夜のアンナザウルス
居間の安楽椅子で揺れるゲンゼのお腹にそっと手をおく。
白い手がうえから重なり、俺はそれを握り返す。
俺たちは幸福のなかにいる。
こんな心穏やかなことがあるだろうか。
「ゲンゼのお腹、たしかにすこし丸くなってきましたね」
テラの懐妊報告を受けた翌日。
ゲンゼへの愛おしさがましていた。
「こら、そんなこと言わないでください、アーカム。こうしたのはあなたの責任なのですよ」
「すみません、どうしたら許してくれますか」
「では、こうしましょう」
すこしムッとする嫁の気を諌めるべく唇を重ねる。
ほとんど茶番じみたやりとり。生前、こういう、なんというか、その、いちゃいちゃするやつのくだらなさに辟易したものだが……今はまあもう批判できる立場ではなくなってしまった。
「ゲンゼディーフさまがまたアーカムといちゃついてる!」
「フラッシュにいいつけろー!」
アルドレア邸には暗黒の末裔たちが大量にちょろちょろしているため、いちゃつくとすぐにバレる。そして報告がいく。
「別に俺も野暮なことはしないさ。ただでここでこうして茶を飲むだけさ」
義兄フラッシュは落ち着いてくれた。
一緒に暮らして長いこともあるが、なによりゲンゼが懐妊したことで諦めがついたのかもしれない。まあ、昨夜の決闘はひどいものだった。
彼は強い。非常に。ゲンゼと同じだ。長い眠りから目覚め、着々と古い時代のチカラを取り戻しつつある。雷神流開祖のチカラを。
今の彼が以前のような気象の荒さだったら、さばききれるかどうか……。
とはいえ、それも過去の話だ。
今はこうして俺とゲンゼがいちゃついているところに暗黒の末裔たちの報告とともにやってきて、じーっと見てきながら茶を嗜む程度である。
効果的な嫌がらせだ。フラッシュの監視の前じゃいちゃいちゃは続行できない。
「義兄さんが見てますから、またあとで」
「いいから」
「ちょ、ゲンゼ……っ」
熱いくちづけだった。舌が入ってくる。
いちゃいちゃ続行の構え、だと?
━━ぱりんっ
割れる音。見やればフラッシュのカップが割れて、床のうえが濡れていた。
ゲンゼにぺろぺろされるのを中断させ「爆弾を刺激するのは得策じゃないです」とゲンゼの肩をそっと押して離した。
「フラッシュのことを気にする必要はありませんよ?」
「いやいや無理ですよ、義兄さんのまえなんて……」
こうして俺たちの愛はつつがなく、ある程度の距離を保たれる。
その晩、アンナが書斎にやってきた。
ティーカップをふたつ持っての来訪だ。
「吸血鬼も最近は少なくなったね」
そんなこと言いながら、カップを差し出してくる。
「狩人協会の話では僕が絶滅指導者を討ったことが伝わってるらしいですね」
「みんなアーカムを怖がってるんだ」
「かもしれないです」
カップに口をつける。深みのある味わいだ。
「ところでアーカム」
「なんです」
アンナは懐から一冊の本を取り出した。
大変に見覚えのある装丁の本だ。
「それは……我がベストセラー、凶暴怪獣アンナザウルスシリーズ最新刊じゃないですか」
「アンナザウルス」
ついてバレたか。
いや、いつかはバレると思ってたんだけど。
だって書斎の本棚に献本が置いてあるし。
これはちょっとした挑戦だった。
題するなら「いつアンナは気づくでしょうか」と言う企画だ。
わりと長かった。1年半も気付かれなかった。
「いてっ」
すねを蹴られた。
「私こんな『がおー、がおー』言わないんだけど」
「い、いや、それはイメージのキャラクター化というものでしてね」
「こんな男の子を襲いまくって勘違いさせまくるキャラもおかしい」
いや、それも事実に基づいている。
かつてのアンナの色気は危険だった。
身体を密着させてきて、俺が動揺するのを楽しんでいた。
あれは間違いなく凶暴怪獣の一面といって差し支えないだろう。
「いや、アンナにそういう側面があったのは事実ですよ」
「そっか。わかった。じゃあ、これも仕方ないことだね。アーカムも認めてることだし、それに備えていなかったアーカムが悪いんだよね」
アンナは書斎の鍵を閉める。え?
そっと身を寄せてきた。あえ?
なんかすごく弾力のあるものが卑猥に形を歪めている。ふぁ!?
「がおー」
「な、何してるんですか……!?」
正面からぎゅーっと抱きついてくると、「そういえば、こんな感じだった」となに確信を得た顔つきになり、いろいろ撫でながら、顔を近づけてきた。
「ちょちょちょ、だ、だめですって、いきなり何がはじまったんです!?」
「うるさい。騒ぐと誰かにバレちゃうよ、わんわんいっぱいいるんだから」
ロケーションがまずい。ここはアルドレア邸だ。
書斎は2階の隅っこにあるからといって、夜の運動会をすれば物音がする。
ここには隠れる場所もない。扉を開けられたら一撃でバレる。
って、ロケーションだけじゃない。もっといろいろ貞操の問題が!
「アーカムは私のこと嫌い?」
「いや、そういう話じゃ」
「私は好きだよ」
「ふぇ?」
「泥棒されたものを取りかえすだけ」
「な、なにを」
「私がどんな気持ちでいたか、アーカムにはわからないよ」
アンナの力は強く、とても抵抗することができなかった。
いろいろ柔らかくて、抵抗したくなかった気持ちも、まあ、ないことはない。
「アーカムに性欲があるってわかってたら私が先にゴールしてたのに」
ぺろぺろされる。押し付けられる。いい匂いで、すべてが快適だった。
手が勝手に動いて気がついたらいろいろ触ってた。
熱に浮かされ、流されそうになる気持ちを必死に繋ぎ止めたが「ちょ、だ、だめですよ」「こら、アンナ、めっ」「う、うぁぁ……」と、徐々に抵抗力を削がれてしまい、結局、断ることができなかった。やたらと、えろい気分だった。
「な、なんでこんな……はっ! まさかこのお茶に媚薬が!?」
「気づいても遅い。いいからはやくしよ」
「アンナっち、困ります、そんなことされたら、あっ、アンナっち、困ります、俺にはゲンゼが、あっ、ちょま、あ、あああぁああ━━━━━━」
そのまま書斎で運動がはじまった。
激しい接近戦が繰り広げられたと言えるだろう。
夜のアンナザウルスはあまりに強すぎた。
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