第12話
モノの出現率が突然低下したのは、今週に入ってからだった。木曜日。平和なはずなのに、どこか不安を感じながら不気味なほどに静かに過ぎていく日常。
最近、凛子と悠平が個別に呼び出されることが多くなっていた。ふたりの連携はあっという間に実戦に使えるまでになり、日々そのレベルを上げていっている。
比呂は今日も悠平を待っていた。時間の潰し方もいろいろ試してみた。課題に手をつけてみたり、買ったばかりの漫画を読んでみたり、時間のありそうな友達を捕まえてくだらない話をしたり。モノが出るかもしれないと思うとなんとなく大学構外に出るのは憚られ、暇潰しも大変だななどと思いながら時計を見る。まだ一時間も経たない。いつも二時間程度はかかっている。悠平からはいつも先に帰ってしまっていいと言われているのだが、それもなんとなく寂しい。
「帰らないの?」
授業終わりに偶然会った洋太郎が、ラウンジで時間潰しをしている比呂の向かいに座った。
「モノが出るかもしれないし」
読んでいた漫画を閉じて返事をする。こんなのは言い訳でしかなく、悠平を待っているだけなのだが。そのことを洋太郎もわかっていて、健気だね、と返す。
「今日は付き合ってやろうか」
不意に後ろから声がして振り向けば、同じように授業が終わって通りかかった高貴が立っていた。比呂はにっこり笑って頷く。高貴がこんなことを言ってくるなんて珍しい。
「どうせ暇だし。洋太郎も付き合え」
「そのつもりだよ」
高貴は鞄を下ろすと洋太郎の隣に座った。三人寄れば、話題は自ずとモノのことになる。
「なんで急に減ったんだろうね」
「もう完全に消えたってことならありがたいけど、そんな感じもしないんだよな」
「わかる。なんとなく気持ち悪いよね」
なんとなく気持ち悪い。それは全員が感じていた。妙な静けさ。まだモノはいるのだ、絶対に。ならばどうして出現頻度が減ったのか。考え込んでいると、洋太郎が口を開いた。
「運動場」
おかしな噂の耐えない大学の施設。実際に行ったことはないが、どうしても気になる場所。
「行ってみようか。俺が行けばオバケなのかモノなのかくらいわかるよ」
「やめときなよ。もしオバケとかそっち系だったとして、洋太郎が危ないでしょ?」
「見えたら怖い思いをするのはお前だろう。モノじゃなかったら、俺たちは何もできない」
本人たちの危険や恐怖よりも自分のことを気遣ってくれる言葉がふたりから続けて聞こえて、洋太郎はふふ、と笑った。これまで〈見える〉ことを人に話したり誰かにわかってもらったり、そういうことはなかったし、自分も誰かに理解してもらおうなどとは思っていなかった。このことを知って自分を気にかけてくれる存在が目の前にいるということが嬉しい。
「それで、どうする? 行く? 行かない?」
感謝の言葉は心の中に留めて、洋太郎はふたりに笑いかけた。ふたりも運動場のことは気にならないわけではない。頷いて返すと、じゃあ太刀を取ってこようかな、と洋太郎は研究室へ足を向けた。
ラウンジから研究棟へは三十号館をぐるっと回っていかなければならない。比呂と高貴は先に運動場に向かっていてもよかったのだが、いずれにせよ正門へ行くには研究棟を通る。三人はそろって高田の研究室へ行き、静かにドアをノックした。
「先生、尾川です」
「どうぞ」
ドアを開けると、パソコンに繋がった和弓と二丁拳銃をそれぞれに構えている悠平と凛子がいた。高田はパソコンの前に座ってこちらを見遣っている。
「どうしたの? 何かあった?」
心配そうに凛子が尋ねると、なんでもないよー、といつものように間延びした返事をしながら洋太郎がその脇をすり抜けた。壁に立てかけられている大きな布製の袋。この中に大振りの太刀が入っているとは想像もつかない、美恵お手製のカモフラージュ用ケースである。
「どこ行くんだ、そんなの持って」
今度は悠平が、弓を下ろして問う。その問いには比呂が答えた。
「ふたりが特訓してる間に、私たちも何かしないとね」
「練習ですか? 人目につくのは危ないよ」
高田が眉を寄せる。心配ないですよ、比呂が返す。その様子に、悠平の表情が険しくなった。
「何か企んでるんじゃないよな」
察しがいいのもこういう時に厄介である。高貴は心の中で溜め息をつくと悠平に歩み寄った。
「そんなに高杉のこと心配?」
「誰が」
からかい半分、真面目半分。高貴の物言いに悠平は不機嫌そうに顔を背けた。
「いいからさっさと帰れよ。邪魔」
比呂に向けられたその言葉は、不機嫌さも苛立ちも何もかもを含んだ冷たい言い方だった。こんなことは言われ慣れている。比呂は邪魔してごめんね、と笑いながら研究室を出た。
「さすがに言いすぎじゃない?」
その様子に不安を覚えた凛子が思わず悠平に詰め寄る。悠平は返事もせずに弓を構えると、高田に先を促すよう声をかけた。
間もなくして、洋太郎も高貴も、比呂を追うため外へ出た。
いつものこのふたりのやり取りのはずだった。しかしどうしてだろう、何か気持ち悪さを感じる。その原因が何かわからないまま、足を運動場へと向けた。
そんなに時間差があったわけではないのにもう比呂の姿はキャンパス内になかった。洋太郎と高貴は足早に正門を出て運動場へと向かう。
嫌な感じがした。モノが現れたときに近いがなんとなく違う。だが、背中を駆け抜けるゾクっとした感覚は、モノ出現時と似ていた。ふたりの足取りが自然と速くなる。
運動場の門が見えた。施錠されているが、簡単に飛び越えることができる。中に入った瞬間、ふたりは息を飲んだ。いる。モノだ。先程までのぼんやりとした感覚ではない。確実にこの敷地内にいる。
「先生、運動場でモノの気配を感じました。システムに反応はありませんか」
高貴がすぐに高田に連絡する。洋太郎は辺りを見回した。モノの姿も、先に来ているはずの比呂の姿も見えない。
「反応はありません」
「そんなはずは」
「広井!」
こんなに緊迫した洋太郎の声を聞いたことがなかった。声のした方を振り向くと、運動場の奥から黒いモヤモヤとした大きな影が近づいてくるのが見えた。
「嘘だろ」
ある程度のことには冷静でいられる自信があった。しかし目の前の光景は予想を超えていた。
「モノが出ました」
「反応はないよ」
「いつものやつと違います」
モノと一緒に歩いてくるのは見覚えのある姿。しかしうつろな瞳は、明るく快活な彼女とは別人のようだった。黒い大きな影は、彼女を後ろから抱きかかえるようにしている。
「高杉、どういうことだよ」
モノを背負って歩いてきたのは、紛れもなく高杉比呂、彼女であった。
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