お前、女だったのか

七草はるの

第1話 ユメウツツ


 桜散る川沿いの景色が流れていくのを眺めていたら、聞き馴染みのあるメロディと共にスマホが振動した。


 慣れた手つきで安直に考えたパスワードを打ち込むと、友人からカラオケへの誘い文句がパッと表示される。


「ん、かやちーとあーちゃんか」


 絵文字をつけた断りの返信をすると、数秒も経たぬうちに号泣するスタンプと共に了解の旨の連絡が届いた。


「よし、と」


 四月十日土曜日の午前七時半。

 世間では、というか私を含めて多くの高校生が入学式を終えて初めての休日だ。新入生は新しい友達とどこか遊びに行くなり、家族と一緒に入学に必要な諸々を買い揃えたりしているのがほとんどだろう。

 まあ、わざわざそんなことを語る時点で私はそうではない。


 スマホに落としていた目を窓の外に向けると、何もない浜辺と田舎くさい町並みが目に映る。幼稚園生の頃に私が住んでいた当時はどこまでも続く大きな町のように感じていたが、高校生にもなった今からすれば小さく寂れた町という印象をどうしても抱いてしまう。


矢城ヶ浜やしろがはま。矢城ヶ浜』


 目的の駅の名前がアナウンスされると同時に、自動ドアがゆっくりと開くと、ふわりと潮の香りが鼻の前を掠めた。ホームには砂浜から巻き上げられた砂が所々に小さな山を作り、錆びた空き缶が自販機の横に置かれたままになっていた。


「うわ。懐かしすぎてこわ


 ホームを降りて改札を出ても変わらないのんびりとした雰囲気は、いつもの街よりも時間の進みが遅いようにすら感じる。

 そこそこ都会の街からわずか七駅しか離れていないとはとても思えないような光景だが、懐かしさの補正というのもあって私は少し気分が上がっていた。

 いや、気分が上がっているのは、場所のせいというよりも理由のせいかもしれない。


 私、宇津々うつつ奈緒なおは今日、十年越しに初恋の相手と出会う約束をしているのだ。

 している、とは言ったものの、実際は幼稚園生の別れ際の約束。相手がそれを憶えているという保証はないものの、もし出会えたらと思わずにはいられなかった。


 私はいつも幼稚園終わりにとある公園に遊びに行っており、そこでニシ君という男の子とよく遊んでいた。ニシ君とは仲が良く、昔は男っぽかった私は運動神経が良い彼に憧れ、キャッチボールなどをよくやったものだ。

 小学校に入学する前に私の引っ越しが決まり、ニシ君とは離れ離れになってしまったのだが、その時に彼と私はとある約束をしたのだ。


『十年後にこの場所でまた逢おう』


 十年前の今日。

 前々から引っ越すことを言おう言おうとはしていたのだが、中々言い出せなくて、結局引っ越す前日というタイミングでカミングアウトしたのだ。

 そのことをニシ君は怒ることもなく、少し寂しそうな顔をした後にいつもの笑顔に戻り、この提案をしてくれたのだ。

 それが丁度高校生になる年齢だなんて彼が考えていたとはとても思えないけど、十年という月日は奇跡的にも高校入学のタイミングだった。


 それが偶然か奇跡かなんて見当もつかないけれど、乙女心をお花畑にするには十二分の効果を持っていた。


「よっ、と」


 ひょい、とガードレールを飛び越えて、昔見つけた公園までの近道を通る。昔は潜っていた場所も、今じゃ軽々飛び越せる。


 昔は運動が苦手だった私も積極的にスポーツを始め、気付けばすっかりバスケット少女だ。地味目だった雰囲気も中学に上がる頃にはさっぱり無くなり、いわゆるギャル街道を突っ走っていた。

 髪は生まれつき茶髪と嘘をついてすっかり染め上げているし、うっすらではあるものの化粧をして学校に行く。自分で言うのもなんだけど、いわゆるスクールカーストでは上位に位置しているタイプだ。


