一瞬で浮気がバレる男
「とれちゃう! とれちゃいますって、ああぁああ!」
「ゲンゼディーフとは朝までしてるくせに、私とはできないの?」
「い、いや、そういう、問題じゃ、あぁあ!」
夜のアンナザウルスは凶暴すぎた。あまりにも過激だった。
俺は精神的には彼女よりずっと大人なはずなのに、手も足もでなかった。
よく考えれば彼女は剣気圧をナチュラルに使えるので、身体能力で組み伏せられたら抵抗することは困難を極めるのは目に見えていた。俺はマナスーツを着込まなければ抵抗するという選択肢すら得られないのだ。
すべての選択肢から抵抗手段を考えるなら、もちろん抵抗できないわけではなかった。だが、そうはしなかった。それは俺が心のどこかで求めていたからだ。
より率直にいうなら、アンナの誘惑は魅力的で、断ることができなかった。
据え膳食わぬは男の恥という慣用句に責任転嫁することもできるように、アンナ・エースカロリという存在は、やはり非常に断りずらいのだ。
「う、ぅぅ、もう朝か……」
窓の外が明るい。
書斎の机のうえで夜通し遊んでしまった。
「アーカム、胸ばっか触りすぎ」
書斎机のうえでくたびれた俺の耳元でアンナはそう言い、最後に一度口付けすると、そっと起き上がり、服を着はじめた。俺は疲労困憊でこのまま眠りたい気分だったが、書斎机のうえですべてを晒したまま眠るわけにもいかない。
服に手を伸ばし、着込む。あぁ、どうしよう。どうしよう。
ゲンゼにバレたら殺される。殺される……ぅぅ!
「シャワー浴びてくる。あとで続きしよ」
「……ぇ?」
罪悪感に苛まれていると、アンナがとんでもないことを言った。
服を着る手が止まる。いまなんて言ったんだ。続き? 続きってなんだ……?
服を着たアンナが身を寄せて密着してきた。
柔らかい触感。いい香り。肌の温かさ。あぁ、脳が麻痺する。
「我慢させた分、責任とってよ……」
「い、いや、我慢させたわけじゃ……」
「嘘だ。性欲ないアピールしてた」
「して、ましたっけ……」
「絶対してた。でも、本当はゲンゼと毎晩いっぱいしてる獣だった」
「さっきまでの感じだと獣はアンナのほうじゃ……」
「お互いさまだよ」
アンナは頬を染め、恥ずかしそうにさっさと書斎を出ていってしまった。
あれ? ところで続きするんです? 普通に死にますが?
これ以上、搾り尽くされたら俺どうなるんですかね?
答えが返ってくることはなかった。
「俺も、シャワー、浴びるか……」
異世界転移船NEW HORIZONのシャワールームは、狩人協会クルクマ支部での人気の設備だ。キサラギによって修理されたシャワーなら、この匂いもとれるだろうか。いまはえろい臭いがしすぎである。
━━コンコン
「ちょっと待った!」
ドアがノックされ、反射的に俺は声を荒げた。
超直感よ、あの扉の先にいるのはだれだ!
『わかんない!』
んなわけねえだろ、お前ならわかるはずだ! 言え! 言うんだ!
超直感の返事はなく、だが、すぐに答えは得られた。
「アーカム、入りますよ」
「ちょっと待って、ゲンゼ、お願いだから待って!」
「待ちません、入ります!」
くっ! なんで頑ななんだっ!
よりにもよって一番まずいお方の登場だ!
まずい、不味すぎる。こんな場所をゲンゼに見られるわけにはいかない。
なにせこの部屋はいま夜の運動会の影響で散らかりまくって、あとついでに言えばいろいろ汚れて、浮気現場としてのクオリティが高すぎる。
不幸中の幸いは俺が服を着ていることと、アンナがここにいないことだ。
ならばゲンゼがあのドアを開けるまでの数秒で現場を隠蔽できるはずだ。
我が魔導を尽くして浮気は隠し通す。
一夜の過ちで、すべてを失うわけにはいかない!
