魔法使いアーカム・アルドレア

 魔法使いアーカム・アルドレアによっていまや帝都は大雨に覆われた。

 帝城の頂上より見える世界は、まるで永遠の雨によって水底に沈んだようだった。それらの景色は自然のものではなく、神秘の力が満ち満ちている。

 

 皇帝ガーランディアは滂沱の大雨と、宙を泳ぐ流体の鯨に囲まれるなか、剣気圧をさらに高密度に高め、鋭く、冷たく、硬く、研ぎ澄ましていく。

 手を横なぎにふり、高密度の圧塊を体から分離させる。分離した圧は剣の形状になると、剣聖のそばで浮遊しはじめる。浮遊剣。その最初の形であり、魔術ではない純然たる剣術のみでなされるそれは剣聖流の古い奥義のひとつだ。


幻剣きょうけん。見られる者は少ないぞ、狩人」

「光栄だ」

「ぬう……参るぞッ、狩人ッ」


 踏み出す剣聖。

 流体の鯨から、湖の身体をもつおおかみたちが産み落とされる。

 アーカムへたどり着く道を塞ぎ、剣聖を噛み殺さんとする。


 剣聖は軽い太刀筋で縦横無尽に攻めてくる水の魔力獣をさばく。

 鎧圧の幻剣きょうけんも動員し、常に死角の狼たちを対応する。

 

 魔力獣は斬られても斬られても、砕けたそばから再生する。散らされた水は、足下、空気中、天からすら補い、ものの数秒で完全な姿となって攻撃を再開する。


 水を触媒とした魔力獣はアーカムが見出した魔力量保存の法則上、もっとも優れた魔力効率を誇る攻め手だ。水のフィールドという場で霧散する魔力を回収しつづけ、一定の魔術式に沿って、魔力獣を再生させつづける。


 敵からすれば永久機関にすら思える包囲であった。

 召喚される体長3m強の大狼たちはすべてが厄災級の脅威度だ。

 天守閣に召喚されている数は、全部で12匹。


 だが、敵は剣聖。生きる伝説そのもの。

 世界三大剣術の最古にして最大の流派を牽引する者だ。

 無数の厄災級の魔力獣を相手にして、まるで引かず、むしろ動きを知るたびに「この程度まで反応できるか」と大狼たちのスペックを見極め、迎撃するための動きが最小にちかづいていく。演舞のごときすべてを把握した動きで、十を超える化け物を相手する。圧巻の剣舞。剣聖六段を冠するにふさわしい。


(予定調和のようにさばく。魔力獣たちは完全自律型の魔術だ。スペックにムラはなく、魔力生物に疲労はない。常に最大の速度、最大の苛烈さで攻撃する。ゆえにそのモーションには一定のリズムがある。良く言えば出力がおちない。悪く言えば機械的。魔術のプログラムの癖や反応速度の限界値が一太刀ごとにバレている。皇帝の動きが洗練されていく。踏み込む距離、刀を振る力、浮遊剣のポジション……。とんでもないじいさんだな)


 アーカムは浮遊剣を動員する。先ほどコントロールを手放した三振りの裂炎の剣と、三振りの鉛水の剣だ。

 12の魔力獣にくわえて、高精度の手動操作の魔術が追加される。

 アーカムはわざと攻撃間隔にムラをつくり、魔力獣だけに慣れた剣聖の感覚を壊す。さらに足下の水へ干渉し、剣聖の足取りさえ拘束しにかかる。


(理解しているな、狩人)


 ガーランディアは攻撃が変速的なものになると、慣れるための迎撃をやめた。学び、完封するには、現在の状況は危険すぎ、どこかでミスをしてしまう可能性が出てきたからだ。幻剣きょうけんをもう一本生成し、アーカムへの道をやや強引に斬り開く。魔力獣を斬り裂き、鉛水の剣を弾き、爆発する裂炎の剣を鎧圧で耐える。足元を水に掴まれながら、開かれた間隙を見逃さなかった。


 剣聖は肘を曲げ、両手で剣を引き絞る。

 剣気圧が刀に収束していき、緊張から緩和へ、一気に解き放たれる。

 刀に纏っていた鎧圧が直線上に伸びた。神速の刺突を遥か遠方まで届かせる業。剣聖流剣術奥義・天穿あまうがち。遠隔から間合いを無視して、直線上のすべてを貫通して進む剣だ。武器の原則を無視する刺突だ。この技を開発した1000年前の剣豪は無双の槍と呼び、敵対する一切合切を葬り去ったという。


 アーカムは神速で進む天穿を首を横にふって回避する。

 目を見開く剣聖。驚愕を隠せなかった。


「これを見切るか……っ!」


 見たことない者なら避けられる道理はない。

 そう、ないはずだった。


 だが、剣聖が迎えているのはアーカム・アルドレアだ。

 魔力の流れ・神速だろうと捉える魔眼、すべての脅威を事前に知れる第六感。

 もし天穿に避けられる道理がないのならば、他方、アーカムにはどんな攻撃だろうと当たる道理がないのである。今回、矛盾を征したのは後者であった。


(アンナの星落としを見ておいてよかった)

 

 天穿はその強力さゆえに幾つかの弱点を内包する。

 剣気圧のほとんどを鎧圧に置き換えて、自分の体から出し切ってしまうこと。

 一度出し切った鎧圧を体に戻すのにやや時間がかかること。 

 以上により、攻撃直後は硬直と隙が生じること。


 アンナの星落としの様相から知っていたアーカムは、避けた瞬間こそが最大の反撃チャンスだと考えた。ゆえに氷属性式魔術を使うことにした。現在、氷属性という希少な力の使い手を考えた場合、アーカム・アルドレアという名前は有名になりすぎている。戦場で魔法王国を救う際に使用したからだ。


 高い拘束力と、水属性との相性の良さを持つ氷は、アーカムが戦術に組み込みたいものだったが、常ならば正体露見を避けるためそうそうには使わない。使っていいのは水と火だけだ。だが、剣聖を前に悠長な判断はしていられない。


 ゆえに氷を使う決断をした。

 

 アーカムの足下から白い冷気が吹き上がる。

 降り落ちる雨がスローモーションになる。指一本分落下するのに10秒かかりそうなほど時間がゆっくりに感じられる。集中力の極まった瞬間。アーカムは体内の魔力を練りあげ、現象を呼んだ。


 「《エルト・ポーラー》」


 無詠唱氷属性五式魔術。

 白光さえ放つ氷が、音を置き去りして、迅雷の如く駆けだした。

 またたくまに視界を制服していく氷。空気が悲鳴をあげ、割れ、砕け。

 雨水どもは凍てついて、アーカムを中心に展開される魔風圧に流され、世界の重力が反転してしまったかのように、天へと吹き登っていく。


 帝城の荘厳な帝国建築は、刹那の瞬間に凍りつき、凍てつくそばから極低温に耐えかねて、亀裂となって壊れていった。

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