裏切り
━━ヒグラシの視点
少し前。
帝国剣王ノ会の本部は深い渓谷から聳える摩天楼に設置されている。摩天楼の上階で、どこかやる気のなさそうな黒髪の二枚目の男を見かけたなら、そいつの名はヒグラシだ。実直で、腕が立ち、優しい。やる気なさそうなのも顔だけで、それも彼の雰囲気を高めている。女性人気は高い。
「アーカム・アルドレア? 風の魔法使いの?」
執務室で書類を相手にしていたヒグラシは、馴染みの部下の報告に思わず聞き返していた。普段なら他愛ない定時報告に意識を向けるほど彼は暇ではない。帝国剣王ノ会の上級守護者である彼は、いわば管理職の立場であり、最近では現場へ足を運ぶことも少なくなりつつある。その分、かさんだ書類仕事を片付けなければならないので、忙しさという意味では決して楽になってはいないが。
「わかった。俺が行こう」
アーカム・アルドレアの開くという講演会へ、ヒグラシは手ずから足を運んだ。剣王ノ会の使命は帝国を怪物たちの脅威から守ることだ。同時に世界の覇権を掌握しつづける影の支配者━━狩人協会の支配を領内に及ばせないことも重要な仕事だ。
高度な魔術師は知識だけでなく、往々にして戦闘能力を備えていることが多い。狩人協会に接触されている可能性があるのだ。その際に協会の協力者になっている可能性も十分にありえる。少なくとも、世界の裏側のパワーバランスというものを少なからず認識しているはずだ。
だからこそ、”有名人”が来た際には帝国剣王ノ会は挨拶をしにいくのだ。そこにはさまざまな文脈が含まれているが、もっとも伝えたいことは「私たちは見ていますよ」というものだ。
ヒグラシは魔術協会の講演室、その隅っこで壇上の若者を見つめる。
右へ左へ、ゆったりと移動する青年。背筋はピンと伸び、身振り手振りで、熱と魔力の関係に対する見解を発表している。自信に溢れ、演説慣れしている。
講演会が終わる頃には、壇上に乗り上げた魔術師たちと口論を繰り広げていた。ヒグラシはアーカム・アルドレアに欠点があるとすれば、それは「若い」ことだろうと思った。
彼自身も経験があった。若いということは侮られることに繋がる。同時にひどい嫉妬を生む。こと魔術の世界において、若くて名声を獲得することは先輩たちへの挑戦的な姿勢であるとされ、しばし、ああした攻撃の対象になりやすい。
アーカム・アルドレアもわかっているんだろう。落ち着いて、迎え撃っていたが、火に油を注ぐばかりで、ついには炎を御することができなくなり、彼は一陣の風を吹き荒れさせると、その隙に逃げるように壇上から姿を消した。
ヒグラシは魔術協会の裏手にまわった。
ちょうどアーカム・アルドレアが出てくるところであった。
赤い瞳と目があう。
「こんにちは」
「どうも、講演会に来てくれた方ですね」
「気がついてくださっていたのですか」
ヒグラシは気さくな雰囲気で話しかける。
アーカムは爽やかな笑顔で応じる。
「私は魔術理論に関してはさっぱりなのですが、かの有名な魔法使いさまにお会いできると聞きまして、こうして彼女のデートをすっぽかして足を運んだのです」
ヒグラシは懐から一冊の本を取り出す。ハードカバーの重厚な本だ。著者にはアーカム・アルドレアと名前が記載されている。
「『凶暴怪獣アンナザウルス』、僕の大好きな本なんです」
「なるほど、さては僕のファンですね、名前は?」
「ヒグラシでお願いします」
アーカムは喜んで本にサインをする。ヒグラシは満足そうにした。彼はかねてより『凶暴怪獣アンナザウルス』シリーズが好きなのだ。自分の執務室の棚には全二巻が収められており、三巻の発売を心待ちにしているほどである。
「普段はおしとやかな少女アンナの正体は凶暴怪獣! でも、その姿はとても恐ろしいもので、普段は秘密にしているけれど、ひとたび怪物が現れれば、変身してやっつける!」
