鮮やかな侵入

 アンナは程よい地点で何かを壁へヒョイっと投げる。自分の体を引き寄せた。

 正体はワイヤーのついた短剣。壁に打ち込んで、自分の体を接着させたのだ。

 壁に接着したアンナはザッザッザっと走ってホブウィットの方へ。すでに暗闇の中だ。俺の夜空の瞳の視力があってようやく捉えられる。


 なお普通に垂直の壁を走っているが、あれは剣気圧の技術のひとつである。

 特別な靴というわけではない。まあそういうのもあるが真に信頼に足のは己の剣気圧『鎧圧』を鉤爪のように脚部に展開し、踏み出すたびに壁に打ち込んで体重を支えるのだ。高速で走るほど鉤爪は深く刺さずに済んだりする。


「着いた……かな」


 アンナが鮮やかな侵入をしたのを胸元の通信機がバイブレーションしたので察する。通信機が起動しているのは、キサラギが帯域を確保した証拠だ。向こうも仕事が順調なようで何より。

 俺は周囲をキョロキョロ確認して、目撃者がいないことをチェックしてから、谷へ飛び降りる。


 燃費を気にしている風の魔法使いにとって谷から噴き上げる風はとても嬉しい。風で自分の支えられる程度に浮力を受けることでふわふわ浮いて、水平移動をする。スーッと横にスライドしていく。ホブウィットを谷上にとらえたところへ壁に張り付いているアンナを発見。


 水平移動をやめて、今度は垂直に上昇する。


「あたしも運んでよ、アーカム」

「嫌ですよ。アンナまで運んだら燃費が……削れるところは常に削らないと」


 俺の魔力量問題はあのバンザイデスでの戦いからいまだに解決できていない。俺の魔力回復速度は全盛の5%。魔力量ゼロの状態から俺の魔力を全て回復しようとすれば、おおよそ3年ほどかかる。容器がデカいだけで。その容器に水を注ぐ速度は遅いのである。

 厄介なのは容器に穴が開いている事だ。つまり毎日魔力が流れ出している。いや、厳密に言えば穴というより、必ずコップで掬って出さないといけない量があると表現した方が正しいだろうか。

 つまりの固定費と言い換えるのが正しいだろう。固定費━━必ず消費する魔力━━は魔力回復速度をやや下回る4%。

 増加速度5%の、減退速度4%。足し引き、回復速度は全盛期の1%だ。もし自然回復だけで俺の魔力を全開にしようと思えば、もう……途方もない。


 ちなみに固定費の内訳はほとんどが収納魔術空間を維持するためのものだ。便利だからと色々詰め込んでいるせいでより大きな空間を維持しているのだ。

 

「ケチ」

「ケチじゃないです。現実主義者なんです。アンナ掴みますよ」


 俺はアンナの手を握る。

 これで風の魔術で体重を支える必要がなくなった。

 

「アーカムはあたしを運んでくれないのに、あたしはアーカムを運ぶんだ」

「ごめんなさい、多分、俺なにか不満なことしてるんですよね。遠慮せずに言ってください」


 アンナが文句を言うなんて珍しい。

 きっと彼女の中で俺へ対する不満が溜まっているんだ。


「アーカムは性欲ないはずだったのに」

「……文脈が見えないです」

「そんなことなら旅の時にもっとイチャイチャしてた。アーカムはわんわんを前にするとすぐに発情する」

「まったくなんの話をしてるかわからないんですけど……」

「あたしのほうが長くいるのに」

「本当になんの話をしてるんです……?」

「裏切りものだ。アーカムは裏切り者だよ。相棒なのに」


 だめだ、わからない。

 直感君、出番だ、いけ!


『やだ!』


 やだじゃない! 直感のくせに本体に逆らうな!


「はあ、まあ今は任務中だからね。集中しよう、アーカム」


 なんだかわからないが、彼女の中で抑え込んでくれたらしい。

 後でしっかり話すことにして、この場は任務を継続するとしよう。


 アンナは壁を垂直に駆け上る。俺はアンナにお姫さま抱っこされて大人しく運ばれる。ホブウィットのどこかの教室、そのベランダへ俺たちは静かに降り立った。

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