あとがき

 この話は大学の三回生の時の記憶を思い起こしながら書いたものです。どうも日本の人は人を悪く言うことが得意なもので、私もその一人でしたが、周りもそれと同じように、ひどい言葉ばかりを立て並べて、しようもない優越感に浸っていたように思います。これはそんな世界を私なりに文章として体現して見せたものです。

 ほとんどが日記形式です。私は何もない時間が大好きで、そんな時間に経験した出来事を思い起こして、感慨に耽ることを学生の頃はずっとしていました。この時の構想は、登山中に思い付いたもので、下山したのちに何か書きものとして残しておこうとしたのが今回の短編になります。

 タイトルはそのままです。もしかして読んでいただける人たちは、こういった習作のような読み物方が、好んでいただけるのかもしれません。私としては、丁寧に心理描写を書いているものをもっと読んでほしいと思うのですが、おそらく改行があまりなく、淡々と物事を進めていく文体は、今の人には退屈なのかもしれませんね。

 話は変わりますが、私は大学の時によく悪口を直接言われてきました。そのため、はっきり言えば人間恐怖に陥っていましたし、今でも他人は非常に怖いと思います。他人は何を考えているかわかりませんし、ひょっとしたらこちらは何にもしていないのに、何にもしていないことをそのまま問題として訴えてくる人もいるかも知れません。

 このメモの最後にいくら謝罪しても許してくれない大人がいました。その話を少し書きましたが、近年は人を許すということを怠って老いる人がたくさんいるように思います。人を許すことのできる人は、それなりに思慮深く、よく物事を見てから判断されている方が多いと思っています。そしてそういった方々は、やはり世の中の上位にいますし、尊敬もされていることでしょう。けれどもそうでないことがあることも事実です。

 私は悪口をたくさん言われてきました。しかしそれは競争社会がつくり出した大きな落とし穴のように思います。

 人に悪い印象を植え付けて周りの評価から蹴落としていくようなやり方です。

 学生の頃は他人を見下して優位に立つことを熱心にやっている人がいたと思います。が、他人を見下したところで、自分の価値を上げることには繋がらないことも事実。

 人の間違いを正すのであれば良いのですが、間違いを指摘して蹴落とすような下を見る姿勢は、私には気持ち悪かったのだろうと思います。

 しかし、私自身にそんなことはなかったのかというのも、ないといえば嘘です。

 おそらくこのお話の私もそのことで自己嫌悪であったのかもしれません。

 これは文学ゼミで6話まで発表し、不評だったので最後までとりあえず書ききって放っておいた習作です。当時のタイトルは 後ろ指 でした。

 けれども後ろ指ではテーマが出すぎているので、登山を現実として回想する構成を強調するために学生日記にタイトルを変えました。

 さてこのお話は良かったのでしょうか?

 もしかしたら害悪だったかもしれないと思うと、このような文章見せてしまい申し訳なかったように思います。

 

 謝罪の意味も込めてこのあとがきを終わりにしようと思います。

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学生日記 三毛猫 @toshim430

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