十.桐生院世界

 ロイの姿は別れた時のままだった。

 眼鏡越しにこちらを見つめる目は不安げで、灰次は視線をそらさぬままゆっくりと近付いた。

「ごめんなさい」

 開口一番、ロイは謝罪の言葉を告げた。深々と礼儀正しく頭を下げる姿に、なんと声をかけていいものか迷う。

「そちらが掃除屋さんかね」

 返答に困っていると、物陰から見慣れぬ声がした。カラーは気配を感じていたのだろう。さして驚く様子もなく、声のしたほうへ顔を向けた。

「ししょう?」

「よくわかったねえ」

 穏やかな声とともに、声の主は姿を見せた。

 年季の入ったベージュのワークコートの下に、ところどころ汚れた黒いツナギを着ている。背はロイよりも高く、灰次の目線よりも少し低い。

 総白髪の長い髪をひとつに束ね、金縁の丸い眼鏡をかけた老齢の男性だ。柔和な表情を見せているが精悍な顔だちで、言い表しようのない、変わった雰囲気をまとっている。

桐生院世界きりゅういんモンド、さん?」

「ああ。初めまして。以前は不在で迷惑をかけたね。桐生院工房の桐生院世界きりゅういんモンドだ。よろしく、掃除屋さんがた」

 正直なところ、灰次は少々拍子抜けしていた。

 桐生院世界きりゅういんモンドという男は、もっと怪しくてもっと得体が知れなくて、もっと偏屈な老人だと思っていた。それこそ、こちらから挨拶しても一瞥もせず帰れ、などと言われそうな、そんな頑固親父のような人物を想像していたのだ。

 しかし現れたのは穏やかに微笑む老齢の男で、それも思ったよりも若々しく、爽やかな印象を受けた。

 もっとも、その奥に簡単には底を見せなさそうな、何かを隠しているような雰囲気はあったが、それでも人を拒絶することなく受け入れる広い度量のある人物に見える。

「こちらこそ、工房の連中には世話になってる。藤堂灰次と、ペットのカラーだ。よろしく」

 紹介されたカラーが小さく頭を下げると、世界モンドはうんうんと頷いた。

「それで」

 その様子を黙ったまま見ていたロイに、灰次が視線を向ける。

 ロイは一瞬ちらりと世界モンドの表情を見て、彼が微笑みながら小さく頷いたのを確認すると、ひとつ深呼吸してから口を開いた。

「急にいなくなったりして、ごめんなさい。仕事を途中で放棄してしまって、ご迷惑をおかけしました」

「で、今までどこにいた?」

 謝罪を否定も受け入れもせず、灰次は問う。

「師匠と合流して、しばらくは一緒に宿に」

「こっちに来るといつも使っている、お気に入りの宿があってね。流行ってはいないけど、静かでいいところなんだよ」

 緊張した様子のロイとは正反対な世界モンドのゆるゆるとした雰囲気に、調子が狂う。ロイの緊張を和らげるためにわざとやっているのか、それとも元から空気を読めない、または読まない気質なのか。やはり変わり者ではあるようだ。

