ゲンゼディーフ(本妻)の寛容
大樹に拘束されて太陽が昇ってくる頃、屋敷にフラッシュが帰ってきた。彼は1日をクルクマの警邏から始める。ああして見回りしていることで、怪物や野盗、そのほか脅威からこのちいさな村は守られているのである。
フラッシュが俺に気がついて興味津々に近づいてくる。俺は笑顔で迎えた。
「おはようございます、義兄さん、いい朝ですね」
「そうだなぁ、最高の朝だ。すごく楽しそうだな、アーカム」
「そう見えますかね」
「ああ、すごく楽しそうだ」
「義兄さん、お願いです助けてください」
「助けると思うか? 俺が? 冗談だろう、アーカム」
フラッシュは顎のしごきながら巨樹に背を預けて頭をぽんぽんしてくる。
「ゲンゼのやつを相当怒らせなきゃこうはならない。なにしたんだ」
「ちょっと言えないです」
「言えよ、なにしたんだ。内容次第じゃ俺が助けてやらないこともない」
「絶対にありえないでしょう。義兄さんいつも俺のこと殺そうとしてるじゃないすか」
「それも昔の話だろうよ。今はお前のことを認めてるんだ。絶滅指導者殺し。狩人協会の新星。うちのゲンゼは訳ありだからな、腕のたつ野郎じゃないとパートナーとして認めるわけにはいかんのさ。兄として妹に安全で幸せにいてほしいと思うのは当然だろう」
まあ、たしかに最近はすいぶん角が取れてきた。以前のフラッシュと比べればという意味だが。
フラッシュは「で、何したんだよ」と再び話題を振り出しに戻した。
「だから言いませんよ。すげえ聞きたがるじゃないですか、義兄さん」
「そりゃあ屋敷の前に見知らぬ樹が立ってて、妹の旦那がそこに詰められてたら気になるだろう?」
「いやそうなんですけど……あ」
玄関がガチャっと勢いよく開いた。
出てくるのは2つの影。梅髪の美女と、黒耳をロケット耳みたいに不機嫌に尖らせる獣娘だ。片方は昨夜すっごいえっちした浮気相手。片方が憤怒の妻である。修羅場が歩いて近づいてくるので、可能なら空飛んで逃げたかった。樹に詰められているのでそんなことできるわけもないのだが。
アンナとゲンゼは並びたって目の前までやってくる。
「アーカム、先ほどはすみません。少し頭に血が昇っていました」
ゲンゼはそう言い、申し訳なさそうにロッドで地面をトンっと突いた。緑色の魔力が大地を駆け巡り、俺を4時間ほど拘束した巨樹へと干渉する。木の幹が解けて、締め付けから解放された。
俺は顔で「出ていいの……?」とゲンゼに尋ねつつ、うなづくゲンゼの姿を見て、そっと幹から這い出た。久しぶりに両足で地面にたった。でも背筋を伸ばすことはできなかった。申し訳なさで、背が縮こまってしまう。
ゲンゼが次に何を言い出すのか。アンナが横にいるこの状況はどういうことなのか。わからないこととはこんなにも恐ろしいのか。
「私はアーカムよりずっと大人です。賢者です。永い時を生きてきました。時には他者に助言を与えたり、迷う者に人生の導きを与えたり。年長なんです。すっごく。誰よりも大人なんです。なのについカッとなってしまいました」
ゲンゼさんの実年齢は本人の口から聞いたことはない。
彼女は草属性式魔術を極限まで極めた結果、転生術を身につけている。
生と死を繰りかえすのだ。年老いたら樹になって眠り、また時を超えて蘇る。
ある情報筋によると『1,000歳超えてますねえ、そんな気がしますねえ、いや勘なんですけどね』との報告があがってきてるので、まあそういうことだ。
「アーカム、とりあえず報告を。アンナとは4時間ほど協議をしました」
ゲンゼは改まった風にいう。
アンナを見やる。胸の前で腕を組んで静かに目を閉じている。ゲンゼに任せるといった感じだ。
てっきり殺し合いになるのかな、とか思ってたんだが、この分だと話し合いはなんらかの落とし所を見つけた感じなのかな。
こちらとしては「俺のために争わないでくれ!」と言って、死闘を繰り広げるふたりを止める気満々だったのだが。いや、浮気した野郎がなに言ってるって感じだが、そこは一旦置いておいてさ。
「待て、これはなんの話なんだ」
