苦難の道のり

 体が温かさに包まれていた。

 先ほどまで焼けるような痛みと、失われていく体温に、恐怖心を抱いていたというのに、今では嘘のようにどれもが消え去っている。


 腕を動かす。

 反応が鈍く、思考と連動して体が動いてくれない。

 

 アリスはゆっくりと目を開ける。

 見上げる視界に見下ろす表情があった。

 アリスより年上の青年だ。年齢は16歳程度だろうか。

 父と同じ黒い髪、夜空を切り取ったような星々を内包する神秘的な瞳。

 その顔をアリスは知らなかったが、確かに記憶のなかに面影を見つけることができる。


 アリスは自身の兄の顔を想起し、同時に彼が生きていればこれくらいの年齢だろうとも連想した。アリスは聡明であった。だからこそ、その考えがバカらしく思えた。

 

「よかった、目を覚ましたんですね」

「……あなたは誰ですか」


 言葉を受けて青年は考え込むような表情をする。

 

「アーカム・アルドレア」

「あり得ません、アリスのお兄様は3年前の災害で死にました」

「話すと長くなるんですよ。この場所を出たら全てを説明できるはずです。今はただ━━」


 青年━━アーカムは手を開いてアリスに見せる。

 アリスは水色の瞳を不思議そうに向ける。

 アーカムの手のひらの上に魔力が収束し、輝く結晶に変化した。

 魔力結晶の生成。極めて高度な魔術と、詠唱を行わずに行う技術。


 アリスが慕い、尊敬した世紀の天才以外に成し得ない常識を逸脱したパフォーマンスであった。こと無詠唱は言葉より雄弁に語る兄が兄である証拠だ。


 アリスは目を見開いて、アーカムを見上げる。


「父様にもエーラにも聞きましたよ。アリスがしっかり者だからやってこれたんだって」

「そんな、お兄様は、だって、もう……」


 アリスは視界がグニャんっと歪んでいくのに気がついた。

 一瞬油断しただけなのに、目の端から大粒の涙が溢れて来ていた。

 それまで感じていた不安や恐怖、緊張から一気に解放されたのだ。

 アリスがそれほどに安心できる存在などいない。ただ無意識下ですべてを可能にできると理屈なしの全信頼を寄せる兄以外には。


「ありがとう、アリス。たくさん迷惑をかけました」

「お兄様……っ」


 アーカムが死に、すべてが変わった。

 父は嘆き、母は狂い、妹は毎日のように泣いた。

 皆が悲しみに暮れ、アリスもまた同じ気持ちであった。

 自分がしっかりしなくてはと、アリスは涙を飲み込んで、兄の背中を心に刻み、偉大な彼の代わりに、兄の代わりに一層ちゃんとしようと振る舞った。


 天才だった兄の代わりに魔術の探究にも意欲的に挑んだ。

 それは母や父、妹の喪失を少しでも埋めたいと言う気持ちからでもあった。

 自分が兄の代わりになれれば、きっとみんな元気になる。そう信じて、兄と同じ血を持つ自分の才能を信じて磨いてきた。


 心配のかかる姉とふたりで支えあい、どんな苦難だって乗り越えてきた。

 アリスは時に考えてしまう性格だったが、そういう時はエーラの元気がアリスを支えた。

 エーラは頻繁にやけになって、全てを投げ出そうとしたが、その度に冷静で見通しをもつアリスが支えた。


 戦争が起きて家族が離れ離れになり、日に日に父親が酒に頼るようになってエーラが明確に明確に嫌悪し、心が離れても、アリスが繋ぎ止めた。

 なぜならアリスにかできないことだったからだ。自分がしっかりしないといけないと心に決めていたからだ。兄の死を受け入れたあの日からその覚悟は常にアリスの行動規範であり続けた。1日とて忘れたことはなかった。


 復讐に炎に焼かれるそうなほど燃えても、怒りと悔しさ、無力感い苛まれようと決して折れず、兄の仇を討たんと日々研鑽を重ねてきた。ひたすらに強くあり続けた。強くはなくとも、そうあろうと胸を張り続けた。

 

 だから今日にたどり着けた。

 アーカムは優しく微笑み、うなづき、アリスの肩を叩く。

 アリスは歩んできた苦難の道のりを認めてもらえたのだとわかった。

 

「お兄様、お兄様……っ、アリスは、アリスは、ちゃんと、できましたか」

「もちろん」


 堪えていた最後の感情が決壊し、アリスの嗚咽のように涙をこぼす。

 それでも必須に我慢し、涙を飲み込まんとする。

 目元を赤く染め、アリスはキリッとする。

 アリスはついに、6年前に夢の中で託されたミッションを完遂をしたのだ。


「アリスはお姉様と共に確かに苦難を乗り越えました」

「さすがは自慢の妹です」

「しかし、お兄様、生きていたのならどうしてクルクマに帰られなかったのですか。お兄様のことです。理由があることは押し計れます」

「はぁ、アリスは話をちゃんと聞いてくれそうで、すごく助かりますよ」


 アーカムは疲れた笑みを浮かべ「エーラは聞いてくれなくて」と苦笑いをする。


「話をしたいのは山々ですが」


 アーカムは視線をチラッと別の方向へずらし「それはまた後で」というと、アリスを抱えたまま、立ち上がり、ゆっくりと後退り始めた。 

 アリスは何事かと、首を動かす。視線の方向を変えるだけで億劫であったが、その甲斐あって、兄が何に注意を向けているのかは判明した。


 地面に転がるランタンが照らす闇の中で、黒い巨大な影が動いていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る