帝城の屋根にて

 表情ひとつ変えず、アーカムは問い返す。


「絶滅指導者……彼は協力者だろう。どうして終わってから姿を現した」

「別に魔力のうねりを見たから飛んできただけよ」

「そうか、剣聖といっしょに向かって来られたら不都合だった。鈍臭くて助かる」

「挑発をしているつもり? 安い言葉遊び」

「事実を整理してるだけさ」

「剣聖が私の協力者だと本気で思っているの。このおじいさんは武力で支配することしか脳にない蛮人よ。いつだってこちらを斬れるように準備をしていた」


 少女は皇帝の付近で視線を泳がせる。 

 

「あなたが持っているのね。あの刀」

「なんのことだ」

「とぼけなくたっていいわよ。アガサ・アルヴェストンの剣よ」


(アガサ・アルヴェストン。ゲオニエス帝国二代皇帝の名前……彼の剣……ガーランド皇帝が使っていた黒い刀のことか)


「まったく何のことか不明だ」

「あの剣だけは行方を暗ませられたら困るわ。前回の復活祭で斬られてしまっているんだもの。王はそれを望んでいないの」


(前回の復活祭? 吸血鬼の王を斬った刀など……しかし、だれが?)


 アーカムは自分の手に入れた皇帝の得物『真実まこと』の価値を、まだ正しく認識できていないと察する。同時に眼前の吸血鬼が求めるのならば、畢竟、絶対に渡すわけにはいかないとも考えた。


「刀の力を恐れて剣聖に挑まなかったか。やはり、お前たちは臆病だ」

「賢いと言ってくれないかな、アルドレア。人間のなかには時に脅威的な存在が生まれるけど、でも、だからってどうってことないもの。待ってれば死ぬもの。わざわざリスクを負って戦う必要はないでしょう?」


(永遠の命を持つからこその考え方。彼らにとって俺たち狩人が全盛期でいられるせいぜい40年など、すぐに過ぎ去る。だからこそ腹立たしい)


「それに皇帝にはもっと頑張ってほしかったし、敵対するつもりなんかなかったんだよ。本当さ、私からは開戦するつもりはなかった」

「敵対もなにも議論が必要ないが、人間と吸血鬼では」

「そうでもないよ。私たちは議論できるはずだよ。ほら、こうして同じエーテル語を喋っているのだから。意思疎通できてる」

「そう思うなら、お前の仲間にいますぐ人間を食べるのをやめさせろ」

「それじゃあ、君は狩人協会に怪物狩りをやめさせられるの?」

「卵か先か、鶏が先か。そんな議論に発展させるつもりはない。争いの始まりは、より原始的な動機を持つ側だ。すなわち、食欲。お前たちが人間を食べないと生きていけない欠陥構造だから、狩人は戦わざるを得ない」

「それじゃあ、もしその欠陥構造を修復できるとしたら?」


 アーカムは眉間に皺を寄せる。

 絶滅指導者の言っている言葉の意味がわからなかった。

 

「私はさ、まあ、見てわかる通り穏健派でね。この絶え間ない争いの連鎖を嘆いてるんだよ。人間には技術がある。科学がある。怪物骨格移植術。私はさ、あれを陰ながらに突き詰めていって、いずれは私たち吸血鬼の身体を人間を必要としないものに変えてもらえないかと考えていたんだよ」

「不可能だ。そんな研究、数百年前に行われてる。お互いにわかってるはずだ」


 長い歴史を紐解けば、吸血鬼のなかにいわゆる穏健派が存在したことは事実だ。彼らは吸血鬼という種にはあってはならない、言葉の通じる人間への罪悪感があったという。もっとも狩人協会はそんな穏健派を実験道具にして使い潰してきたわけだが。逆もまたしかり。吸血鬼に服従するべきだとする邪教の類が勢力を拡大して、カルト、密教、そういったものが社会のあちこちで生まれている。そういう奴らは真っ当な人間を攫って、夜な夜な、吸血鬼に生贄を捧げている。


 敵方へ同情する者。敵方へ服従する者。

 どちらも巨大な流れのなかで不幸を生みだすだけだ。


 怪物と人間は相入れない。

 さんざん議論を重ね、実験をかさね、思想を矯正し、歩み寄ろうとし、そのいくつもの試みの果てに辿り着いた結論だ。もっとも宥和政策をとろうという試み自体異端であるし、成功したところで大局には影響を及ぼさないのだろうが。


「でも、技術は進歩するものだよ。そうでしょう、狩人」

「否定はしない。当然の摂理だ。だが、それとこれとは別だ。議論の余地はない。互いに積み上げた屍を忘れることなどできない」

「それでも、私は長い生命のなかで道を探してるんだ」

「探すのは勝手だ。俺は殺す。……それにお前が穏健を謳ったところで、お前は人間を食べる。それに全体を変えられないだろう」

「あはは、たしかに破綻してたや」


 少女はあっけらかんと笑った。


「あーはは、あーあ、おかしい。皇帝が怪物の死体を人間に移植してなにをしようと、興味なんかないんだよね。ただ、狩人協会と敵対してくれればそれでいい。私たちが手をくださずに消耗するんだしね」


