六.急転
翌朝早く、灰次は部屋の窓をノックする音で目を覚ました。カラーも同じだったようで、窓の前に立ちピンと背筋を伸ばしている。嫌な予感がした。
「どちらさん」
警戒しつつドアをそっと開けると、見覚えのある男が立っていた。
「ユークリフ?」
「藤堂さん、失礼します」
そこにいたのは、以前アヤセに密偵として仕えていたユークリフという男だった。クーデター騒ぎのあと何度か顔を合わせており、現在は先代の側近であったアヤセの育ての父、ミュゼ・ジュオールのもとでその補佐をしている。
「どうしてここに」
「国王からの帰国命令です。ただちにジャッシュに戻ってください」
灰次の言葉を遮るようにユークリフはぴしゃりとそう告げ、ジャッシュの王室刻印が記された封筒を渡す。灰次はそれを素早く開けて中身を確認すると、彼に視線を送った。
「どういうことだ? なんで王室が」
「詳しくは後ほど話しますが、今、我が国の掃除屋がこの国にいるのはあらぬ誤解を招きかねません。国境まで馬車を用意してあります。早く」
「……わかった」
「灰次」
「仕方ないだろ。行くぞ」
国王の命令となれば、従わないわけにはいかない。ロイのことが気がかりだとユークリフに告げると、留意いたします、とだけ返ってきた。
灰次はすぐに支度を済ませ、宿代には少し多い金額を置いて、ユークリフに先導され逃げるようにコガドの街を出た。
「急務だな」
「ええ、まあ。鳥を使おうかとも思いましたが、長距離になると時間もかかりますし。国境まではジープで来ましたので、比較的早く着けたかと」
コルテ領を抜けるまでの馬車はユークリフが手配したもので、荷運び用の幌馬車だった。口止めもしてあるのだろう。御者は寡黙な男だった。
ガタガタと音を立てて揺れる荷台で、ユークリフが声を潜めて話す。
灰次たちがコルテに向かいマラドを出たその日の夜に、まずハリロクで騒動が起きた。保安員が保管していた盗まれたイエモト設計図がエスリーに見つかってしまったのだという。当然エスリーは保安員たちを問いただし、リンスキーのことがばれてしまった。その勢いのままエスリー工房の者たちは王都へ足を運び、翌日には王への直談判をおこなった。
「コルテがジャッシュの技術を盗んだ、とエスリーさんが王室に訴えました」
「ああ、なるほど」
「王は事を荒立てたくはないとおっしゃっていましたが、ハリロクの工房の訴えを無視するわけにもいきません。しかし、国家間の問題にするにはまだ不確定なことが多すぎます」
本当にコルテの者がイエモト設計図を盗んだのであれば、それは国家にとって大きな問題である。
ジャッシュは砂漠に囲まれた国であり、農産や水産はあまり盛んではない。だが、技術力は他国より秀でている。それがジャッシュの外交を支えている。その技術が他国に盗まれたとなれば、ジャッシュにとっては相当な痛手となる。
まして、工房の宝と呼ばれるイエモト設計図だ。献上品がそのままジャッシュの技術力の証となるほどの作品を作ることができる設計図。他国にも、ハリロクの工房ほどの腕ではないにしても、職人は数多くいる。もしも設計図を手にした者たちが、ハリロクの職人たちの技術を流出し拡散してしまったとしたら。
単にそれだけでハリロクの職人が消えてしまうともジャッシュの技術が失われるとも言えないが、職人たちの誇りは汚されてしまうだろう。それは、国にとって大きな財産を失うことに他ならない。
そうなれば、すぐにとはいかなくとも、いずれジャッシュの国力が衰退していくことは否めない。
「噂が広まるのは早い。既にマラドではエスリーさんたちが訴えに来たことが知れ渡っています。いずれ、コルテにもこの話は広がっていくでしょう」
「そんなときにジャッシュの掃除屋が王都に紛れ込んでりゃ、スパイだの仕返しだのといらん誤解を生むと」
「はい。桐生院の職人にあなた方がこの件でコルテに向かったと聞いて、慌てて追いかけてきました。王も心配されています」
そうなる前に王室はどう判断するのか。否定するか、肯定するか、国交を絶つのか。戦争まで無理矢理に推し進める方法だってある。
シーザは強引なことはしないだろうが、コルテはどうか。