そばにあったウェイリアスの杖をザっと手にとり、
膨大な水はすべてを飲み込む。温水ならば頑固な汚れも一撃で落ちる。
さあ証拠もろとも押し流すのだ。
「アーカム!」
ゲンゼが扉を開けた瞬間、書斎は温水の波動に飲み込まれた。
「ふにゃあ!」
「ゲンゼ━━━━!? ご、ごめん!」
波に飲まれ、部屋の外に流されていくゲンゼ。そこで彼女がお腹に子供を宿していることを思い出し、俺は自分の罪を隠すために、とんでもないことをしたことを自覚、ゲンゼを救うために収納魔術を使い、吹っ飛ぶゲンゼに追いつくべく、転移を行なって、彼女の身体を抱きとめた。
ぎりぎりで間に合った。
でも、お互いにほっかほっかでびしょ濡れになってしまった。
「もう! 朝からなにしてるの、アーカム!」
「ご、ごめん、なさい……ちょっと、いろいろ考える時間がなくて」
「アーカム、こっち!」
ゲンゼは怒っている風に俺の襟をつかみ、くんくんくんっと鼻を勢いよく動かした。全身くまなく、くんくん、され、ゲンゼの目元には深い影が落ちた。
「アーカム、誤魔化せると思ったの……?」
「…………………………」
さまざまな情報を脳みそで高速処理する。
彼女の言動の意味、俺が次に取るべきアクション。
ホカホカに濡れたゲンゼの蒼い瞳を見つめ、俺は口を開いた。
「本当にごめんなさい……」
「うぅ、この裏切り者ぉっ!」
10歳の頃から9年いっしょにいるので、もはやそういう気がなかったが、アンナを異性として認識した時━━わかってはいたが━━、やたら魅力的に見えた。幼馴染を意識する感覚ってこういうのなのかな、とか漠然と感じた。
アンナの整った顔立ちはもちろん、くびれた腰も、豊かな臀部も双丘も、彼女の女性らしさを強く修飾し、白い肌は触れ難く神秘的で、ほかでは見たことがない梅色の髪はすこし濡れたような艶やかさと色っぽさを誇っている。
ここまで語れば伝わると思うが、今回の夜の事件については、本当に俺が悪いのかについて疑問を抱く余地があるのだ。
責任の所在はアンナが可愛いことと、えろすぎることと、彼女が媚薬を盛ったこと、そして男性という性別の原理原則にすら波及するのである。
そもそも、オスというのは生物学的に多数のメスにアプローチできるように設計されている。これは人類進化の解答だ。すなわち俺はその人類の根源的な欲求に純粋に準じただけであり、それが悪だと言うことは人類には許されない。すくなくとも人類種以外だけが批判できる。もし俺の行動を批判したのならば、それは人類への批判であり、進化の歴史を選んだ祖先すべてへの宣戦布告だ。
浮気は悪いことだ。
そういう固定観念だけで俺を糾弾することなかれ。
いまこそ常識を疑え。俺は俺に道徳を説く者にそう言いたい。
「だから、ゲンゼ、もしかしたら俺の悪さは3割くらいで、残りの3割がアンナ、残りの4割は人類そのものにあるという論理でひとつどうですか」
「うるさいですっ! もうそんな戯言聞きたくありませんっ!」
「ひええ、本当にごめんなさい……! ゲンゼごめん!」
ただいま俺は巨樹に囚われている。
天を衝くほどの堅牢な幹の牢獄だ。
魔法使いゲンゼディーフを怒らせたらこうなるというよいモデルケースだろう。普段は穏やかで、優しい彼女でも流石に今回のはまずかった。
恐るべき樹木の魔法から逃れる方法はない。
彼女に許してもらうまで、俺は首だけ巨樹の幹からだす醜態をさらし続けることになるだろう。
「朝起きた時から、すごい匂いがしてましたよ! えっちすぎます! とんだけ元気に遊んでいたの! 信じられないです、妊娠してる嫁を置いて、こんな裏切りを!」
ゲンゼは目元に涙を浮かべながら、怒りに声を荒げ、さっさと屋敷のなかに戻っていってしまった。
「待って! ゲンゼ、本当に話を聞いて、ゲンゼのことを愛してるんですよ!」
「もう声も聞きたくないっ! 裏切り者ぉぉ!」
がんっ! 玄関を勢いよく閉める音は、巨木の生えた屋敷前に空虚に響いた。
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