第11話
四限目が終わると、凛子はまっすぐに高田の研究室へ向かった。こういう日に限って、友達から『この後ケーキ食べに行こうよ』などと誘いが入る。いつもなら喜んでそのお誘いを受けるところだが、今日は泣く泣く断った。
最近こんなことばかり。タイミングが悪い。凛子は普通の女の子だ。おしゃれだって買い物だってケーキだって大好きだ。特に友達とおしゃべりしながら美味しいケーキを食べる時間が何より楽しい。
モノに関わってから少し付き合い悪くなったかな、でも代わりにちょっと痩せたかも。複雑な乙女心を揺らしつつ研究棟へ向かう。
友達は、また誘うね、と笑ってくれた。きっと彼女ならその言葉通りまた笑顔で誘ってくれるだろう。今日はどこの店に行くんだろう。次に行くときはどこのケーキを食べようかな、そんなことを考えながら歩いていれば、いつの間にか研究室の前に着いていた。ノックして中へ入る。まだ悠平は来ていない。
「急に呼び出して悪いね」
「いえ、大丈夫です」
凛子は本棚の前にある椅子に座る。カラフルなバッグから、およそそれには相応しくない重い二丁拳銃を取り出して机に置く。最近ではこの狭い研究室内でどこに座るかそれぞれに決まってきていて、本棚の前は凛子の指定席になっていた。
「遠距離武器のふたりの連携を少し考えていたんです。ふたりともなかなか息が合ってるから、今のままでも問題はないんだけど」
高田はパソコンデスクの一番下の引き出しから分厚いファイルを引っ張り出し机に置いた。
「モノノフ?」
ファイルの背に書いてある手書きの文字を凜子は口に出して呟く。ああ、と高田が答えた。
「モノと戦う我々の名称と言うか、そう呼んでいたんです。ゼミ生の間で」
「武士とモノをかけて? 文学科の学生らしいネーミングですね」
「なんか少し恥ずかしいね。そんな頃もあったんだよ、僕らにも」
少し遠い目をした。懐かしむような、それでいて何かを悔やんでいるような表情。学生の前であまり表情を見せることない高田の新鮮な一面。そうですか、と凛子は小さく返してそのファイルに手をかけた。中身をめくってみる。
「これ全部手書きですか、すごい」
「今みたいにパソコンが当然な時代じゃないからね。このシステムは当時コンピュータを持っていた岡本先生だからこそ作ることができたし、幸いにも僕がこのデータを自分のパソコンに移すことができたから残ってる。すっかり眠らせてしまっていましたが」
数年前の研究室の引越し作業の際に捨ててしまったものや紛失してしまったものもないわけではない。このファイルも引き出しの一番奥に入れたままにしてあったもので、 特に意識して残しておいたわけではない。こんな事態になるとは思ってもいなかったし、システムを移しておいたのだって武器をそのままにしておいたのだって、処分に困ったということも多分にあるし、あとは、岡本ゼミの思い出のひとつとして残しておいただけだった。
残っていた記録は、あいまいになっていた記憶を補完するように高田の頭の中へと還っていく。感覚を、知識を、情報を思い出させる。
モノが現れるときに前触れはない。いつも突然現れる。天候や温度や、そういったものは関係なさそうだが、時間帯はある程度はっきりしてきていた。主に昼過ぎから夕方に多く、日没以降は現れていない。稀に始業時間近くに現れることもあるが。もともとが人間の負の感情から産み出されるものだからキャンパスに学生が多い時間帯になるのだろうというのが高田の推測だった。
ならばなぜ、この大学のこのキャンパスに出現するのか。このキャンパスの外でモノと遭遇したことは、自分の学生時代を含めても一度もない。その理由はわからないが、当時、岡本は『この現象はここだから起こるものだ』と言っていた。その根拠は話してもらった記憶がない。記録にもその部分には全く触れられていない。わからないことが多すぎる。今も、昔も。
