大脱出

 すべてとはいかないが機密文書と実験報告書、そのほか狩人協会に持ち帰れば、進化論者がどういう技術を用いて、どういう目的のために動いていたのかを押し測れるだけの情報をすでに奪取できている。

 最大の成果はやはりこのジーヴァルという少女だ。相手方はこの少女を取り返そうと躍起になっていた節がある。進化論者たちにとって重要な存在と見てまず間違いないだろう。


 潮時だ。これ以上は欲張る必要はない。

 俺はヒグラシへ視線を向ける。アンナに手ひどくやられたのだろう。ぐっしょり朱色に染まった隊服で、壁に背を預けている。


「はぁ、はあ……ひい……」

「……」

「はぁ、はっ……殺さない、か。どうした狩人……いまさら正気を気取るのか……その力、吐き気がするほどの濃密な血の上を歩いてきただろうに……」


 嫌なやつだ。こいつとは喋りたくないな。

 しかし、どうしても気になることがある。


「剣王ノ会、お前たちはどうして進化論者に……いや、それだけじゃないだろう、公社も吸血鬼と繋がっている可能性すらある」

「はぁ……はぁ……いろいろ知っているように見えるな……狩人」

「当たり前だ。俺たちがどれだけ苦労してそいつらを追ってきたと思ってる」


 知らずのうちに俺の声には怒気が滲み出ていた。


「はぁ……理解されない、だろう……裏切りだと、恐ろしいことだと、人でなしだと罵るがいい……そんなもの、とっくの昔に覚悟済みだ……」

「……」

「裏切ってなどいない……真実に人の世の行く末を考えた……そして選んだ……それだけだ……」


 ヒグラシは顔をあげる。もう話は終わりとばかりに口を開くことをしない。

 訓練された兵士の口を割ることは難しい。この場で尋問を続けている時間的猶予はない。鉛水の浮遊剣で彼の息の根をとめた。


「いきましょう」

「ん」

 

 アジトの出入り口を目指し、駆け、やがて俺たちは星空をのぞめる場所へ出た。

 断崖絶壁の深い渓谷、その中腹ほどからせりだした大橋だ。下を見やれば濃密な霧に蓋をされた谷の下層が望める。風を操れる俺なら落ちる心配がないとわかっていても、ぞくりと背筋が震える。


「ん」


 アンナはクイっと顎で正面を示す。

 大橋の向こうから剣を片手に、青隊服の者たちが駆けてくる。

 帝国剣王ノ会だ。流石は本家大元の帝都だ。増援にキリがない。


 やつらを処理すること自体は難しい話ではない。

 ただ、得策ではないのは自明である。

 俺たちのミッションは帝都脱出、ひいては帝国領からの脱出に置き換わっている。こんなところで戦いに付き合っている暇はない。


「壁を」


 俺はジーヴァルをアンナに預ける。

 アンナはジーヴァルを不慣れな手つきで抱っこすると、大橋から飛び降り、谷の壁へワイヤー付き短剣を投げ刺して、接地、スタタターっと垂直の壁を駆け登りはじめた。


「キングとバニク、お願いします」


 一気に遠ざかるアンナの背中を見送り、俺は剣士たちへ向き直る。


「狩人とはな」

「帝都まで来たか」

「自らの愚行をわからせてやらねばなるまい」


 先頭のひとりが踏み切って一気に接近してくる。

 水平への綺麗な居合斬りをかわす。

 動揺の眼差しをする隊士たち。俺は水流弾を至近距離で撃ち込み、鎧圧のガードを貫通させる。先頭の男は痛烈に顔を歪ませ、たたらを3歩踏んで、後方へ飛び退いた。

 

「《ウルト・ウォーラ》」

「っ! 四式魔術を……っ!」

「こいつ橋ごといく気か!」


 水の刃で大橋をまっぷたつに切断する。

 ガガガっと支えを失った橋がすべるように落ち出した。

 隊士たちは大慌てで来た道を引き返していく。 

 俺は混乱に乗じて、マナスーツの出力を十分にあげ、腕部分に内蔵された巻き込み式のフックショットを壁に撃ち、アンナのあとを追いかけた。風で飛んでもいいが、可能な限り風属性の情報は敵地で見せたくない。


 谷を上まで登り切る。

 てっきりホブウィット大帝国神秘学院の近くに出てくるかと思ったが、予想は外れた。俺の視界いっぱいに巨大な城郭が高々と聳えている。高く築くことが得意な帝国建築らしい空まで届きそうな城だ。


 帝城。

 人類文明圏に心臓と呼ぶ場所があるならば、ひとつはヨルプウィスト人間国首都その大王のいる城砦、もうひとつはこの威圧的なまでに大きな城である。見たものを本能的に寄せ付けず、すくみあがらせる。この城には力強さを感じる。