「もともと、こっちで合流する予定だったんです。それで、おふたりに師匠を紹介するつもりでいました」

 楽しみにしてたんだよ、と世界モンドが口をはさむ。

「逃げた理由は?」

「メロさんが、僕に気付いたから」

「つまりお前は“ロイエ坊ちゃん”なんだな?」

 死んだはずの少年の名を口にすると、ロイはしばしの沈黙の後、小さく頷いた。

「ロイエのことを、どこまで知っていますか」

「五年前に死んだ名家アリストラクタの次男」

 実際、それ以上の情報はない。

 けれど今、ロイが頷いたことにより、彼が死んだはずのロイエだという確証を得た。その事情も理由も不明であるが、ロイがスパイではないかという疑惑にも真実味が増す。

「どういうことだ? 今回の設計図泥棒と何か関係があるのか」

「恐らく、ない、とは言いきれません。だから僕は、コガドに来ました」

「全部聞かせてくれないか。順を追って」

「はい。師匠、いいんですよね?」

「ああ。お前がそう決めたなら構わないよ。そう言っただろう」

 世界モンドの言葉に促されるように、ロイは話し始めた。


 アリストラクタ家には、ふたりの息子がいた。

 長男レイルは跡取りとしての自覚も強く、幼い頃から家業を手伝い、流通だけでなく観光や近隣諸国の事情についてもよく学ぶ、勤勉な少年だった。

 三つ違いの次男ロイエもまた、勉強が好きで、家の手伝いをよくする子どもだった。いずれは兄を手伝い、自分も流通所で働くことになると信じていた。


 あるとき、ロイエはひとりの職人と出会う。それがハリロクから流通所に不定期に訪れる桐生院世界きりゅういんモンドという一流の職人であった。

 彼はたちまちその技術に魅せられた。ものをつくる、ということに夢中になった。

 アリストラクタ家の補佐役であるナイト家の子息、レイルと同い年であるオディオもまた、同様であった。

 ロイエとオディオはすっかり桐生院世界きりゅういんモンドの技術に陶酔し、その技術を学んだ。世界モンドとしても子どもたちがそうして自身の技術や作品に興味を持ってくれるということは純粋に嬉しく、訪問のたびに様々な品や技術や土産話を持って行った。

 そしてロイエはやがて、将来は職人になりたい、と口にするようになる。

 オディオはこの頃すでに補佐役としての仕事を手伝っており、あと数年もすれば両親から正式に補佐役の座を継ぐことが決まっていた。職人を目指すことはできない。

 それでも、仕事を覚える傍ら、ロイエとともに壊れた日用品の修理をしたり、小さな仕掛け箱を作ったりして、尊敬する職人の不定期な訪問を心待ちにしていた。


 そんな中、事件は起きた。

 その日、桐生院世界きりゅういんモンドの鞄には、小さな仕掛箱が入っていた。一見するとただの四角い塊で、綺麗に磨かれた素材の欠片のようだが、仕掛けを解いていくと中から美しい水晶玉が転がり出てくる仕掛けになっている。


「キャボンの箱、覚えてますか」

「ああ」

「ああいう感じの箱で、素材はもっと柔らかいものだったんですけど」

 あの箱も、不思議な仕掛けが施されていた。結局、どうやって開けたのか灰次もよくわかっていない。

 キャボンという新素材もさることながら、ああしたからくり仕掛けを作ることができる、解くことができる、というのも、職人の腕なのだろう。


 その箱を、ロイエは偶然見つけた。世界モンドの鞄からこぼれていたのだという。興味津々で箱を手にした彼は、それが何かもわからないはずなのに、夢中で箱の仕掛けを探り始めた。

 磨いただけの素材にしては、肌触りが良い。無駄な装飾はないものの、それ自体が完成されたような美しさがある。これは何かの仕掛けだ、とロイエは直感していた。

「それはただの四角に切り出した素材の欠片なのでは?」

「そうかなあとも思ったんだけど、でも、何か仕掛けがありそうな気がして」

「ロイエ、私は桐生院先生の所へ行きますから。あまり触って壊したりしないよう、気を付けてくださいね」

「わかってる。ねえ、オディオさん、桐生院先生にこれが何か聞いといてよ」

「その手を止めてご自分でお聞きになったらよろしいのでは?」

 ため息をつくオディオに見向きもせず、ロイエはその塊に夢中になっていた。

 そもそも、世界モンドが持ってくるものは大概自由に触らせてもらっていたし、それも面白い物ばかりだった。だから、このときも、何の疑いも、警戒心もなく、ロイエはその箱に触れた。