あの風土を作り上げた国の王が猜疑的で好戦的であるとは思えないし、宿の主人の話を聞くにコルテの職人たちがそんなことをするとは思えない。しかし、絶対にないとは言い切れないのだ。
「向こうの王室は?」
「今のところ動きはありません。念のためビーネパッカーには、コルテの動向に注意しておくようにと指示を出してはありますが」
「そうか」
これまで仕事で、国家間のトラブルを掃除した経験もある。大事になったらなったで、打つ手がないわけではない。
「あちらの出方次第ではあるが、穏便に済ませたいところだな」
「しばらくは出国許可が出せなくなると思います。それでも動けますか」
「まあ、どうにかするさ」
追加料金の請求は王室宛でいいかい、と灰次が笑うと、ユークリフはほっとしたように、王に掛け合ってみます、と答えた。
国境を越えてジープに乗ってからはあっという間だった。コルテに向かうときは国境手前のナーシャから馬車で行ったためゆったりとした旅だったが、王室のジープを使うと国境からマラドまでは数刻で着いてしまった。
「国王にお会いになりますか」
マラドの城下に入ると、ユークリフが尋ねた。
「ああ。でも、まずはこの先で降りる。陛下には焦らないようにと伝えてくれ。あとで会いに行く」
「わかりました。藤堂さんもお気をつけて。クルスの加護があらんことを」
「ありがとう」
灰次とカラーは十九郎の店の前でジープを降りた。
預けていたバイクのサイドカーに大きな荷物を投げ込むと、バイクには乗らずにそのまま店を出る。
「灰次! イエモト設計図の件、どういうことだ」
「まだわからない。ちゃんと調べてくるから、あんたらも早まるなよ」
「その件なんだが、実は」
「悪い、今は急ぐ!」
十九郎との会話を遮って、灰次はゼロストリートへと走った。トウカの元にも情報は入っているかもしれないが、今は確かでなくてもいい、今マラドでいちばん新しい情報が欲しかった。
ゼロストリートの最奥。小さなテントの前に、噂の終着駅こと、バージが立っていた。
「もう戻ったのか。王室のジープはさすがだな」
彼の元には既に、灰次がコルテに行ったことも、そこから強制送還されたことも、届いていた。
「話が早い。役に立ちそうな情報はあるか」
「入れ」
バージはテントの入口の幕を上げ、灰次を中へと促した。以前来たときよりも物が増えているテント内で、灰次は適当な場所に腰を下ろした。その隣にカラーが座る。
「コルテは本当に技術スパイを仕込んだのか?」
「俺はそうは思わないが、噂は急速に流れているな」
「信憑性の高そうな情報は」
「今のところない。が、ひとつ、気になる噂は流れてきている」
バージが煙草に火をつける。
「教えてくれ」
「少年職人の噂だ」
フー、と大きく煙を吐いてから、バージが告げた。ロイのことだろうと察して、カラーが何か言いたそうにバージを見つめる。
「桐生院門下のロイという少年は、隣国コルテから送り込まれた技術スパイである」
「うそ!」
バージの言葉に、反射的にカラーが叫ぶ。今回は相手が見知ったバージだからであろうか、同じようなことを言われてもオディオのときのように殺気立ったりはしなかった。代わりに、はっきりと反論してみせた。
「ロイ、嘘ついてる。でも、わるくない!」
「落ち着け。俺だってこんなの信憑性はないと思っている。技術スパイって感じじゃないだろう、アレは」
バージがロイと会ったのは謁見の間で、ほんの少しの時間だった。だが、彼はスパイのようなことができる人間ではないとバージは思っていた。
「殺気が足らん」
元騎士団のエリートで、情報戦と暗殺を仕事としていた男の目が、カラーをじっと見ている。カラーはおとなしく、灰次の隣に座りなおした。
「噂ってのは、いろいろでな。多くの人間が話していれば信憑性があるというものでもない。今話した噂も、街の片隅でしか聞くことのないような噂だ。大きな話にはなっておらん。だが、この噂は色味が違う。お前さんらに伝える価値はあると、俺は踏んだ」
流れ着く数多の噂や情報。バージはその中から的確なものを選び抜く力がある。情報屋は量だけではやっていけない。質が売りなのだ。相手の欲しいものを、膨大な情報量の中から選び、渡す。それができるからこそ、ここに噂は集まり、留まる。