今回の件があってから高田は何度か岡本に連絡を取ろうと考えた。だが、してはいけない理由があった気がして結局は連絡先名簿を開いては閉じることを繰り返すばかりだった。
軽いノック音が聞こえた。悠平だろうか。
「いますよ」
振り向きながら返事をすると、美恵が入ってきた。
「あら、藤吉さん、いたのね。ちょうどいいわ」
美恵は小さな包みを取り出し机の上に置いた。ああ、と高田が頷く。それ開けてみて。言われるままに凛子は包みを開いた。かわいらしい皮製の手袋。あまり厚くなく手に取れば軽いが作りはしっかりしていて、ベージュの生地にピンク色の花の刺繍が小さくあしらわれている。
「使ってちょうだい」
美恵の言葉に、凛子は驚く。私のために?と聞き返すと、もちろんよ、と笑顔が返ってきた。
拳銃を扱うことは、現役女子大生の彼女の手には負担になる。当然、そんなものを手にするのは初めてのこと。なかなか馴染まない感覚、指先への負担。何度か戦う姿を見て、美恵はそのことに心を痛めていた。
「オーダーメイドよ。作りはしっかりしているし、きっとあなたの手にもフィットするはず。高田先生に預けておこうと思ったのだけど、いてくれてよかった」
「古谷先生が作ってくれたんですか?」
「正しくは、私が知人にお願いしたの。デザインもなるべく女の子が使えるものにして欲しい、ってね。これで少しはあなたの手の負担が減ればいいのだけど」
淡いベージュ色。女性らしいピンクの花の刺繍。その下にさり気なく入れられた〈R〉のイニシャル。爪が割れてしまったこと。指先が荒れてしまったこと。自分は確かに悩んでいた。でも、誰かに相談できるはずもなかった。そのことに美恵は気付いてくれた。
「ありがとうございます。先生、本当にありがとうございます」
「あら、そんな泣きそうな顔しないでちょうだい。私にはこんなことくらいしかできないのよ」
慣れない武器の扱い、いつ現れるかもしれないモノ、いつ終わるかわからない戦い。それぞれが危険や不安と向き合う中で、美恵が自分のことを想ってくれていた。そのことが嬉しかった。
そんなふたりの姿を見て、高田は美恵がいてくれることに感謝した。自分や伊坂では気付けなかったであろう凛子の変化。いつもはその勢いに隠れがちだが、美恵は小さなことに気付き、気遣える女性らしい優しさを持っている。自ずと笑みがこぼれ、少しだけ口元を緩めた。
「失礼します」
ノックの音と静かな声がして、悠平が研究室に入ってきた。遅くなりました、と頭を下げて凜子の向かい側の椅子に荷物を置く。入れ替わるように美恵が研究室を出て行く。
「おや、高杉は?」
「呼んでないでしょう?」
「呼んでないけど。てっきり一緒に来るものかと」
いつも一緒でしょ、と高田に言われ、悠平はなんともいえない苦い顔をする。からかうわけではなく真面目に言っている分、この男はたちが悪い。確かに履修授業もかぶっているし、家も同じ方面だし、付き合ってもいるし、いつも大体ふたり揃っている。比呂が悠平に付いて回っている、という言い方が合っているのかもしれないが。いつだって話しかけているのも相手のことを気に留めているのも比呂の方で、悠平が彼氏らしい素振りをしているところは見たことがない。周りから見ればそれが不思議でもあり、比呂に対して同情すら覚えるくらいだ。
つい先日だって、比呂が悠平を探し回っているところを見かけた。授業が終わってから約束していたのにいっこうに連絡が来ないと研究室の方へ探しに来たのだ。
たまたま悠平に会った伊坂が『高杉が探してましたよ。あんまり女の子に心配かけちゃだめですよ』と言ったのに対し『先生には関係ないです』と素っ気無く返したと聞いた。それを聞いた時、美恵はしょんぼりとした伊坂の様子に大笑いしていたが。
一通り思い出して思わず笑いそうになった口元を引き締め、高田はふたりの方へ向き直した。
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