興奮した様子で語るヒグラシ。こんな姿、隊士たちには見せられない。
アーカムは少し引き気味ながら「すごく嬉しいです」と、愛すべき読者へ感謝を述べた。
「世の安寧を守るためにはいつまでも平和に甘んじることはできません。普段淑やかでも、やる時にはやる。おぞましい力へ手を伸ばそうとも……そういう覚悟が必要なんです。そうは思いませんか、アルドレア殿」
「ごもっとも。やる時はやる、ですからね」
「ご理解いただけたようで何より。では、自分はこれで失礼いたします。騎士団での仕事を放ってきてしまいましたので」
「お勤めご苦労様です」
サイン本をゲットし、著者にも会えて満足げなヒグラシは本部に戻るなり、調書を作成する。自分の目的は果たせたので、帝国剣王ノ会としての警告は、同僚に任せることにしたのだ。若干脅すようなことになる。流石に『凶暴怪獣アンナザウルス』の著者にそのようなことはしずらい。
「メリル。君は小説家志望だったな」
「え、いきなり何の話すか」
執務室に呼び出された隊士メリルは、目を丸くした。
桃色の髪に眼帯をした可憐な若年隊士だ。
「いい機会だ。この名著を貸してあげるから勉強しなさい」
「『凶暴怪獣アンナザウルス』……なんか子供っぽくないですか」
「深みのある人類史上最高傑作だぞ。さっき作者にあってきたが、彼はよくわかっていた。きっと帝国剣王ノ会のファンなんだろう」
メリルは「はぁ」と気の無い返事をしながら、ヒグラシから名著を受け取る。メリルの書きたいものはあくまでラブロマンス小説なので、ややジャンルが違うが、隊長の薦めの手前それを言い出すこともできない。
「隊長、失礼します!」
メリルがヒグラシに圧かけられている執務室へ、焦燥の足取りで隊士のひとりが駆け込んできた。
「どうした」
「ホブウィット地下より報告です……! 件の魔術師たちの巣が何者かに攻撃されていると連絡が!」
執務室の空気が凍りついた。時間が止まった。
メリルとヒグラシは目を見開き、互いに顔を見合わせる。
「リリーフェの騎士隊は。常駐でいただろう」
「対応困難とのことで、応援要請が出ています……」
「対応困難……手練れか」
ヒグラシは隊を招集し、すぐさま出撃した。
帝国剣王ノ会のある渓谷の高塔から陸地側に伸びる陸橋を駆け、ホブウィットの地下施設へ急行する。
「狩人だ、やつらが暴れてる、なんとかしろ!」
「G式被験体を盗まれる!」
「絶対に阻止しろ!」
「あれだけは奪われてはだめなんだ!」
施設の魔術師たちは、ヒグラシたち隊士らの服を胸の紋章を目にするなり、蒼白だった顔に怒りを宿し、強い口調で彼らへ要求した、侵入者を殺せ、と。
ヒグラシは施設の被害状況を魔術師たちに聞きながら、標的の位置に目星をつけた。
「静かに」
避難が済んだ区画。
血に濡れた通路をヒグラシたちは踏む。あたりを見渡し、気配を探る。
かすかに紙をこする音。それとちいさな話声。壁の向こうから聞こえてきた。
「そこだ」
帝国剣王ノ会の守護者たちはいっせいに石煉瓦の壁へ向かって攻撃を加えた。
━━アーカムの視点
アーカムは杖を構え、アンナも剣先を向けている。対する帝国剣王ノ会の守護者たちは先頭のアンニョイな雰囲気の男を筆頭に囲むように、ゆっくり展開していく。
(こいつ夕方のやつか)
先ほどの光景がフラッシュバックする。
自分の本を愛読する者とこんな場所で再会したことが悔やまれた。
「闇の魔術師たちがいくらでもいる。斬るべきはこっちじゃない」
アーカムは後ろへ下がり、帝国剣王ノ会の守護者たちへ油断なく杖を向ける。
ヒグラシは足元の資料を一枚拾いあげる。
怪物骨格移植手術に関する人体解剖図が描かれていた。
「ここまできたか、狩人」