「その噂なら、実は向こうでも聞いたんだ。ま、スパイかどうかは別にして、関わりがあるのは事実だろうな。あいつは向こうで姿を消した」
「ほう、コルテでもそのような噂が? いや、その噂……うむ……」
ひとり唸って考え込むバージに、灰次は急かすように言葉を続ける。
「バージ、ハリロクの職人が暴動を起こしそうな情報は? シーザが国家問題としてコルテに報復するとかいう噂は?」
「ない。職人たちは血の気が多いが、分別も誇りもある。勢いに任せたとしても、やるのは今回のような直談判までだ。陛下は賢明であられるからな、すぐに戦争にはならんだろう」
「それだけ聞ければいい。ありがとな、バージ」
灰次が立ち上がった。カラーもそれを見て立ち上がる。
バージの情報と見解は自分とほぼ一致している。悠長に構えていられる状況ではないが、かと言って今日明日中に国交断絶に至るような事態は起こらないだろう。
だが、ロイの名が罪人として噂とともに広まる可能性もある。そうなってしまえば、真実を追うことは難しくなるかもしれない。
「バージ、あとひとつ教えてくれ」
「なんだ」
「コルテを治めているのはどんな王だ?」
「そんなことも知らんのか。ペシェ・アジェンダ・アグリコ。見目麗しく聡明な女王陛下だ」
隣国とはいえ、これまで接点のなかったコルテの情報を、灰次はあまり持っていない。タケイチやマールといった国であれば、灰次も何度か行ったことがあるし、その国の政治事情にもそれなりに詳しい。
コルテは平和な農業国で、ジャッシュの一介の掃除屋が介入するような事件や依頼はこれまでなかったのだ。
「勉強不足だったわ」
「無知は罪であり、ときに枷となる。常に情報収集を怠るな」
「ああ。これ、とりあえずの礼だ。金は改めて」
灰次はコートのポケットから小瓶を取り出して投げた。昨晩買った果実酒のひとつだ。中身はプラムの果実酒だった。
「まあ、コルテなんてこれまで無縁の土地だったろうからな」
テントを飛び出す背中を見送ってから、バージは瓶の蓋を開ける。煙草の煙に混じって、甘い果実の香りがふわりと漂った。
メインストリートに出ようとしたところで、灰次は声をかけられた。それはまさに、これから灰次が会いに行こうとしていた人物であった。
「お探しの商品、恐らく私、持っております」
「俺の行動パターン筒抜けか」
「先ほど、ゼロストリートへ向かう姿を見かけましたので」
人気のない路地裏で、トウカがにこにこと笑いながら手招きしていた。わざわざ自分を追いかけてくるなんて珍しい。いつもは店で待っているというのに。
「お急ぎ便ですのでちょっと割高ですよ」
「お急ぎ便の押し売りかよ。まあいいわ。いいもんあるんだろ」
はい、とトウカは笑って大きめの封筒を灰次に渡した。複写ですので差し上げます、とトウカが言う。中身を取り出すと、ロイの写真と何枚かの報告書のようなものが入っていた。
「ロイさんの身辺調査結果です」
「ロイのこと?」
カラーが身を乗り出す。灰次は真剣な眼差しで、報告書を読み進めている。
「五年前に桐生院門下に弟子入り、それ以前の経歴不明」
「ある日突然、
過去の話が一切わからないのだとしたら、知っているのは
「これは推測ですが」
報告書を見つめたまま考え込む灰次に、トウカが声をかける。
「彼は、ジャッシュ出身ではないのではありませんか?」
「なんでそう思う?」
「まず、ズー・ディアの活動はジャッシュ国内を中心におこなっています。その情報網に過去のことが掛かってこないということは、他国の出身である可能性が高いです」
なるほど、と呟いて灰次は続きを促す。そういえば最初に会ったとき、どこの出身かと聞いた際に少し様子がおかしかった覚えがある。
「それから、クルス教への信仰について。あれだけ礼儀正しい方が、一度もクルスのご加護を口にしないというのは不自然です。アルクルス様やあなたのような方でしたらわかりますが」
「今度から言ったほうがいいかい?」
「いえ、結構です」
