五.噂と情報

 昼食のあと、宿には戻らず城下町を歩いて回りながら、灰次は得た情報を整理した。

 設計図泥棒は、誰なのか。目的はなんなのか。なぜ設計図はオディオの元に届いたのか。技術スパイが本当に存在するとしたら、それは、ロイ・エルファなのか。

 ロイがコガド・シティに来たことがあるのは確かだろう。彼はずっとハリロクにいると言っていたが、恐らく自分の知らない彼の過去に、この街でのあまりよくない思い出がある。それはロイの様子を見るに、ほぼ間違いない。

 手掛かりとなる、ロイエ坊ちゃんというメロの言葉。あの言葉を聞いて、ロイは明らかに顔色を変えた。そしてそのまま、姿を消した。

 ロイエはこの街の有力者であるアリストラクタ家の跡取り息子で五年前に死んでいる。名前も顔もよく似ている少年ふたり。ロイエの死が偽装であったならば、同一人物だという説も浮かんでくる。しかし、死を偽装する意味がわからない。

 そこで出てくるのが、オディオの言っていた技術スパイの話である。ロイの名が具体的に出てきたことで、何者かがロイエの死を偽装し、ロイ・エルファとして隣国へ送り込んだ、と繋げることができた。

 だが、なぜコガドきっての商家の跡取りを技術スパイにする必要があったのか。職人なら、この国にだっている。言い方は悪いが、突然姿を消しても騒ぎにならないような者も、中にはいるだろう。わざわざロイエを選ぶ理由がわからない。

「繋がりそうで、繋がらねえなあ」

 通りの往来を眺めながら、灰次は眉間にしわを寄せている。

「灰次?」

「死を偽装してスパイになる。まぁ、ない話じゃないわな。設計図を盗んで、国に送る。送り先を間違えてナイトの元に届く。スパイにしちゃドジすぎるが、ありえないとは言えない。これで確かに筋は通るんだが……これを事実だと言うにはまだ不確定なことが多い」

「灰次、さっきのひと、またあいにいくの?」

 オディオのことを言っているのだろう。そのつもりだと灰次が言うと、カラーは不機嫌そうな顔をした。

「あのひと、きらい」

「だから、あれは噂であってあの男が悪いわけじゃ」

「ちがう。あのひと、弱い」

「まあ見るからに荒事の苦手そうな文官ぽい男だったわな。でも、お前に比べれば大抵の人間は弱いだろ」

「そうじゃなくて、すぐにおれちゃう」

「折れちゃう?」

「うん」

 カラーの言いたいことはいまいちわからないが、はっきりと嫌いと口に出したことに驚いた。カラーの感覚は確かだ。オディオは協力者ではあるが、用心しておくに越したことはない。

「わかった。お前がそう言うなら気を付けるよ。でもな、あの男にはロイエの話も聞かないとならない」

「さっき聞かなかった」

「あれ以上話が続いたらお前が何しでかすかわからなかったからだろ」

「カラー、まだがまんできたのに」

「どうだか。目だけで殺しそうな勢いだったぞ、お前」

「そんなことしない」

 言葉に怒気が混じる。カラーが灰次にこういった感情を向けるのは珍しい。そもそもカラーは、あまり感情をはっきりと表に出さない。

「……なあ、お前、ずいぶんロイに執着するよな。もしロイが悪人だったとして、俺があいつを掃除しないといけなくなったら、お前どうすんだ」

 答えはわかりきっている。黒猫は契約者を裏切ることは決してない。感情がどうあれ、カラーは灰次に言われれば、ロイを掃除しなくてはならない。

 茶化すでもなく、低いトーンで問う灰次をじっと見上げて、カラーは首を振った。

「それはないから、だいじょうぶ」

「もしもの話だろ」

「ない」

「なんで」

「ロイは嘘ついてるけど悪いことしてないから」

「根拠は」

「しょうこがいるの?」

 そう返されて、灰次は言葉に詰まった。カラーの言うことに根拠は必要かと聞かれれば、答えはノーだ。必要ない。

 カラーと話すときは、人間の常識を前提にしてはいけない。黒猫とはそういうものだ。灰次に見えているもの、聞こえているものとは違う世界を見て、違う音を聞いている。全く違うのだから、理解はできない。だが、だからと言って黒猫の言葉を疑うのは、契約者として愚かな行為であるともわかっている。