 ニシ君の横に並ぶなら、格好良くてカワイイ女の子になっていたい。そんな思いで努力を続けていたら、気付けばそうなっていた。


 そんなことを考えているうちに、例の公園が見えてきた。


 幼い頃はもっと駅から距離があったように感じていたが、徒歩十分もかからない距離にあったのか。と、少し拍子抜けしてしまう。

 まあ、近いに越したことはないのだけれど。


 閑散とした公園には二つのベンチと一台の自販機。

 砂場と滑り台、そして小さなシーソーがあるくらいで、今考えてみるとキャッチボールをするには少しばかり狭い場所だった。


「……ま、いないか」


 今は午前八時。

 公園内を見回しても、いるのは犬の散歩をするおじいちゃんと植え込みで虫を追いかける二人の子供。それからベンチに一人読書にふける黒髪の少女くらいのものだった。


 馬鹿な私とてそんな簡単に出逢えるとは思っていない。


 十年前の約束だし、指定した日時は今日。


 その為に友人の誘いを断ってまで一日丸ごと使うと決めたのだ。お昼ご飯も持ってきたし、なんなら少し遅くまでは待つつもりだ。


 ぽてんと空いている方のベンチに腰掛け、ふうと息をついた。

 十年間夢見たのだ。待つのなんて慣れっこだ。


 ✳︎ ✳︎ ✳︎


 時刻は午後七時三十分。


 夕焼けが綺麗。という時間帯は過ぎ、段々と空が暗くなってくる頃合いだ。ベンチの上にある雨避けに取り付けられた電灯がパチパチと音を立てて光始め、ベンチの周りだけがポツンと世界に取り残されたような錯覚に陥る。


 スマホでは友人から『まだ頑張ってるの?』とメッセージが送られてきていた。


「うっせ」


 続いて含み笑いのあるスタンプが送られてきたので、うんざりしている顔のうさぎのスタンプを返しておいた。


「……はあ」


 頑張る、かあ。


 まあ、確かに十年も前の約束を鵜呑みにして一日公園のベンチで思い人を待ち続けるという行為は世間一般では頑張るに該当するのかもしれない。

 実際に私の精神も大分疲弊していた。


 上を向いた首を横に倒して隣のベンチを見ると、相変わらず黙々と読書を続ける少女が目に映る。妖怪かよ。


 私も何か暇つぶしできるモノ持ってくればよかったなあ。

 バスケットボールの一つでもあれば適当に時間潰しが出来るのだが、生憎と手元にあるのは化粧ポーチとスマホだけ。

 スマホさえあれば時間潰しくらいいくらでも出来ると思っていたが、その目論見は始めの一時間であっさり崩れ去った。

 いや、暇は確かに潰せるんだけど。何故か唐突に寂しさが加速するからむしろナシだ。


「……寒っ」


 ぼうっとしていたら、夜風が過ぎ去り体温を奪っていた。


 腕時計を見るともう八時前だ。

 これ以上待ったところで、きっとニシ君は来ないだろう。


 一人で浮かれてたのが馬鹿みたいだが、どこかスッキリもした。

 そしてニシ君が超ブサメンであった時よりはダメージが小さいはずだ。幼い頃の補正ってすごいからね。昔見た映画とか見直してみ。意外と微妙なん多いから。


「うしっ、と」


 意を決して、ぴょんと立ち上がる。

 そしてベンチ前にある古びた自販機の前まで歩いていく。


 田舎なだけあって外はどこも暗く、公園内ではベンチ下と自販機前だけが特別な空間のようだ。


「あ、あるある」


 まだ四月の上旬だからか、ちゃんとあったか〜い商品が置かれていた。私は基本寒がりなので、夏真っ盛りでも一種類くらいはあったか〜い商品を置いてほしいと思う。

 ラインナップを一通り見ても結局買うのはホットココア一択だ。


 小銭を入れ、ボタンを押し、ゴトンゴトンと容器が取り出し口に落ちる音がする。


「あっち!」


 雑に缶に手を伸ばして引っ込める。

 これ毎回やってる気がするなあ。


 今度は袖で缶を握り、私はそのままベンチに座る女の方へ歩いて行った。


「おい」 


「……なんでしょう」


 髪で隠れていた女の顔がようやく目に映る。


 整ってるけど、なんていうか、めっちゃ地味だ。

 馬鹿な表現だけど、頭良さそう。みたいな感じ。

 日本人形を雑に扱ったら報復に来る女ってイメージだ。


「これ、やるよ」


 ぽい、とホットココアの缶を渡す。


 優しさ、とかじゃない。

 この寒い中、一人で温かいココアを啜るのに抵抗があったのだ。


 受け取る、というよりも、私に投げられて受け取らざるを得なかった感じだったが、それは私にとってどうでもいい。


「……あ、ありがと」


 こっちの目も見ないでボソボソとした感謝の言葉が返ってくる。陰キャかよ。


 でもまあ、そりゃそうか。

 形式上の感謝の言葉といった雰囲気だったが、勝手に私がココアを投げ渡したのだ。

 無愛想にもなるだろう。


「……まだ何か?」


「いや、なんも」


 他に話すこともない。

 くるりときびすを返し、手をひらひらと振り、私は帰路に向かう。


「じゃーな」


 言葉は返ってこなかった。


 別にいい。下手に呼び止められても、こんな奴と会話なんか続かないし。


 一日無駄にした、というコメントを泣いた絵文字と一緒に友達に送り、私は人の少ない電車に乗って自宅に帰った。


 それにしても、ニシ君来なかったなあ。

 なんて、約束が叶わなかったことを結構引きずってるのに気付いたのは、翌日の日曜日だった。

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