十一.腐り落ちる果実
人通りの少ない路地を進んでいく。ロイを先頭に、灰次、カラー、
ロイがアリストラクタへ向かうと告げても、
「掃除屋さん。こりゃ、謎が解けたかもしれんね。……ロイ、お前はいいのかい」
「はい。もしそうだとしたら、僕が行かなきゃいけない」
「そうか。すまないが、うちの弟子に付き合ってやってもらえるかい」
「付き合うも何も」
灰次に拒否するという選択肢はなかった。寧ろ、灰次自身もオディオの元へ向かおうと思ってすらいた。確信はなくとも、なんとなく浮かんでいるものはある。恐らくこの勘は正しく、ふたりが導こうとしている答えとも相違ないであろうことは想像できた。
「灰次」
カラーが何かを察したように、灰次の袖を引く。立ち止まると、前を歩くロイの足も止まった。
「藤堂様」
一行の前に、ルーラの姿があった。どこから現れたのかはわからないが、別れたときと白いコートを纏い、フードを深く被っていた。
「ロイエ・レヒェルン・アリストラクタの調査については、ご自身で完了されたということでよろしいでしょうか」
「ああ。無駄足を踏ませてすまなかった。ただ、あんたには助けられたからな。報酬は払うとトウカに伝えてくれ」
「いえ。トウカ嬢からは、藤堂様のお力になるようにと仰せつかっております。必要があれば、この先もお手伝いいたします」
「……そうか。わかった」
それだけ告げると、ルーラは音もなく、建物の影に消えていった。彼には空間移動以外にも遠見の能力のようなものがあるのだろうか。離れていたはずなのに、こちらの状況を把握しているように見えた。
「悪い、ロイ。急ごう」
「はい」
迷いのない足取りで、ロイは再び歩き始めた。
流通所の正面受付は閉まっている。灰次が訪ねたときと同様、通用口のほうでは従業員が出入りしている姿が見える。
「オディオ・チ・ナイト氏に会いたい。ジャッシュの藤堂灰次が来たと伝えてもらえますか」
通用口付近にいた警備らしき男に灰次が声をかけると、藤堂様ですね、と確認してから、近くにいた従業員の男を呼んだ。
それからしばらくして、その男が走って戻ってきた。何か男に伝えている。
「お待たせしました。どうぞ。執務室までご案内いたします」
男が笑顔でこちらを向く。どうやら、先程走っていった男が案内してくれるらしい。
灰次に続いてカラー、その後ろに少し離れてロイと
先日訪れたのと同じ部屋の前に立ち、男は扉をノックした。中からオディオの声が返ってきて、静かに扉が開いた。
「ご苦労様。戻って構いませんよ」
「はい、では」
男が会釈して去っていく。オディオは目の前に立つ灰次に視線を移すと、笑顔で室内へ入るよう促した。
けれどその笑顔は、直後、凍りつく。
「なぜ、あなたたちが」
ロイと
「お久しぶりです、オディオさん」
「大きくなったねえ」
いくらかこわばった表情のロイと、笑顔を浮かべた
「これは、どういうことですか」
「どうもこうも、そういうことですよ」
何か言おうとしていたロイを制して、灰次が告げる。ロイは少しだけほっとしたような顔をしていた。
恐らく、ロイと自分の推測は同じだ。旧友に真実を問う覚悟はしているのであろうが、それでも、できれば灰次はこの少年につらい役目を背負わせたくはなかった。
「……全て、わかっていると」
「まあ、大体は」
嘘である。
だが、灰次の不敵な笑い方を見て、オディオは苦々しい顔をした。最初に会ったときのようなおどおどおとした姿は、そこにはない。顔を歪ませ、こちらへの嫌悪感や敵対心を隠すことなく、チッと舌打ちする。
その姿に、カラーが殺気立つのがわかった。
「カラー、探せ」
勢い、オディオにとびかかる前に、灰次が命令する。
「何を」
「設計図ですよ。……持ってんだろ?」
「馬鹿な、そんなもの見つかるわけがない」
「カラー、探せ。見つけろ」
灰次の言葉に、カラーの赤い瞳が一際大きく見開かれた。部屋の中をぐるりと見回して、探すべきものの気配を探る。
灰次が探せと言うのなら、カラーに探せないものはない。見つけろと言うのなら、見つける。契約とはそういうものだ。
