第58話 「不可侵の森」

 矢をつがえ、引き絞られた弓の列が半円を描いている。

 弓を構える者達の姿は特徴的で、細身で透き通る様に色白で、耳が尖り、りんとした美しき種族だ。

 その矢の向かう先に、白いコートの様な衣装をまとい、背中から黒い羽が生えた娘が倒れている。


「討ち取りますか?」


 弓を構えている者の一人が、腕を組みながら眺めている女に問いかけた。

 問いかけられた女は、輝く銀髪をなびかせ、美の神から祝福を受けているかの如く美しい顔をしている。その表情がやや曇った。


「一度助けた者を討ち取るか……」


「それは、我が種族の者かと思い、空から落下して来た所を救ったまで。この様な亜人を、我らが聖域に立ち入らせてはなりません」


「ふむ。しかし、この背中の小さな羽で、空を飛べると思うか?」


「されど、我がエルフ族の聖域への侵入者には変わりは無いかと……」


「ふむ……」


「如何されます」


「回復させて話を聞いてみましょう。排除する事はいつでも出来る」


 女の指示を聞き、弓を構えていた者達は一糸乱れぬ動作で素早く矢を戻し、流れる様な動作で弓を背に掛けた。

 そのまま倒れている娘を囲むと、手をかざし治癒ちゆを施し始めた。


 ――――


「私はベニと言います。助けてくれてありがとう」


 ベニはエルフ達の治癒により意識が戻り。落ちて来た理由を問われると、覚えている事を伝え始めた。

 ベニを囲むエルフ達に弓を構えている者は居ないが、この侵入者が不穏な行動を起こせば瞬時に対応できる位置を取っている。

 もし、ベニが逃げ出したり攻撃を仕掛ける様な事をしたならば、素早く突き出される剣によって命を落とすだろう。


「ここは何処なの?」


「不可侵の森」


「不可侵……セイホーウ国とノースランド国の間にある?」


「そう、我らがエルフ族の聖域を守る森だ」


 エルフ族の青年が胸を張る。

 彼は美しい金髪をたたえ、男性とは思えない綺麗な顔立ちをしていた。


「嬉しい! 『うるわしきエルフの都』があるのでしょう!」


「喜ぶのは勝手だが、お前を生かすかどうかは未だ決まっていない」


「どうせ殺すのなら、この目で都を見てからにしてよ」


「……」


「フフ。なかなか豪胆ごうたんな娘だな」


 銀髪の美しいエルフが可笑しそうに体を揺らす。

 その反応に、ベニを詰問していた金髪の青年は肩をすくめていた。


「そう言えば、私以外には誰も降って来ていませんか?」


「森の全域が分かる訳では無いが、この近辺ではお前だけだ」


「そうですか……」


 ベニの表情が曇る。手を胸の前で組むと、皆が無事であることを祈った。


「それで、この者をどうするのですか?」


 ベニを助けたエルフ達の視線が、銀髪のエルフに集まる。


「今のところ害意は感じられない。都に連れ帰り、判断は評議会に任せよう」


 銀髪の美しいエルフがマントをひるがえして歩き始めた。他の者達もそれに続き森の中を歩き始める。

 ベニは拘束こそされていないが、二人のエルフに挟まれながら彼女達に付いて行った。




 緑の生い茂る森は、静寂せいじゃくに包まれている。

 時より鳥のさえずりや動物たちの鳴き声が聞こえて来るが、森は静まり返っていた。

 ベニが落ちていた木の枝を踏む音だけが響き渡る。


「お前は歩くのが下手だな」


 ベニはそう言われて初めて気が付いた。エルフ族は森を歩く時に全く足音がしないのだ。

 エルフ達の不可侵の森が、不可侵のまま保たれている理由の一端が垣間かいま見えた気がした。


 しばらく歩き森が途切れると、断崖の上に築かれた美しい城が見えて来た。

 断崖は滝と峡谷きょうこくに挟まれ、架けられた数本の橋を渡る以外は、空でも飛ばなければたどり着く事は不可能に見える。

 滝から流れ落ちる大量の水は、峡谷の底に辿り着く前に霧になり、そのかすみで断崖の高さがどれ程なのか見て取る事は出来なかった。

 断崖にそびえるこの美しい城こそ、不可侵の森にあるエルフ族の都であり、『麗しきエルフの都』と語られる場所である。

 近年、他種族でこの都を見た者は殆どいない。


 この不可侵の森は、南方をセイホーウ国、北方をノースランド国と接している。

 東西は山脈にさえぎられているが、南北にある両国とは、特に高い山脈や断崖によって遮られている訳では無い。

 鬱蒼うっそうとした、この巨大な森が広がっているだけだ。


 しかし、この森を通過する者は居ない。

 ここ数百年の間、不可侵の森に立ち入る事は、他種族には認められていないからだ。

 もし無断で立ち入ると、音もなく現れるエルフ達によって命を絶たれる。

 その為『麗しきエルフの都』は幻とまで言われている程なのだ。

 

 ベニは目前に迫って来た、壮麗そうれいで美しい都の姿に見惚みとれながら歩いている。

 一旦命を救われたベニだが、彼女の生殺せいさつについては未だ結論は出ていない。彼女は客人ではなく聖域への侵入者なのだ。

 彼女の命は、他種族をみ嫌うエルフ族の「評議会」という組織の判断に委ねられる事になっている。

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