第104話 「ルコラ王子」

 弓をつがえていた指が力なく外れ、緩んだげんと射られる事なく終わった矢と共に、ひとりの女が倒れた。

 女のひたいつらぬいた矢の周辺から、女の全身が凍り始める。

 女は冒険者風の装備を身に付け弓を得意としていたが、密かに狙っていたノースランド国王を彼女の弓の射程に捉える前に、そのノースランド王ピッツアが遥か遠くから放った一矢で射倒されたのだ。

 圧倒的な技量の差である。


 押し寄せる人馬に踏まれながら、無様な姿をさらしている女の名はゴウヤ。

 セロリィの持つ権力を笠に着て、自らの欲望を満たし続けて来た女は、味方に救われる事もなく王都の外れでむくろとなった。

 王都への移動中に、淫を求めて兵士と森で情事を楽しんだ後、男に変化したサキュバスバットに魅入られ、翌朝からびたむくろとなって発見されたドリアの死からひと月後の事である。


 ノースランド国とサンドランド国による宣戦布告から、まだ半年も経っていない。

 だが、チュオウノ国の王都は、三国の連合軍によって陥落寸前の状態へと追い込まれていた。


 ――――


 さかのぼる事、約二月ふたつき前。

 セロリィ女王の軍が守る国境の城塞は、本国が攻め込まれたと言う知らせが届くや否や、領地を守るために我先に逃げ去る貴族達の兵と、引き留めようとする兵により城壁内で同士討ちが発生するといった混乱状態に陥っていた。


 セイホーウ国側は、彼らが仕掛けた三国による壮大な反撃が始まった事を確信し、その隙を逃さず城塞に対し一気に攻勢を仕掛けた。

 戦意を削がれていたチュオウノ国兵はもろく、僅か数日で城塞は陥落してしまった。

 これ程堅固だった城塞の短期間での陥落は、女王が城塞から王都へと逃げ出した事も大きく影響したと言われている。


 その様な状況の中、城塞で指揮を執り続け、最後は黒衣をまとった騎士との一騎打ちで切り伏せられた者がいた。

 ルコラ王子である。

 彼は女王を無事に逃すために、敗色濃厚な城塞に留まりセイホーウ国軍の攻勢を正面から受けて見せたのだ。

 己の血だまりに伏せ薄れゆく意識の中で、ルコラには輝く白い翼を持つ大天使と、その脇に従う美しい従者達が見えた。

 彼は天より迎えが来たことを確信し、目を閉じた……。


 ――――


「皆、救える者は全員助けて! ここでの戦いは終わったのよ!」


 ルコラが再び目を開けた時、彼は自分が生きている事と目の前に広がる光景に目を疑った。

 敵であるはずの者達が、傷つき倒れた味方の兵士達に治癒ちゆを施し、命を救っているのだ。

 武器は回収されているが、救われた者達は拘束もされずに、その場に座り込んでいる。

 中には治癒の手伝いを始める者もおり、敵味方の区別なく助け合いが行われていたのだ。

 そしてそこには、死を覚悟した時に見た大天使の姿さえあった。


「目が覚めたか」


 ルコラが振り向くと、彼を切り伏せた黒衣の騎士が立っていた。

 周りの者の接し方から見るに、恐らく彼がセイホーウ国の王族か何かで、この軍の指揮官なのだろう。

 王の威厳すら感じる姿にルコラは感心していた。

 この者に負けたのであれば、悔いは無いとさえ思った。

 自分が救われたのは、生かす為では無く、皆の前で断罪し首を落とす為であろう。敗北した王族の行く末などその程度だ。

 最後は潔くりんとして死を受け入れたいと思っていた。


「お前は王子らしいな」


「ああ」


「ならば自国の民や兵を救うために、これから尽力せよ」


「……」


 ルコラは言われている意味が分からなかった、この王の如き男は自分に何をしろと言っているのだろうか。

 その時、思案を巡らせるルコラを更に混乱させる事が起きたのだ。

 先程から怪我人を救い、せわしなく働いている五人の娘が集まると、そこに歩み寄った黒衣の騎士がひざまずいたのだ。


「サキ女王。抵抗する残存兵の討伐を行わせておりますが、ご指示通り命は奪わぬ様にと伝えております」


「ありがとうございます。でも、クリス団長。女王は止めて下さい」


 娘が女王と呼ばれる事を拒むのを聞き更に謎が深まる。


「うふふ。サキ女王ー!」


「ハナちゃん! うるさいわね。貴方こそオーガ族の王でしょう?」


「それを言うなら、ドワーフ族の王のレイちゃんじゃない?」


「止めてよ。そんな柄じゃないんだから。ねえ、妖精王のお妃シズさん」


「違うから! 王とかお妃なんて呼び方はエルフ族の救世主ベニ様にこそ相応ふさわしいでしょう!」


「止めてよ! 私はアルちゃんの只の可愛い妻なのー」


 五人の娘達が一斉に笑い出し、周りに控えている者達もつられて笑顔になっている。

 意味が分からなかった。

 何かの冗談かと思ったが、楽し気に話す彼女達に付き従う者達の言葉や所作は、まさに王や王族に対するものなのだ。

 しかし、そこにはおびえや畏怖いふは無い。皆なごやかに話し、いつくしみ合っている。

 それどころか争った相手にさえ慈悲じひを与え、命を救っているのだ。

 ルコラは全てにおいて打ち負かされた気がした。

 エルフ族やドワーフ族、オーガ族や妖精達、更にノースランド国やサンドランド国までもがの者達と結ぶ理由が理解できたのだ。


「クリス殿」


 ルコラが呼び掛けると、黒衣騎士団の団長が振り向いた。


「我が身はどの様になっても構いません。我が国の民をひとりでも多く救うため、どうかあなた方に協力させて下さい」


 城塞の石畳に額を擦り付け、ルコラは慈悲を願った。

 ルコラの元に五人の娘と、彼女達に付き従う者達が集まる。

 レイがルコラの肩にそっと手を置いた……。

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