 心底おかしそうにお腹を抱える。目元に浮かんだ涙を指でぬぐう。笑い声は冷たい夜の帝城にこだましている。


「いやはや、人間って……あぁ、本当にほうっておいても問題ないよね。勝手に争い合うし、勝手に死ぬし、ほら、結局、あなたも死んじゃったしね」

 

 皇帝を見あげながら少女はつぶやいた。


「おしゃべりはもういい」

「ふえ?」

「俺を殺すには好機だぞ。見ての通り、いくらか消耗してる。ここで殺さなければ、10年か、20年、あるいはもっと先、俺が生きている限りお前たちは震えて祈ることになる。俺に見つからないことを」

「あはっはは。威勢でも虚勢でも、私たちのことを理解していてそんな妄言を吐いているのなら、楽しいものだね」

「試してみればいい」


 自然と杖においた手に力がこもっていた。

 アーカムは背負ってきた。この2年間。彼は多くの死を目撃し、それゆえに失われていった者たちの絶望と後悔を聞いてきた。その果てに、意味を繋ぐという魂の救済を見いだした。それはかつて彼の師匠テニール・レザージャックや多くの狩人が手に入れた思いと同質のものであった。


 死を無駄にせず継承しつづける。 

 いつか辿り着く勝利の日のために。

 厄災の怪物たちの指導者、超厄災級に数えられる怪物を討ち滅ぼすことは、狩人協会の悲願だ。いまはアーカムの願いにもなっている。


「悩ましいね……アガサの剣は欲しいけど……」


 アーカムのことを舐め回すような赤い視線。

 値踏みする眼差しは、彼の脅威度を測っているようだ。


「うん、嫌だな。戦わないよ、戦うわけない。指導者殺しのアーカム・アルドレアなんて。あなたは危ない感じがする。実績ありだしね」


 少女は当たり前のように言い放つ。


「私はさ、別に求道者ってわけじゃないからさ、強い人間と戦うことに興味はないんだよ。まあ、みんなだいたいそうだけど。クトゥなんて誰よりもそうだったのに……テニール・レザージャックに手ずから引導を渡すことにこだわるから、かわいそうに滅ぼされちゃった。私は人間の可能性っていうのかな、そういうの侮ってないんだよ。それにもうずいぶん長く戦ってるんだ、狩人が私たち指導者を前にして、なにを一番恐れているかわかるよ」

「……」

「飛んで逃げられちゃうことだもんね」


 少女はぐうーっと猫のように背筋を伸ばす。古めかしいドレスに、くびれた腰と幼さのある腹部、豊かな双丘の輪郭が浮き上がる。

 はぁ、っと気持ちよさそうに吐息をはく。彼女はひらひらとアーカムへちいさな手を振った。これでお別れとばかりに。

 

「私の名前はリリアルム・クルムツルア・エヴララルガル。狩人協会の蔵書のなかに死ぬほど名前出てくるんでしょう? 万の尸を築いたおおいなる怪物とでも載ってるのかな。400年くらい前に私について記述した書物にはそんな感じに書かれていたかな。私のような著名な怪物に会えて、光栄だったね、アーカム・アルドレア。さあ帰って報告でもなんでもすればいいよ。絶滅指導者を目の前にしてなにもできず、無様に逃してしまいましたって」


 少女━━リリアルムは背中からバサっと大きな翼を展開した。


 アーカムは「逃すわけないだろ」と、リリアルムの近くの氷結晶に干渉し、百の氷柱からなる大輪を咲かせた。リリアルムは大輪の開花を、屋根を砕くほど勢いよく跳躍して回避する。そのまま大雨の空に舞い上がったリリアルムは、自身の足を見やる。強力な魔力おびた氷は、彼女の足をかすめ、わずかに傷を負わせていた。ただ、動きを拘束するまでにはいたらなかった。


「あははー、本当に速いや、君の魔術。どうやってるのー? でも、ハズレ。それじゃあね、アーカム・アルドレア。あなたももう随分危ない感じがする。まだ若いから、そうだね次に会うとしたら100年後かな。その時にはヨボヨボのおじいさん。傷つけたお礼に、あなたは私が手ずから殺してあげる。震えながら過ごすといいよ」


 激しく雨ふる曇天へと舞い上がった少女は、翼で悠々と飛び去っていく。

 屋根上から氷の弾丸が数発狙い撃ってきたが、どれもリリアルムには当たらずに、視界不良の雨の向こうへ消えていく。アーカムは「ちっ」と舌打ちひとつすると、膨大な魔力を操作し、その身に旋風を纏った。


 風の魔法使いがその気になれば空を飛ぶことなど造作もない。

 上昇気流に乗って飛び上がり、指導者に追いついた瞬間、アーカムは身にまとう風を今度は放射攻撃に転用した。無詠唱風属性六式魔術による速攻である。


 リリアルムは人間に空で追いつかれる異常事態に一瞬硬直してしまった。硬直が命取りだった。次の瞬間、圧縮された超大気圧の波動が、リリアルムの全身を破砕し、帝城の屋上へ叩き落としてしまった。


 未曾有の大爆風により、大雨は止んだ。アーカムの使った最大の風魔術、その余波だけで、帝都の空を覆っていた雨雲に巨大な風穴が空いたからである。


「お前はここで滅ぼす」


 最強の狩人は膨大な魔力を練りあげ、容赦無く次の攻撃をおこなった。

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