 黒猫は、契約者に対して誓約がある。

 黒猫は決して裏切らない。黒猫は決して嘘をつかない。黒猫は決して死なせない。

 それが藤堂灰次とカラー・カッツェの間にある全てである。同じように、灰次もカラーを裏切ってはいけないし、嘘をついてはいけないし、死なせることもしてはいけない。

「悪い」

「いいよ。灰次、いらいらしてるから、しょうがない」

「お前にそういうこと言われるの地味に効くわ」

「そういうときは、お酒のんで寝る」

「そうかよ」

「うん。カラーはりんごジュースがいい」

「ちゃっかりしてんな」

「タルトタタンは、おみやげにする」

「はいはい。……今日はよくしゃべるね、お前」

「うるさい?」

「いいよ。お前も戸惑ってんだろ。わかる」

「うん。でも、ちゃんと灰次のことたすけるから、だいじょうぶだよ」

「そうしてくれ」

 近くの店でりんごジュースと昨日とは違う銘柄の果実酒の小瓶をいくつか買って、宿へ戻る。カラーを先に部屋に押し込んでから、灰次は宿屋のカウンターへ行き店主に話しかけた。

「今、少しいいかい?」

 あのひと、きらい。その一言が頭に残っている。オディオに接触せずに情報を集められるのなら、そのほうがいい。

「ええ、もちろん。どうしました?」

「コルテは初めて来たんだが、いろいろ教えてもらいたいことがあってね」

「お客さん、ジャッシュからでしたっけ。そういえば、先に帰られたお連れさんは大丈夫でしたか」

「ああ」

 それはよかった、と店主は朗らかな笑みを浮かべる。

「こちらへは観光で? お仕事で?」

「仕事だよ。流通所に用事があって」

「商談ですか? こんな時期に珍しい」

 出荷のシーズンのことを言っているのだろう。

「いろいろあってさ。おかげでなかなかアリストラクタさんに会えなくて困っているところだ。だが、うちの客がどうしてもと言うもんだから、仕方ない」

 商談、という言葉を否定も肯定もせず、灰次は話を続ける。

「それはご苦労様ですねえ。ああ、補佐役のナイトさんに頼んでみてはどうです? 仕事のできるお人だから、うまく調整してくれるかもしれませんよ」

 ここでもオディオ・チ・ナイトの名が出てきた。優秀な補佐役として、街の人々からも信頼されているらしい。

「そうしてみるよ。ところで、アリストラクタっていうのは、どういう家なんだ? こっちで仕事するのは初めてでね。あんな大きい流通所を昔から仕切っているんだろう?」

「はは、何も知らないでいらっしゃったんですか。相当、急なお仕事だったんですね。じゃあ少しお話しましょうか」

 アリストラクタ家は昔からコガド・シティに暮らす貿易商の家系で、古くから王室の信頼も厚く、大きな仕事を任されることも多々あった。

 コルテは以前は閉鎖的な国だったが、若くして王位を継いだ先王が観光立国を掲げ、それに伴い貿易の幅を広げるようになった。コルテブランドを確立し、そのブランドを維持するために国内の流通業務を一ヶ所にまとめることになり、そこで総責任者として抜擢されたのが古豪の貿易商、アリストラクタだったというわけだ。

 アリストラクタの当主は常に国外を飛び回っていて、現在、流通所の総責任者は当主の妻であるフロイデ・リヒェルン・アリストラクタであるという。彼女を中心に、息子であるレイルという青年と、補佐役であるオディオ・チ・ナイトが流通所をとりしきっている。