フラッシュはひとり状況がわかってない。
「フラッシュ、今話すとややこしくなるので少し静かに」
「お兄ちゃんはお前の身が心配で━━━━」
ゲンゼはロッドでトンっと地面を突く。フラッシュの足元からツタが急速に成長し、彼の身体を拘束し、先ほど俺が囚われていた巨樹のなかに頭から飲み込まれていく。ゲンゼさんは兄の扱いがたまに雑になります。不憫だ。
「少し歩きましょう」
ゲンゼは言って門のほうへいく。俺とアンナは後に続く。
3人で長閑なクルクマを歩きながら、俺は肩身を狭くして「ゲンゼディーフさん?」と恐る恐るたずねた。
「まあ、アンナの言い分もわからないではないです。私は年長者ですし、賢者です。様々なことを経験してきてます」
「はあ」
「私はアーカムに呪いを掛け、だけど私は逃げてしまいました。あなたと一緒になることが恐ろしくて。あの時のあなたはまだ小さな子供で、この世の摂理などわかるわけもなく、ましてや男女の情緒など知るはずもなかった。だから、たくさん見聞を積んで欲しかった。でも、それによってあなたに解けない呪いを植え付けてしまった」
「別に気にしてないですよ。今となっては」
「ええ、今となっては。でも、当時は違った。その点アンナには功績があります。私がアーカムのそばにいない間、ずっとアーカムのことを守ってきて、一緒に戦ってきた。たくさんの戦いがあったことは知ってます」
「うんうん、たくさんあった」
アンナっちオンライン。相槌を重ねます。
ゲンゼはすこしジトっとした目でアンナを一瞥する。
「でも、泥棒猫は許せない。アーカムは私の夫です」
アンナとゲンゼの視線が交差する。
まずい。争いの気配だ。ここか? ここなのか? ここで言うか?
「俺のために争わないでくれ━━━━!」
「「うるさい、この裏切り者っ!」」
両サイドから拳が突き刺さる。俺は膝から崩れ落ちた。
だめだ、余計なこと言わないようにしよう、俺の人権がこの場では弱すぎる。俺の発言にはなんのチカラもない。最低最悪の浮気クソ野郎。それが今の俺だ。
「す、すみません……」
「アーカムはずっと私と一緒にだったのに、アーケストレスについた途端いきなり現れたわんわんにデレデレしだしてびっくりだったんだよ」
「アンナ、その話はやめましょう。私からしたらアーカムとの婚約は運命の絆としか言いようがないものです。アーカムとの身体の相性だって抜群です」
「アーカムは私とのほうが良かったて言ってた」
「言ってないよね、アンナっち? 捏造はやめてください、ゲンゼこのアンナは嘘つきアンナですから」
嘘は訂正しておかないと。暴れられたら一番厄介なのはゲンゼだ。
「とにかく! その話はいいです。アンナ、話を進めますよ?」
「ごめん、ちょっと熱くなっちゃった。黙るよ」
アンナはお口にチャックするジェスチャーをする。俺が教えたやつだ。
「とにかく隙を与えたのは事実です。アンナの気持ちもさっき散々教えてもらいました。どうやらアーカムのことが好きで好きで仕方がないらしいです。毎日頭をなでなでしながら1日中べったりしたいとか」
「ゲンゼ、私そんなこと言ってないよね?」
「言ってました。やはり嘘つきアンナですね」
「でしょ? ゲンゼ、このアンナはよく嘘つきアンナになるんです」
「アンナがアーカムを愛してるのはわかりました。命を賭してお互いに死線を越えてきたのも想像できますし、納得できます。その絆が嘘だなんて思わない。私は論理と法則、真実や正当性を無視することはできない。魔法使いとして。だから、アンナにも資格があると理屈では理解できるのです。なによりアーケストレス魔術王国では助けられましたし、アーカムと共に戦いその身を守ってもらっている恩義もある。そうしたすべての要因を加味すれば、大の大人として、アーカムを愛することを許さないことはないです。気分の良いものではないですが」
「つまり浮気し放題ってことでしょうか、ゲンゼさん」
「おちんちん切り取りますよ、アーカム」
「冗談です。すみません」
ひょうきんなジョークで場を和ませようとしたが失敗しました。はい。