確かに、違和感はあった。品のある言動からどこかの貴族の血筋かとも思っていたが、この国の貴族出身であれば国教であるクルス教への信仰は厚いはずだ。子どもの時分から、加護や祈りについては礼儀作法のひとつとして教えられているはずである。カラーの黒髪と赤目にも偏見はなかった。あからさまな迫害や差別はなくとも、貴族階級の者たちはなるべく黒猫を避けたがるのが普通だ。
「それと、もうひとつ」
「なんだ?」
「こちらです。エルファ、という名について」
トウカの示した部分を読むと、灰次は顔を顰めた。隣でカラーが覗きこんでいるが、何が書いてあるのかは読むことができない。
「ハリロクの職人たちの中では名無し、屋号無しといった意味で使われている名前、エール・ファー」
「エルファ? ロイのこと?」
ロイは灰次やカラーとの初対面のときも、トウカと初めて挨拶を交わしたときも、ロイ・エルファと名乗った。だから当然それがロイの家名であると思っていた。
「調査員がハリロクの酒場でエルファという少年を知らないかと尋ねたところ、皆さん笑っておっしゃったそうです。エール・ファーはどこの工房にも属さない、または属すことができない、流れ者や風来坊が使う名だと」
調査員はその話を聞き、ロイのことは口に出さなかった。どうやら訳ありの職人が名乗るものであり、ロイがハリロクの外に対してそう名乗っていることは皆知らないらしい。試しにロイについて別の日に話を聞いてみれば、あの子は腕がいいだの職人にしてはひ弱すぎるだの、今度は賑やかな答えが返ってきたという。
「あいつは桐生院門下だろう」
「ですから、気になるのです。なぜ彼が
「……トウカ、ひとつ頼まれてくれないか」
そこでふと、灰次は思い出したように呟く。
「なんです?」
「コルテの農業貿易商、アリストラクタについて知りたい」
「アリストラクタ、ですか」
トウカが驚いたように聞き返す。国外事情には、トウカもあまり詳しくはないらしい。
「今、国外の、コルテの情報を集めるのは難しいのはわかってる。だが、ひとつだけ知りたい。五年前に死んだその家の次男のこと。ロイエという名前の少年のことだ」
「ロイエ? まさか」
「そうかもしれない。だから、頼む」
灰次の目がまっすぐにトウカを見据える。この目をしているときの灰次は、何を言っても無駄だと知っている。もう、既に彼の中でこの先のことが動き出している。止めることも、拒否することもできない。
「少し、時間がかかるかもしれません。よろしいですか」
「ああ。間に合えばいい」
何に、とは言わなかった。けれどトウカは強く頷いて、にこりと笑った。
「トウカ」
「はい、カラーさん」
「これ、さきばらい」
カラーがポケットから取り出したのは、未開封のリンゴチップスだった。
「ありがとうございます。ご依頼、お受けいたしました」
トウカはチップスを大事そうに抱え、メインストリートのほうへ戻っていった。
「いいのか、お前、気に入ってたのに」
「うん」
カラーなりにロイのことを気にかけているのだろう。真実を明かしたいのは灰次もカラーも同じだ。
「ロイのこと好きか」
「うん」
「嘘をついていても?」
「うん。ロイはあったかいにおいがする。ときどきちょっと、さみしいけど」
ロイの身辺が後ろ暗いものであれば、カラーはここまでロイを気に入ることはないだろう。
誰より嘘に敏感で、誰よりも悲しみを嫌う。そんなカラーが、ロイは嘘をついている、とは言っても嫌いだ、とは言わない。ロイを覆うもの、彼の過去、それが何かはわからないが、きっと悲しいものではないのだろう。
「ハリロクに行くしかないかね」
「ししょう、いないかもしれないよ」
前回キャボンの箱の依頼に行ったときも、今回の件でハリロクへ出向いたときも、
「さきに、おうさま、あいにいく?」
「そうだな」
城下の噂と、少年の情報。次に欲しいのはこの国の王の判断と見解である。
ユークリフの言葉を思い返す。正式な国の依頼を受けるのであれば、城に向かわねばならない。
ざわめく城下のメインストリートへと、ふたりは足を向けた。
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