「ここ」
部屋の壁に沿って並んだ本棚の一角を、カラーは指さす。
「見せていただけますか」
もちろん、彼が拒否したところで無理矢理にでもそれを引っ張り出すつもりではある。それでも、灰次は恭しくそう問いかけた。
「……」
無言のままのオディオに構わず、カラーは本棚に近づいていく。
「ここ」
彼の回答を待たず、カラーは本棚から一冊の本を取り出した。
本を開くと、そのページの間から何枚かの紙が滑り落ちてきた。
「オディオさん」
その紙の一枚一枚を丁寧に拾い上げながら、ロイは彼の名を呼ぶ。それらは全て設計図であった。ハリロクから盗まれた、各工房のイエモト設計図である。
「オディオさん……」
咎めるような強い語気ではない、悲しそうな声で、ロイはもう一度オディオの名を呼ぶ。その横顔を、カラーはじっと見つめている。
ロイにこんな悲しそうな顔をさせたくはなかった。設計図泥棒の真相を突き止めればまた笑ってくれると思った。それなのに、なぜ。
「お前じゃない、私が、なるはずだったんだ。私が、先生の弟子に。私が、世界一の技術者に、なるはずだったんだ」
絞り出すような声でオディオが呟く。先程まで隠していたどす黒い感情が彼を覆っているのを感じる。
「カラー、こっちへ来い」
それを感じ取って身構えるカラーに声をかけ、灰次はオディオに近づいた。憎しみを含んだ声と視線が、躊躇なくロイに向けられている。
「どうしてこんなことしたんですか」
「お前だけが先生の元でのうのうと職人として生きている。そんなこと、許されていいはずがない。私のほうが、お前より相応しいんだ」
「……」
「それでロイを陥れようとしたのか。変な噂まででっちあげて」
彼がどのように設計図を盗んだのか、それはこれから調べて行けばわかることだろう。そこまでは、灰次の推理力は及ばない。恐らく彼は自身の立場を利用して、何度か仕事という名目でジャッシュを訪れ、ハリロクにも足を運んだのだろう。
それなりに手間と時間のかかる企てだったろうことは想像に難くない。そこまでして、ロイの居場所を奪い、あわよくば
憎しみは彼の心を腐らせ、かつて純粋に競い合った友人を恨み、道を外れるような行為を犯した。その気持ちにまったく同情できないわけでもないが、かといって、これは許される行いではない。
「国家間の問題にまで発展しているんだ。あんたがやったのは、そういうことだ」
「全てロイエ、お前のせいだ。この事件だって、お前のせいになるはずだった! お前が、お前がいたから私は」
「オディオさん」
「お前は全てを持っていた。家柄も、愛される資格も、約束された将来も、何もかも! それを捨てて、それでもなお、私の手の届かない場所を手に入れて、お前は、お前は……!」
「そんなふうに、思っていたんですか……? 僕のこと」
ロイの声が震えている。かつて共に笑い合い、競い合った友人の心が腐り、濁ってしまったのは、誰でもない、自分のせいだと突きつけられたのだ。
それでもロイは、正面からオディオの言葉を受け止めていた。
「私のほうが優れているのに、なぜ。なぜお前ばかり、選ばれる? どうしてお前が先生の弟子になれる? どうして……!」
「オディオ」
溢れ出る恨みの言葉を遮るように、
「職人にとっていちばん大切なものは何だと思う」
「先生のような、技術力でしょう」
即答するオディオに、
「誇りだよ」
悲しげにそう告げると、オディオははっとしたような顔をする。
それは驚きでも怒りでも悲しみでもなく、そのどれでもあるような歪な表情で、じっとオディオを見つめていたロイも、思わず顔を背けた。
「お前が、復讐のために奪ったもの。それが我々職人にとっていちばん大切なものだ」
その言葉が全てだった。
「ああ……」
何よりも、憧れていた
彼にも、職人の埃や矜持がわからなかったわけではないのだろう。ただ、ロイへの憎しみが時を経るにつれどんどん積み重なり、それしか見えなくなってしまった結果がこれだったのだ。
