十二.良き隣人
数日後、シーザはユークリフを伴ってコルテを訪れた。
設計図泥棒とそのきっかけとなった偽装死について、コルテとジャッシュで会談をおこなうためだ。灰次たちも、当然その場に呼ばれている。
初めて足を踏み入れたコルテの城は、建物の装飾や作りはジャッシュの城と比べると質素なものであったが、この緑に囲まれた豊かな大地に見合う広大な敷地を持ち、敷地内のそこかしこに植えられた花や果物の木々は手入れが行き届いていた。
常であれば、城下町同様、穏やかで長閑な雰囲気の漂っている場所なのだろう。今日のような日でなければ、恐らく、城内の者たちも街の人々のように穏やかな笑顔で迎えてくれたに違いない。
敷地内にある王国会議場と呼ばれる広いホールのような場所に集められた一同は、きちんと並べられた机と椅子に案内され、女王の到着を待っていた。
そうして、ほぼ定時きっかりに姿を現したこの国の女王、ペシェ・アジェンダ・アグリコは、バージが言った通り、麗しい女性であった。
歳は若いが、その立ち居振る舞いは一国の王たる威厳と気品に溢れている。この農業大国、そして観光大国をまとめている、若く聡明な王に相応しい空気を纏っていた。
「エリアル国王。お久しぶりです」
最初の一声は、隣国の王への挨拶だった。
互いに知らぬ仲ではない。他国の王たちと比べて年も近く、長年良好な関係性を築いていることから、交流は比較的多い。
それでも、こうして顔を突き合わせてきちんと話をするのは久しぶりだとシーザは言っていた。
幼いころは互いに先王に連れられ、会議や会談のたびに顔を合わせていた。そのころから親戚の姉のような感覚であり、年若き王の先輩として慕っている。
教えられたことも多い、未だに彼女にはかなわない、頼りになる隣人なのだと灰次はシーザから聞いていた。
簡単な挨拶が済むと、すぐに本題に入る。
これは公的な国際裁判ではない。ジャッシュには灰次とルーラから、コルテにはアリストラクタ家から王室へ報告し、非公式にこの両国会談が設けられることとなった。
互いにことを大きくしたくはないのだろう。良き隣人でありたい、とシーザが言っていたが、それはペシェにとっても同様であると思われる。
事の次第については、まず、シーザから設計図泥棒とオディオの告白についての説明があった。続いて、アリストラクタの当主代行であるフロイデから、過去の桐生院とのかかわりも含めて、ロイとロイエのことについて補足する形でオディオの行為について報告し、事前報告と相違ないことをその場にいる全員が確認し合った。
「オディオ・チ・ナイト。隣国ジャッシュのハリロクタウンにおけるイエモト設計図の窃盗について、報告内容に相違ありませんね?」
「……ございません」
数日、身柄を拘束されていた間に、オディオは少しやつれたようだった。悪意に満ちた表情も言葉も今はなく、受け入れがたい目の前の現実を、ただ見つめている。
「ご当主、それからフロイデ。レイル。……ロイ」
ロイエ、と呼ぼうとして、一瞬言葉を止めてから、ペシェはロイの名を呼んだ。
「まず、あなたたちがしたことは、国家すら欺く重大な行為です。隣国の技術を脅かし、ひとりの人間の死を偽りました」
「……はい」
ご当主、と呼ばれたロイの父が答える。母も兄も、ロイ自身も、神妙な面持ちで女王の次の言葉を待つ。
「それによって、このような事件が起こりました。彼は隣国の国家機密を盗み、国と国の関係性を脅かしました。あなたたち全員に、罪を追う責任がある。そう、わたくしは王として告げねばなりません」
誰も言葉を発することができない。事情はどうあれそれらは全て事実であり、コルテだけでなく隣国にも害を及ぼしている
いかに愛する民であっても、否、だからこそ、ペシェにはそう告げる以外にない。
それ以外に、隣国へ誠意を示す術がないと言ってもいい。
「エリアル国王。度重なる我が国の愚行により多大なるご迷惑をおかけしたこと、心よりお詫び申し……」
シーザの前に歩み寄り、ペシェが深々と頭を下げようとしたときだった。
「お待ちください、クイン・アグリコ」
それを遮るように、穏やかな青年声が響いた。
「……シーザ?」
およそ国王とは思えない、友人に対するような優しい声かけに、思わずペシェもシーザの名を呼んだ。