 だが、それが事件を巻き起こすこととなったのだ。

「箱は、師匠が作った新しい仕掛け箱でした。今でも桐生院工房の一級工芸品として売り出しているものです。まだ試作段階だったとはいえ、僕はそれを解いてしまったんです」

「あれはさすがに驚いたな。部屋に戻ったら、綺麗に開いた箱とその中身を持って目をキラキラさせているロイエがいた」

 仕掛け箱は、一見するとただの四角にしか見えない。角度を変えたり、回してみたり、どこかを押すことで突起が現れてそれを起点に一定の手順で箱を開いていく。

 腕の良い技術者が作った箱ほどその仕掛けは傍目にはわかりにくく、大抵は趣味の品として仕掛けマニアのような層が買っていくか、開ける目的ではなく装飾や整った見た目の美しさからインテリアなどに使われることが多いが、場合によっては国家の機密情報の輸送などにも使われるものだ。

「僕もこれを作りたい、って言い出してな。ああ、この子はやはり素質があるなと思ったよ。それは翌月に王室への献上品として納める予定の品だった」

 王国の法で定められていることではないが、工房では新しい技術や素材、精巧な品が作られたときなど、王室へ報告や献上をすることがある。

 そうすることで、国は現在の自国の技術力を知り、外交手段として活用することができる。

 職人たちは基本的には自由で縛られない生き方をしているが、彼らもジャッシュの国民であり、日々の暮らしの中でその恩恵は受けている。国への貢献は、職人たちの活動の一環なのだ。

「中には何が入っていたんだ?」

「その仕掛け箱の設計図だよ」

 図らずも、ロイエはジャッシュの技術の最先端を知ってしまった。

「掃除屋さん。国の技術の最先端が別の国の者の目に触れてしまったら、どうする? それも相手は、前途有望、職人としての素質が大いにある少年だ」

 灰次には、答えはひとつしかなかった。

「消す、しかないだろうな」

「そう。管理の甘さはこちらの不手際とはいえ、ロイエは知ってはいけないことを知ってしまった。あまつさえ、それを作ると言い出した。なかったことにはできない」

「……だから、ロイエは死んだのか」

 

桐生院世界きりゅういんモンドは自国の技術をコルテへ持ち出し、その秘密を知る少年を殺した〉


 バージから渡された噂のことを思い出す。

 持ち出したのではなく、偶然見られてしまった。そして、その相手はコルテの前途有望なひとりの少年だった。


「先生。私はその技術がどんなに優れたものなのか、詳しいことはわかりません。けれど、その子の犯した罪は、その命で償う必要があることでしょう」

 ロイエの母は、事情を知って戸惑う素振りを見せはしたが、すぐに冷静さを取り戻し、そう告げた。

 今は小さな設計図ひとつ、他国の少年に知られた程度のことかもしれない。

 けれどそれがジャッシュでも腕利きの職人による最新技術で、少年はその職人が認めるほどの素質を持っている。悪用するしないにかかわらず、いずれこのことがどこかで知れることになれば、それは大きな問題へと直結する可能性もある。

 たとえ小さな火種でも、放置しておくわけにはいかない。いつか、少年の身に、アリストラクタに、桐生院に、ひいてはコルテやジャッシュに、大きな火の粉となって降りかかるかもしれない。

「ええ。残念ですが、部外者に知られたとあっては、後々、大きな問題になりかねない。ですが、今の自分は、この子が将来何を作るのかを見てみたいという気持ちのほうが大きい」

 設計図を見つめるロイエの希望に満ちた横顔を見た瞬間から、既に世界モンドの心はほぼ決まっていた。

 守り、生かすために、答えはひとつだった。殺したくない。その想いが強かった。

「それで、強引に連れ出したわけだ。ひとりの少年を殺して、有能な弟子を手に入れた。酷いジジイだと罵ってくれても構わないよ」

 それしかないと、あのときは思っていた。けれど、その選択が正しかったのかは今でもわからない。

 結果的に、ひとりの少年の人生を狂わせてしまった。自分のほんのささいな不注意で、ひとりの少年が死んだのだ。

「強引にじゃない。僕が自分で選んだ道です。師匠のことも職人になることもすべて忘れて、諦めて、ここで生きるか。今ここで死ぬか。二度とここへは帰れない場所へ行くか。僕は、職人として生きる道を、自分で選びました」

 けれどロイエロイはそうは思っていない。いずれ職人になる道を選ぶつもりだった。突然故郷を去ることは苦しくてつらい決断だったけれど、それでも、自分自身で選んだ道だ。


「わかった。いろいろ繋がってきた」

 ロイエ・レヒェルン・アリストラクタは、桐生院世界きりゅういんモンドとかかわりがあった。

 彼はジャッシュの最新技術を知って消されたが、実際にはロイとして生き延び、素性不明の桐生院門下の弟子として存在している。そして、その事情はアリストラクタ家の者たちも了承している。

「あんたたちはスパイどころか、ジャッシュの技術が漏れ出さないよう過去の秘密を共有している」

 彼らが今回の件の犯人でないことは確かだろう。イエモト設計図を盗みコルテへ流出させるようなことは、自分たちの首を絞めかねない、愚かな行為である。

「ロイ・エルファは偽名で、出自はコルテの商家。素性をひた隠しにしてたんなら、ジャッシュで調べても何も出ないわけだ」

「エルファ?」

 灰次のつぶやきに、桐生院世界きりゅういんモンドが顔をしかめた。それを見て、ロイは気まずそうな表情を見せる。

「お前、エール・ファーを名乗っていたのか?」

「……はい」

「桐生院の名が気に入らなかったのか」

「違います! その……」

「自分は流れ者だと?」

「……正式に技術者として学んできたわけでもない、師匠の弟子としてだって、僕は未熟で、その、命を助けてもらうために、弟子になったようなもので、だから……」

 灰次が初めてロイと出逢ったとき、彼は『桐生院工房のロイ』ではなく『ハリロクのエルファ』と名乗っていた。

 ひとりぼっちの風来坊。根無し草の男。いつしか遠くへ消えてしまった、ひとりの職人。ロイは、その姿に正体のない自分自身を重ねたのだろう。

「馬鹿だなあ、お前は。そんなこと、うちの奴らが知ったら怒られるだろうよ。胸を張って桐生院を名乗りなさい。お前の腕は、誰もが認めている」

「……ありがとうございます」

 そのやり取りを見て、ふと灰次は思い出した。

 オディオ・チ・ナイトが口にした噂。スパイである少年はロイ・エルファと名乗っている。確かにそう言っていた。

 しかし、トウカの調査結果でも、ハリロクの人間は誰一人としてロイがエルファと名乗っていることを知らなかった。そして、桐生院世界きりゅういんモンドが偽名として名乗らせたわけでもないことが判明した。

 ならば、あの噂の出どころはどこなのか。

「ロイ。お前がエルファと名乗った相手、俺たち以外だとどんな人間がいる?」

「あまり使っていません。基本的に、一度しか会わない相手にしか」

 恐らく灰次たちに対しても、先の一件以降、関わることはないだろうと考えていたのだろう。それは当然だ。掃除屋に関わることなど、普通に暮らしていればそう何度もあるものではない。

「他にお前がエルファを名乗っていることを知っていそうな人物は」

「どうしてそんなにエルファにこだわるんです?」

 ロイの問いかけに対し、灰次はオディオ・チ・ナイトという男から聞いた噂のことを話した。オディオのことはロイもよく知っている。幼少期をともに過ごした友人で、互いに桐生院世界きりゅういんモンドに憧れた仲間だ。

「灰次さん」

 オディオとの話の内容を伝えると、ロイは声のトーンを低くした。

 カラーがその声の変化に反応する。悲しさと、僅かな怒りを含んだ声だ。

「オディオさんに、会いに行きましょう」

「そう、なるわな」

 二度と帰らないと言っていた場所へ、少年は戻ることを決めたようだった。

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