罪よりも罰よりも、ただ
「ルーラ、聞いているんだろう」
崩れ落ちるオディオの姿から目をそらさずに、灰次が呟く。
返事はないが、ルーラは恐らくどこかで聞いている。
「これを持って急いでマラドに戻ってほしい。ユークリフに今の内容を急ぎ伝えてくれ。シーザならすぐに動くはずだ」
王国印の入ったプレートを外し、背後に差し出す。
一瞬、空間が揺れた気配がしたかと思うと、次の瞬間にはすでに手の中のプレートは消えていた。
ルーラの移動術がどの程度のものかはわからないが、自分が王都へ直接向かうよりずっと速く国王のもとに真実を届けることができるだろう。
そして恐らく、彼は早急にこの国を訪れるに違いない。女王であるアグリコと、そしてこの罪人の男と、直接の対話を望むはずだ。
「設計図は返してもらう。その後のあんたのことは、もう俺たちには手出しできない。国と国との問題だ」
隣国の技術を盗むという行為が、どういった罪に当たるのかはわからない。両国の判断によっては、流罪や死罪も有り得なくはないだろう。
「事情を話さねばなるまいな。ロイ」
「……はい。わかっています」
今回の一件について両国王に対し全てを明らかにするのであれば、過去の桐生院とアリストラクタの間で交わされた密約も明かすことになるだろう。
彼らも何らかの罪に問われることになるかもしれない。それでも、
それから灰次とカラーは、しばらくその場でオディオの盗んだ設計図の確認作業をしつつ、事の成り行きを見守っていた。詳細についてはハリロクに戻ってからになるが、工房印や枚数程度ならリャンからもらっている資料で確認できる。
ロイは母であるフロイデ、兄であるレイルと再会し、今回の件について
息子との再会に喜ぶ間もなく懐刀であった男の不祥事を伝えられたアリストラクタ家当主代行は、思っていたよりもずっと落ち着いていて、取り乱すようなことはなかった。ただ、オディオに一言、ごめんなさいと告げた。
「……レイル。すぐに当主の元に使いを出して。今はマールの国境付近にいるはず」
「わかった」
フロイデに言われ、ロイの兄であるレイルが部屋を出て行く。
すれ違いざま、レイルが弟の頭をぽん、と撫でた。それを見てなぜか、灰次は少しだけほっとした。
「藤堂さん。ご面倒をおかけいたしました」
こちらに向き直ったフロイデの姿を正面から見据える。高い位置で結わえた髪色はロイやレイルと同じ色をしていて、ふたりとよく似た整った顔立ちをしている。その表情や立ち居振る舞いから、品の良さと芯の強さが滲み出ている、と思った。
「仕事ですから。……大丈夫、最後までお付き合いしますよ」
これからオディオを連れて城へ向かうのだろう。幾分か不安げな表情と声色を感じ取って、灰次はそう返事をした。隣でカラーも、小さく頷く。
ロイの母や兄を前にしてカラーは何か言いたそうにしていたが、今は自分が何か言うべきではないとわかっているのだろう、特に何も言わずに確認し終えた設計図を整理する作業に戻っていった。
「灰次」
灰次が作業に戻ると、手元の設計図を丁寧に重ねながら、カラーが小さな声で話しかけてくる。こういうときにはあまり余計なことは話したがらないのに、珍しい。
「ん」
「やっぱり、すごく気持ち悪い」
悪事は明らかになったのに、心は晴れない。
「そうだな」
何度味わっても、カラーはきっと、この感情が嫌いだ。自分も、好きではない。
けれど、掃除屋をしていれば、気分の晴れない真実に行き着いてしまうことはあるのだ。それも、珍しいことではない。
「わかってるよ」
「何を」
「こういうのもぜんぶ、カラーは知らなきゃいけないんでしょ?」
「そうだよ。俺といる限りは」
異国の地であっても、黒猫の契約は灰次を裏切らない。契約の名のもと、いつでも寄り添ってくれる。
それが当然だとわかりつつも、こういった行き場のない気持ちを少しでも分け合える相手がいることが、灰次にはありがたかった。
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