「アルドレアは三位騎士貴族ですし、側室のひとりやふたり、いても不自然じゃないです。なので気持ち的にはそこら辺を落とし所にしてもいいです。でも、大事なのは形なんかよりも中身です。アーカム」
「は、はい……」
「私のこと愛してますか」
「もちろん! ゲンゼのこと大好きです、1年間抱きしめてもふもふしてたいです!」
「当然ですね」
「ずっとぺろぺろだってできます、ゲンゼをおかずにしてバスケット一杯のパンを食べれるくらいです! 酸素よりゲンゼの体臭のほうが━━」
「アーカム黙ってくれますか。それ以上は気持ち悪いかもです」
「でも、ゲンゼ俺のことぺろぺろするのは好きな証とか━━」
「今はその話はいいんですよ」
ゲンゼは薄く頬を染め、ロッドで叩いてくる。彼女は夜の営みの時めっちゃぺろぺろしてきますが、そのことは今はいいんですね。わかりました。
「まあ、アーカムが私の大好きなのは伝わったのでいいとします」
ゲンゼはチラッとアンナを見て牽制する。可愛い。
「アーカムは私のことも好きでしょ?」
アンナはしょぼんっとした顔でたずねてくる。ちょっと泣きそうな顔だ。そんな顔しないでくれよ。
「そりゃ嫌いじゃないですよ。でも、今までそういう感じで見てこなくて……昨夜はマジでびっくりして……」
戸惑っているとゲンゼが身を寄せてくる。腕に抱きついて、頭を肩にトンっと乗せてきた。ふわふわ耳が首筋あたりをパチパチ叩く。くすぐったい。
「とりあえずアーカムは私のほうが好きということでいいですね」
「そんなことないよ、すぐに私のほうが好きになるよ」
「俺のために争わないでくれ! ふたりとも好きだぁあ!」
「アーカム、あんまり無責任なこと言わないでくれますか。腹立ちます」
「裏切り者。性欲の獣」
両者を守ろうとすると決まって死ぬほど軽蔑された目を向けられますね。
「とりあえず、アンナを家族として受け入れることはやぶさかではないです。もう2年も一緒に暮らしてますし、何かが劇的に変わることでもないです。でも私に寂しい思いをさせないでほしいです。不安にさせないでください。これは私の本音です。アーカムの本当は私のモノなんです。アンナにはたまに貸してあげるだけなんです、いいですか?」
「…………………………うん、まあ」
「奇妙な間があったのは気になりますよ、アンナ」
「いいよ別に。……いずれ借りパクするし……(小声)
最後になんか言ったが、よく聞こえなかった。
結局のところ『ゲンゼがたまに俺をアンナに貸してあげる』というのが、ゲンゼとアンナが4時間協議した結論ということだった。
それを伝えられた俺はなにを意見する権利があるわけもなく「あ、はい」と受け入れるほかなかった。
こうして終始肩身の狭い話い合いは一旦幕を閉じた。
「はぁ。そろそろ屋敷に戻りましょう。フラッシュを樹に埋めたままですし」
「ゲンゼ、お姫様抱っこしよっか?」
「そんな思いついたように優しくしなくていいですよ」
俺は頑張ってゲンゼのことを持ちあげる。結構重たい。でも、頑張れる範囲だ。
「アーカム顔真っ赤ですよ」
「大丈夫、大丈夫」
「アーカム、変わろうか」
「いやいや、アンナが持ったら意味ないですって」
なんやかんや騒ぎながら、満更でもなさそうなゲンゼを抱えて屋敷に戻るのであった。やはり俺の妻は可愛い。この賢者可愛い。
なんとか妻から許しらしきものを得た。
加えて今後についても、ゲンゼは寛大な姿勢を見せてくれそうだ。
正直、アンナへの気持ちはまだよくわからない。一夜の気の迷いだったような気もする。でも、彼女が俺をだいぶ好きということは明らかになった。それを受けて俺がどう変化するのか、まだ俺にはわからない。
ゲンゼには不幸になって欲しくない。だけど、アンナのことも不幸にしたくない。だけどそれは欲張りというもので……だからこそ俺は努力しないといけない。欲張った分、頑張ってみんな幸せにしないといけないのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます