだけ。


 いや……じっとはしていないわね……。


 顔を左右に振って、私の胸でフニフニしている。

 ちょっ、ちょっと蒼汰君!


「来栖さん……。ここの感触も大好きな子と全く同じです。何でだろう……香りも同じで、もの凄く好き……」


 エホン。

 蒼汰君。今日は気が済むまで、そうしていても許してあげる。

 でもね、私はいつあなたにそんな事をさせたのかしら?

 全く記憶に無いのだけれど……。

 やっぱり片思いの相手って別の女の人?

 それとも、体育祭で私が倒れた時にこんな事をしたの? もしかして、修学旅行で見た夜の夢は現実? 


 上条蒼汰君。

 この件については、一度ゆっくり話し合いましょうね……。

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