リノス公爵

 吸血鬼研究所には何度かきたことがある。

 ここは長いこと吸血鬼たちの悪夢だった。いまは絶望に昇格した。

 

 この古い城には地下にその絶望の研究所はある。

 オーリアパレスの地下牢は、最初は人間の罪人をとらえていた。

 領主が狩人協会に加わってからは、吸血鬼を拘束し、そして探求が始まった。

 狩人たちは銀という武器を手に入れ、魔術までも武器として整備した。


 アンナとともにかび臭い地下通路をゆく。

 すれ違う博識そうな男たちは、俺を見るなり、足をとめた。


「アーカム・アルドレアだ……っ」

「伝説の男……っ」

「ついにオーリアパレス入りを果たしたか」

「じきに始まるな。地獄がやってくるぞ」


 ひそひそと話す声を聞こえないふりをして、俺は研究所をゆく。


 俺とアンナは足をとめる。

 廊下の一角、モップを手にした幼い少女が、血みどろの壁を掃除していた。


「帝国の進化論者のアジトみたい」

「そうですか? 俺はそうは思いません」


 たしかにこの研究所は、そこかしこが血で汚れ、清掃員たちは使い古された濡れモップで終わりない掃除をくりかえしてる。耳を澄ませば、もっと地下深い場所から、噴霧銀により力を抑制された怪物の悲痛な叫び声が聞こえてくることだろう。


「すごく邪悪な研究が行われてるって感じ」

「進化論者は人間と怪物をバラシてました。ここが腑分けするのは怪物だけです」

「それ新しい冗談?」

「だめでした? アヴォンにはウケたのに」

「うん、いまいち」


 狩人協会を擁護したつもりだったが、上手くいかなかったか。まぁ具体的な研究内容や理念をのぞけば、生き物をいじくりまわしていることは帝国の進化論者たちと変わりない。


「見た目で判断しちゃだめですよ。清掃員には同情しますけど」


 アンナいわく邪悪で暗くて湿った研究所の奥、所長室にやってきた。

 ノックをして、部屋のなかから「どうぞ」と許可をもらい入室する。

 執務にあたっていた老齢の男性は、顔をあげ、嬉しそうな顔をした。


「意外と遅かったな、アーカム・アルドレア」

「リノス公爵、お久しぶりです」

「前回の狩人の円卓以来かな」


 ハイド・リノス。オーリアパレスの城主であり、この地の領主であり、吸血鬼研究所の所長でもある。


「そっちはアンナ・エースカロリか。姉に似て美人だな」

「お姉ちゃんより美人って有名だよ」

「ふむ、やはり姉に似ている」


 澄まして梅色の髪をはらうアンナ。

 

「こいつと仲良いの?」


 アンナが耳打ちするようにたずねてくる。

 

「大親友だとも、アンナ・エースカロリ」


 答えたのはリノス公爵だ。

 彼はたちあがり、腕をもちあげる。

 白い手袋を外すと金属製の五指が滑らかに波打つように動いた。


「それはアース技術の……」

「いかにも。アーカムが私にプレゼントしてくれたんだ。まだ夜の闇のなかで怪物と戦っていた頃、怪我をしてしまってね」


 悪いことを聞いたと思ったのか「そうなんだ……」と、シュンとするアンナに対し、リノス公爵は機嫌よさそうに白手袋をはめなおす。

 

「公爵、手の調子はその後どうですか。不具合などは」

「何もないよ。教えてもらったメンテナンスも簡単だしね」

「それはよかったです。気に入ってもらっているようで」


 22世紀のサイボーグ技術は、政治的なお土産としてはとても有用だった。

 リノス公爵に近づくためと言えば聞こえは悪いだろうが……兎にも角にも、俺はあの筋電義手をプレゼントし、彼と仲良くなり、今回の作戦にこぎつけた。


「あなたの城を戦場に変えてしまうことをどうか許してください」

「その話はもうしただろう。構わないさ。この地に絶滅指導者の灰燼が撒かれるのなら私は最高だ」


 リノス公爵は己の胸板を手で示す。


「絶滅指導者が死なずとも、アーカム、君の追っているという別世界の脅威を打倒できるのならそれもまた私の喜びだ。どのみち最高。全員がハッピーになれる」

「そう言ってもらえると僕も気が楽です」

「オーリアパレスは臨戦態勢だ。いつだってやつらを迎え討てる。狩人たちも君を最後にそろったしね。研究所の整理もとっくに済んでいる」


 リノス公爵は笑顔をふと曇らせ、「ひとつ残念なことがあった」と指をたてた。

 俺は不穏な空気に変わったのを察知し険しい顔で「なにか問題でも?」とたずねる。


「吸血鬼研究所で飼育していた怪物どもは、貴重な被験体だ。やつらを捕獲するのは殺すよりも難しい。そうだろう? だから、ほかの研究所に移動させたかったのがね……情報漏洩を防ぐため移送はリスクと判断されてね」

「ええ、そうでしたね。怪物の移送は危ないです」

「だから処分をおこなったんだ。それを君にも見せたかった」

「処分ですか」

「そうだ、処分だ。私は自分のことを残酷な人間じゃないと思ってた。でも、怪物をまえにするとどうしようもない怒りがこみあげてくる。すごく楽しかった。やつらが閉じ込められている檻に順番にいって、被験体たちを処分するのは」


 愉快げにリノス公爵は言って、腰に差してあった協会製の短銃をぬいた。


「これでバン! 一発だ。やつらは怯えていた。殺して隣の檻へ! 殺して隣の檻へ! ……夢のような時間だった。あの一時間で私は32体の怪物を殺し、うち吸血鬼は11匹いた。懐かしいよ、辺境の村に隠れていた吸血鬼をあぶりだし、狩り殺すために、入念に作戦を練り、何人もの犠牲をだしたあの日々が!」


 瞼を閉じて、天井をあおぐ老狩人は、目の端から涙をツーっとしたたらせる。


「これほど狩りが進化するなんて。感動だ。でも、一抹の恐怖もあった。私はね、この銃という武器を初めて使ったが、すごく恐ろしいと思ったのだ。これは怪物を殺す難易度をさげたが、同時に人間を殺す難易度もさげてしまった」

「……いかにも。リノス公爵の考えている通りです。それは危険なものです」

「そうだろう? まぁ良いものは使うがな。怪物をぶっ殺すにはこれ以上のものはない。虫けらのように殺してやるんだ。だから、これは最高だ。あぁ最高だとも」


 リノス公爵は短銃をふりふりして、心から漏れ出した感情をそのままに「ありがとう、アーカム」と熱い吐息をかすれた言葉にした。


「多くの狩人が救われる。否、人間が救われる。ここまで積みあがった屍の先に、勝利が見える。この地が歴史をつくりだす。あぁ光栄なことこのうえない」

「思ったより前向きなようで何よりです」


 恨まれてもおかしくないと思ってた。ここは彼の故郷どころか家そのものであり、権威と名誉、一族が受け継いできた地だ。いかに誇りある狩人といえど、自分の家、自分の一族の地を意図的に地獄に変えるのは嫌がる。それがどんな名誉でも。


「とにかく、アーカム・アルドレア、そしてアンナ・エースカロリ。オーリアパレスへようこそ。すぐに血の香りを飽きるほど嗅ぐことになるだろうが、それまではゆっくりくつろいでくれたまへよ。部屋をすぐに用意させよう。君たちは賓客だ」

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