(可能性を考えたくなかったが……認めるほかない。帝国剣王ノ会は進化論者の支援者だ)
アーカムは深い失望に瞼を閉じた。
避けてきた可能性を直視する覚悟を決めた。
(先の魔法王国での動乱、大貴族ポロスコフィンによる内乱と宣戦布告。狩人協会の調査でポロスコフィンのバックに帝国の北の貴族が手引きしていたところまでは掴めていた)
(あの時、嵐の騎士団長ストームヴィルを打倒した直後、絶滅指導者が現れた。数々の状況が示すのは、絶滅指導者が血の魔術による転移門作成で、嵐の騎士団の王城侵入をサポートしたことだ。あの時、人類と吸血鬼はすでに協力していたのだ。ともに魔法王国を陥落させ、占領下に置くという目的のために動いていた。あとから知ったことだが、狩人協会はその目論みを見破っていた。だから選んだ。協会は戦争を止めることができたが、止めなかった。その理由は絶滅指導者が戦場に現れると確信していたからだ)
(狩人協会は賭けに勝った。集結させていた筆頭狩人たちは絶滅指導者を滅ぼした。あの時点ですでに狩人協会の帝国という国への疑いは生まれていたのだ。帝国の大貴族だけが隣接する魔法王国へトラブルを持ち込み、ポロスコフィンと結託し、自領を拡大するため、人類を吸血鬼に売り渡した。だが、もしかしたら物事はもっとおおきなスケールで動いていたのかもしれない。そう考えることが何度かあった。俺は可能性を疑っていたのだ)
(いざ目にすると震える。帝国剣王ノ会、帝国政府直轄の帝国版人類保存ギルド、英雄機関……その正体がこれだ。闇の魔術師のボディガードに成り下がってる。闇の魔術師たちは怪物派遣公社と協力関係にある……疑いの余地はない。帝国内での怪物たちとの繋がりは、もう一貴族という単位ではないのだろう)
「おまえたちは人類の庇護者じゃないのか」
「この場で議論するつもりはない」
「裏切り者どもが」
(帝国剣王ノ会と狩人協会、遠い場所ではトニス教団。それぞれの意向は違くとも、ともに守護者として大きな使命を見ていると思っていた。だが、なんだ、このありさまは)
腑煮えくり変えるような激情。
それをグッと堪える。あくまで頭は冷静を保つ。
「大人しく投降することを薦める。協力的な姿勢を見せれば、命までは奪いはしない」
ヒグラシは「武器を納めろ」と命令する。
「時間はやれない。5秒で決断しろ」
カウントダウンは1秒、また1秒と減っていく。アンナは視線を横へ流す。決断を待ってるのだ。アーカムの次のアクションでこの先が決まる。
「3秒、2秒、1秒━━ゼロ。残念に思うよ、狩人」
「こっちのセリフだ」
先に動いたのはアーカムの方だった。
魔力器官に沈殿した純魔力を練りあげ、火の魔力と水の魔力を作りあげる。一瞬でカタチを持ち、六振りの燃え盛る剣と、六振りの不定形の水剣へと変貌した。
(10人ならこれで足りる。保険装填完了)
ヒグラシは踏み込む。一足でアーカムとの間合いをつめ、下段からの斬りあげで逆袈裟に狙う。
それに対し、上段から炎の剣が振り下ろされ、斬撃の軌道を遮断。
アーカムの脇腹の下あたりでヒグラシの一刀目が止まった。
(……ッ、この狩人速い)
「相棒きっく!」
ヒグラシを横から襲うのはアンナの前蹴り。通称:相棒きっく。
ヒグラシの肩を破壊しにかかる。が、鎧圧でガードされる。
しかし、体幹は崩れた。吹っ飛ばされる。
アーカムとアンナは視線で会話。
(そっちはアンナに任せます)
(おっけ)
もつれながら転がっていくヒグラシを、アンナはダッと追いかけていった。
隊長に続いて、いっせいに動き出した守護者たち。アーカムは火と水、あわせて十二振りの浮遊剣所定の位置に構え、迎撃の姿勢に入った。
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