「我々は、コルテを良き隣人だと思っています。今までも、これからも。そしてあなたのことも、僕は頼りにしているし、信頼している」
「……わたくしも、そうありたいと願っています。謝罪を受け入れてくださるのなら、どんな条件でもお受けしましょう。彼らの処遇についても、貴国のご判断にお任せしたいと考えています」
一度目は偶然とはいえ、結果的には二度に渡ってジャッシュの国を支える技術力を奪おうとしたのだ。その一度目の事情にジャッシュの職人がかかわっていようと、コルテはジャッシュに対し誠意を見せねばならない。
たとえそれが自国を支える農業を衰えさせる事態になったとしても、今回の件にかかわったコルテの者全員の首を刎ねろと言われれば、応じる必要があるだろう。
シーザは心根が優しい人間だ。首を刎ねろとまでは言わないであろうことは、彼を知っている人間ならば予想はつく。ただ、それはシーザという個人としての考え方である。一国を治める王として、国家間で生じた問題に生易しい判断を下すことは、それとは違う。
「僕に判断を任せる、と言ってくださいましたね」
「はい」
「今、この場で申し上げても?」
「……ええ、もちろん」
シーザはアリストラクタ家の面々へ向き直ると、小さく頭を下げた。
「アリストラクタさん。いつも、美味しいりんごや、農産物をありがとうございます。我が国でもコルテブランドは愛されています。あれだけ規模の大きな流通所の管理は、さぞ大変なことでしょう」
「ありがとうございます……」
恐縮して礼の言葉しか出てこない当主とフロイデに近づき、シーザはじっとその目を見つめて語りかける。
「ナイト氏がいなくなれば、貿易商にも大きな痛手になるのではないですか?」
「それは……」
「現地からの報告として、今回の顛末についての説明以外にナイト氏についての評判や情報もありました。今回の犯人であると同時に、農家の方や街の方からも信頼されている、優秀な方だと」
シーザが、灰次のほうをちらりと見る。細かい報告までよく覚えているな、と灰次は感心した。それがわかっているからこそ、わざわざそういった報告をしたのではあるが。
「クイン・アグリコ。無期限の監視付きで、オディオ・チ・ナイト氏を職場復帰させてください。この先、この国とアリストラクタの貿易商が続く限り、その命全てを捧げることを条件に」
「シーザ!」
たまらずペシェが声をあげる。監視付きとは言え、それは実質、罪に問わないと言っているようなものだ。
「もちろん、我が国からも定期的に監察に訪れる。王室役員数名と
「シーザ、あなた、本当にそれでいいの?」
ペシェの口調は、すっかり友人に対するそれになっている。
円満に収めたいのは自分も同じだが、だからと言って一国の王がこんな甘い判断を下して良いものか。
「監察については、あなたがよければだけど。
「だめでは、ないけれど……いいの? あなたは……ジャッシュは」
「報告を受けた後、きちんと王室で話し合って出した結論だよ。あなたが僕らに対して誠意を尽くしてくれるのなら、もしもあなたが彼らを極刑に処すと告げたとしても、僕はこの案を出すつもりだった」
やれやれといった表情でユークリフがシーザを見つめている。王室での会議はそれなりに揉めたであろうことは、その様子を見れば灰次にも想像がつく。
それでも若き王は、償いと許しのどちらかではなく、どうにかその先へと繋がる道を選んだ。
互いの国が、そしてそこに暮らすひとりひとりの国民が、誰も血を流さず、誰も恨まず、悲しまないような道を。
「……エリアル国王。寛大なるご判断に、心より感謝申し上げます」
「いいえ、こちらこそ。あなたの言葉も行動も、我が国への信頼と誠意がこもっていました。あなたとだから、この結論が導き出せたのです。アグリコ女王」
ペシェは深々と頭を下げてから、自身の席へ戻っていく。その様子を、オディオは茫然と眺めていた。
「オディオ・チ・ナイト。無期限監視付きでのアリストラクタ貿易商補佐役への復職を言い渡します。生涯その身を以て、我が国に尽くしてください。アリストラクタの皆も、今回のことは一切他言無用です。ロイのことも今回の一件も許されたというわけではありません。全て背負って、これからも我が国に尽くすように。以上」