「そんな大きな家なのに、ご子息がひとりだけ? 珍しいな」

 息子のレイルという名が出たところで、灰次はそう切り出した。店主は、ああ、と呟いてから、悲しいことを思い出すような表情を見せた。

「アリストラクタさんと仕事をするなら、知っておいた方がいいでしょうね。実はね、もうひとり、ロイエという子がいたんですよ。レイルの弟で、とてもいい子でした。それが五年前に急に亡くなってしまって」

「そうか……病気だったのかい」

「そんなふうには見えなかったんですけどねえ。お葬式もご家族のみでされたそうです。あのときばかりは、ご当主もすぐに帰国されて」

「ありがとう。アリストラクタさんに会う前に知れてよかった」

 やはりロイエは、五年前に亡くなっている。メロの話と同じだ。レイルという兄が母親を支えているということも、聞いた話と違いない。

「もうひとつ聞いていいか?」

「ええ、どうぞ」

「ハリロクって街を聞いたことあるかい」

「もちろんですよ。職人の街でしょう。コルテでもハリロク製は人気がありますからね。アクセサリーや日用品はハリロクに限ります。我が国にも職人はいますし、市場に出回っている品だってそれなりの質ですが、やはりハリロク製は違いますよ」

 手放しで自国の技術を褒められると、なんとなく照れくさい。自分は職人でもなければ商人でもないのだが、嬉しいものだと思った。

「昔はよく、ハリロクの職人さんがこの街にもいらしていたんですよ」

「へえ、そうなのか」

「流通所で使う道具だとか、そういうものも面倒見てくれていたんです。職人さんたちが直接っていうよりは、コルテの職人に技術を教えるために来てくれていたみたいですがね。この街の者たちはみんな、ハリロクの職人も方たちを尊敬していますし、感謝しています。宿の調度品なんかも、その頃はよくハリロクからの仕入れがありました。椅子やテーブルだとか、ベッドだとか」

「最近はあんまり?」

「物がいいのでなかなか壊れないんですよ。本当にいい仕事をしてくださる。それに、コルテの職人たちも昔より腕が上がっていますからね、ちょっとした不具合は事足りています」

 そういったこともできるように、ハリロクの職人たちはこの国の職人に技術を教えたのだろう。商売のことだけを考えれば、それは愚かな行為だという者もいるかもしれない。けれど、ハリロクの職人たちは損得勘定で動くわけではない。自分の作った道具が末永く愛されること、自分たちの技術が繋がっていくこと、そういうことに誇りを持つ者たちだ。

 そしてまた、彼等には自信がある。自分たちが進歩し、さらに新しい技術を産み出していくという揺るぎない自信があるからこそ、自身の持つ技術を惜しみなく国外の職人たちに教えることができたのだろう。

「我が国ではこの肥沃な大地とそれを活かした農業や観光が大切な財産です。恵まれた国だと思っています。作物が育つのに苦労はしないし、人が過ごすにも過酷な場所は少ないですからね。けれど、ジャッシュは砂漠の国でしょう。そういう場所でああいった素晴らしい技術が磨かれていくというのは、自然なことでもありますが、やはり、その国に住む方たちの強さや知恵があるのでしょうね」

「そう言われると、なんともむずがゆいが、そうだな。人が暮らすには厳しいこともあるが、砂漠の国だからこそ培ったものは多くある。あんたが言うように、技術力もそのひとつだ」

 だからこそ、スパイなどいれば、大事になりかねない。

 宿屋の主人は、オディオが言っていたような噂は知らないようだ。技術スパイの噂を耳にしていたり、何か後ろ暗いことを知っていたりすれば、手放しにジャッシュのことを褒めはしないであろう。

 情報収集の結果は上々といったところだ。アリストラクタのロイエの話の裏付けと、職人についての話を聞くことができた。この街の人間にとって、ハリロクの職人たちは憎むべき存在ではない。寧ろ、好意的であるようだ。ならば、スパイの噂はどこから湧いて出たものか。

「ありがとう、勉強になったよ」

 主人はにこりと笑って、部屋へ戻る灰次を見送った。

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