第2話

「ちょっと! 何! なんなのこれ!」

 バタバタとキャンパスのスロープを駆け上がってくる音がする。騒がしい声も一緒だ。最終の授業も終わり、閑散としたキャンパスに、彼女の声が響く。

「高杉?」

 その声と姿を捉え、伊坂が声を上げた。見知った女子学生。

 伊坂のゼミの学生、文学科三年生で現代文学を研究している高杉比呂たかすぎひろ。小柄で童顔、容姿同様に中身も子どもっぽい性格で、いつも元気なムードメーカー。伊坂については〈師事している〉というよりは〈懐いている〉に近い。

 常識はあるが何をやらせてもどこか突き抜けていて、何かやらかしそうな無茶苦茶な娘、という印象が高田には強かった。

「伊坂先生! 何かいる!」

 研究室の窓から顔を出している伊坂に気付き、比呂は思いきり両手を振った。この棟からは、このキャンパスの正門から続く緩やかなスロープがまっすぐに見下ろせる。

「高杉、見えるんですか!」

「え、見えちゃいけないものなんですか?」

 窓から身を乗り出す伊坂の隣から外をのぞいた高貴は、げ、と小さな声を上げた。

「あれが、もしかして」

「モノ。見えた?」

「黒いモヤモヤしたものが、高杉の後ろに」

 高田がパソコンの前に座る。デスクトップにあるアイコンのひとつをクリックすると、画面に数値や座標が一斉に展開された。右下の方から、大きな赤い点滅が中央へ向かって動いている。

「もしかしてそれが、例のシステムってやつかしら?」

 目を輝かせながら、美恵が画面を覗き込む。そうですよ、とどうでもいいように返事して、高田はキーをたたく。

「伊坂先生、高杉みたいな無茶苦茶な子なら、いけるかもしれません。それ、投げてあげて」

 目線で示された先、棚の上から布にくるまれた包みを下ろす。小さい割りに重量感がある。中を開けるとそこには、刃渡りが三十センチほどの小さな刀が二本。

「何言ってるんですか、これを投げろって?」

「あの子ならどうにかできる気がするんです。だから早く」

 何の根拠もないのに力強く言い張る高田に、伊坂は戸惑う。比呂は、自分のゼミの大事な学生だ。刃物なんか投げつけて、何かあったら。あんな得体の知れないものといきなり戦わせて、何かあったら。

 彼女は言うほどおかしな子じゃない。突然戦えなんて、そんなことさせられない。武器を投げて『さぁやりなさい』そんなこと言えるわけがない。

「僕がやります」

 伊坂の代わりに動いたのは、高貴だった。小刀を二本とも手に取ると、鞘を投げ捨て、窓の外で逃げ回っている比呂に向かって叫んだ。

「高杉!」

「広井! あんた何か知ってんの? 何これ!」

「俺もよく知らないけど、今それ何とかできるのお前しかいないみたいだから!」

 ビュン、と風を切って、高貴の手から二本の刃が飛んだ。比呂はまったく状況が理解できていないようだが、自分の目の前に浅く突き刺さった小刀を、なんの躊躇いもなく引き抜いた。

 驚いたのは伊坂だ。彼女は、何も知らない。何もわかっていない。それなのに、どうしようというのか。高貴も高貴だ。自分だってわけがわからない状況なのに、何とかしろ、とは。

 黒いモヤモヤとしたものが、彼女の前で蠢いて止まる。

「ええーい!」

 かがんだ低い位置から突き上げるようにして両手の小刀を振り上げた。同時に、高田はトン、とごく軽い音を立ててエンターキーをたたいた。小刀に紅い閃光が走る。

 パン、と小気味良い音がした。風船でも割れるかのような、軽い音。比呂には、目の前にキラキラした砂のようなものが舞ったように見えた。

「消えましたね」

 画面から目を逸らし、高田が息をつく。その後ろではまだ美恵が興奮したように画面を凝視している。伊坂は唖然としたまま比呂を見つめていた。

「高杉! 消えた!」

 窓から顔を出して、高貴が声を上げる。それが聞こえたらしい比呂は、その場にへたり込むと、両手を上げて大きく振ることで答えた。

「高杉! そのままこっちへ来なさい!」

 呆けている比呂の耳に聞きなれない高田の大きな声が入ってきて、跳ねるように立ち上がると高田の研究室へとへ走り出した。

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