後日、正式な書状を発行し会談参加者全員のサインを記したものを両国で所持・保管し合うことで、今回の事態は収めることとなった。
互いに秘密を抱え、監視し合う。それがときに、直接の罰を与えることよりも重く苦しい枷となることを、彼らは知っている。
良き隣人であるために、若き王たちはその決断をしたのだ。
「よくまあ、そんな話でまとめたもんだ」
会談後、せっかくだから少し観光して帰りたいと言い出したシーザを連れて、灰次は城下町を歩いていた。
ユークリフも微妙な顔をしながらそばに控えてはいるが、シーザ自身は灰次やカラーとともに他国の街を見てまわることができるのが嬉しくて仕方ないようだった。
「人は宝だよ。……死は償いじゃない。それに、生きることのほうがつらいこともある。何かを背負って誰かのために生きるのなら、なおさら」
「……そうだな」
何かを背負って誰かのために生き、そして死んでいった者がいる。それを知っているからこそ、シーザにもあの結論が出せたのだろう。
罰ではなく、死ではなく、何があっても生きる道と、その未来を与えたかった。たとえ過去に何があったとしても、今、誰かに必要とされていることも事実だから。
「そろそろお時間ですので、急いでください」
「ええ、もう?」
「早急に戻って書類作成が必要ですので」
「……そうだね。うん」
頼もしい横顔に、灰次は先王の面影を見る。
国家間の問題については、あとは任せておけば問題なさそうだ。
「王室への請求は、落ち着いてからのほうがいいかい」
「そうしていただけますと、大変ありがたいです。……今回の件、誠にありがとうございました。本当に、助かりました」
ユークリフの返事には、安堵の色が交じっていた。今回の件で、相当心を砕いたのだろう。せっかくだから、うまい果実酒でも数本おごってやろうと思った。
とはいえ、自分もすべてが終わったわけではない。
このあと、シーザとともに王都へ戻ってから、ハリロクへ足を運ぶつもりだ。
設計図を取り返したことと犯人を捕まえたことについては取り急ぎハリロクの職人たちに報告されており、先んじて設計図も王室を通じて返却しているが、細かい説明については後回しになっている。
訴えがあったことで王室から今回の顛末について書面も出すようだが、コルテのスパイではなかったということについて記すだけで、犯人が誰かという点までは触れないという。
そのあたりをどう話すかは灰次たちに任せる、と言われてしまい、どう説明したものかと悩んでいたが、
自分はあくまで設計図を取り返し、犯人を捕まえるということをリャンを通じてエスリーから頼まれただけだ。その分の仕事はしたし、その先の追加報酬は王室からもらえることになっている。
ただ、事の顛末を最後まで見届けたいとは思っている。ロイと
数日ほど間を置いてハリロクを訪れれば、ある程度の話は済んでいることだろう。その場に居合わせると厄介そうなので、落ち着いてから様子を見に行くくらいがちょうどいい。
「カラー、お土産買っていこう。何がいい?」
「タルトタタン!」
事件のあと、気持ち悪さを拭いきれずにいたカラーも、シーザの隣で笑っている。
会談中もじっと隣で耳をピンと立てていたので緊張していたようだが、終わったあとにロイやアリストラクタ家の者たちから「ありがとう」の言葉をもらったことで、少しは気持ちが落ち着いたらしい。
「また遊びに来てください」
そう笑って去っていったレイルの笑顔はロイとよく似ていた。
今後、この街でロイエの死が覆ることはない。監査役として流通所を訪れても、昔のように兄弟で街を歩くことも叶わないだろう。
それでももう帰れないと思っていた場所へ、また帰ることができる。それがロイにとって良いことなのか、悪いことなのか、そのあたりの心境は複雑かもしれないが、彼が
「ユークリフ」
「はい」
「俺たちも土産買おう。うまい酒おごるよ」
「……ありがとうございます」
今度は小瓶ではなく大瓶で何本か買おうと、灰次は店先で呼び込みをする酒屋の店主に声をかけた。
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