 俺は闇を選んで駆け、城の近く、裏路地に身を隠す。

 通信機越しにアンナと連絡を取る。

 この世界ではオーバーテクノロジーの甚だしい無線だ。


『アンナ、聞こえますか』

『大丈夫』

『キングとバニクは?』

『確保したよ。合流ポイントは』

『南から出てください』

『わかった』


 狩人協会の足の力で一気に帝都から離脱してやる。霊馬で異空間を経由して駆ければ、容易には追跡できない。いまこそキングとバニクの本気を見せる時だ。


『兄さま』

『ん、どうしました、キサラギちゃん』

『通信帯域を確保するために設置したミニJapaneseKawaiiが手元にないです』

『……どういうことです』

『キサラギは帝都の美食を食べようと思いました。兄さまとアンナばかりずるいとなぁ〜、いいなぁ〜っと、どうして自分だけこんなに仕事しているのに、と』

『んー、つまりどういうことです?』

『兄さまに回収してほしい、とキサラギは文学的な言い回しを使いました』


 キサラギちゃん、不満があったのね……。しかし、それでは文学的すぎて俺にはわからなかったよ。


『テクノロジーの断片を残していくのは危険だと、キサラギは警鐘を鳴らします』


 キサラギの言う通り、アース産技術を放置していくのはまずい。

 インスタントに設置した装置ではすぐ見つかってしまう。

 ここは敵地。すべて回収しなければいけない。


『わかりました、キサラギちゃん。ミニJapaneseKawaiiの位置情報を全部送信してください。回収します』

『ほとんどすでに回収してます。あと何個かだけです。なんとなく撤退する気がしました、とキサラギはすぐれた女の勘をさりげなく自慢します』

『流石はキサラギちゃんです』

『兄さまには帝城のてっぺんに設置した子を回収してほしいと、キサラギは兄に甘えて見せます』


 通信帯域を確保するために一番高い場所に設置したのか。


 帝都の中央に聳える城。

 その天守閣が高さという意味では抜きん出ている。合理的な場所だが、持って帰るのが厳しい場所にしかけたな。


『わかりました。あとは任せてください』


 通信を終了する。

 

 俺はマナスーツの出力に気をつけ、地味に直感も使いながら、視線に気をつけ、誰にも見つからないようにこっそりとこっそりと帝城の屋根を伝って、天守閣を目指した。迅速に移動するなか、屋根のうえから城内を慌ただしく動き回る騎士たちの姿があった。


 俺たちの侵入報告は帝城にまで伝わり、動き出しているのだろう。だとすればやはり、進化論者を含めた諸々の冒涜的探求はこの城の主によって肯定されていたものということなのだろうか。恐ろしい裏切りの事実に心をかき乱されながら、俺はいよいよ天守閣の分厚い屋根のうえに降り立った。


 ミニJapaneseKawaiiを発見した。

 雨風で簡単に落ちないようにしっかり固定されている。

 俺はボルトをまわして解除していく。

 よし、回収完了。デカいので収納空間にしまう。

 ああ、また魔力消費量が……。


「この高さ滑空するにはちょうどいいな」


 俺は南の城壁を見ながら考える。

 ここから帝国側の目を気にしながら帝都の外を目指すのは時間がかかる。

 多少の魔力出費はいたしかたない、か……。


「水の女神よ、清涼なる神秘を与えたまへ

  境界に潜みし者よ、深き秘密の渇きを満たしたまへ

   天駈けよ聖域よ、恵みを、おおいなる海を、この手に

      ━━《エルト・ウォーラ》」


 完全詠唱水属性五式魔術。ウェイリアスの中杖で空を薙ぐ。夜空の雲が塊のままゆっくりと下降してきて、帝都の空をゆっくりと覆い隠していく。高度は帝城の天守閣までゆっくりゆっくりと降りてくる。次第に雨がポツポツと降り出した。

 五式魔術ならば大規模な天候操作すら可能になる。最も風属性式魔術で操作を補助しているので、純粋な水属性だけの魔術ではないのだが。


 雲が天守まで降りてくるのに、あと5分といったところか。

 あんまり素早く雲を落としすぎると不自然だ。

 焦らずにやろう。

 この雲で月を覆い隠し、大雨で音を消し、視界を悪くする。

 帝城のてっぺんから滑空する俺を視認することは不可能になるはずだ。


 ん? この気配……だれか来る。

 俺はちいさくため息をつきながら、そっと立ち上がり、振り返る。


「いい夜だ」


 言って屋根を歩く人影があった。

 白い袴のような服装の老人だ。年齢は60代後半か。背筋はピンと伸び、薄さはまるで感じない。白髪は総髪にまとめあげられ、口髭は整えられておらず野生味が溢れている。きらりと覗く口元から白い歯がのぞく。

 袴の胸元を大きくはだけ、片手に鞘に納められた刀を握っている。空を見上げながら、下駄でカツカツっと屋根を鳴らしながらこちらへやってくる。


 いや、その身から溢れ出る身の毛もよだつ剣気だけでも十分な証明か。

 知識あるものなら、俺たちののように事前に資料で顔を確認していなくても、眼前の老人がだれだかわかろうというものだ。


「しかし、一雨来そうじゃのう。これでは雲の切れ目をのぞく夜月もすぐに見えなくなる。━━のう、そうは思わぬか、狩人」


 老人、第45代ゲオニエス帝国皇帝はそう言い、肘を抱え、顎髭をしごきながら、ゆったりと品定めするような視線を向けてくるのだった。

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