四.アリストラクタの男

 宿に戻ると、ロイの部屋は空室になっていた。

「お連れさんなら、ずいぶん前に荷物持って出て行きましたよ」

 店主に聞くとそう答えて、何かトラブルですか、と心配そうに尋ねられた。

「ああ、いや。すまない、用事ができたみたいで。先に帰るとは言ってたんだが、思ったより急だったから」

「確かに、切羽詰まった顔をしていましたね。おふたりは今日もお泊りでしょう? ごゆっくり」

「ありがとう」


 灰次は、最悪の事態を想定する。

 ロイがこの事件に関わっているとしたら。ロイがこの国の出身で、本当にアリストラクタの血縁者だとしたら。もし、五年前に死んだとされているロイエという少年なのだとしたら。

 考えたくはないが、彼が犯人ということも視野に入れて調査を続けなければいけない。自分たちに同行したのも、裏があるのかもしれない。

「灰次。ロイ、わるくないよ」

「わかってるよ。念のためだ」

 カラーに言われなくともわかっている。恐らく彼は犯人ではない。万が一、今回の件に何か関わりがあったとしても、彼は悪人ではないだろう。

 それでも常に全ての可能性を考慮しなければならない。それが灰次の仕事だ。

「とにかく明日、流通所に行ってみよう。何かわかるかもしれない」

「ロイ、ごはんたべたかな」

「大丈夫だろうよ」

「ロイ、嘘ついてる」

「ああ」

「すごくきもちわるい」

「ああ。俺も同じだよ」

 そわそわした様子のカラーに、おいで、と声をかけると、カラーはゆっくりと灰次に近づいてその膝の上に座った。頭をなでてやれば少し落ち着いたようで、ポケットからメロにもらったリンゴのチップスを一袋、取り出す。

「灰次にもあげる」

「ありがとよ」

 チップスをつまみに果実酒を飲むと、甘いリンゴと酸味のあるブドウの味が、口に広がった。

「ああ、確かにうまいわ」

 ジャッシュに帰る前に、あの店にあった大きなボトルを買って帰ろう。そんなことをぼんやり考えながら、カラーの差し出したチップスを口に放り込んだ。



 翌朝、灰次とカラーは再び流通所へ向かった。

「開いてないな」

 来客用窓口は閉まっていた。時間を確認する。掲示されている通りであれば、今日は休業日でもないしとっくに窓口は開いている時間だ。

「忙しい時期はこんなもんなのかね」

「あえないの」

「ああ、どうしたもんか」

 紹介状も用意して、真正面から堂々と入る手立ては準備できているというのに、中に入れない。少し離れた従業員用の出入口は開いている。流通所自体は稼働しているということだ。やはり関係者を装って潜入するしかないのか、と考え始めたところで、ひとりの男が近づいてきた。

「失礼。観光の方でしょうか」

 従業員出入口のほうから歩いてきた男は、上品な黒のスーツを身にまとっていた。ウェーブがかった茶色い髪は丁寧に整えられている。

 ジャッシュであれば中流以上の貴族階級であろう身なりの男に、カラーは身構えた。ここはジャッシュではないから自分の容姿が疎まれることはないだろうとわかってはいるが、やはりそういった身分の者は苦手だ。

「ああ、まあ。今日は、流通所の見学はできないんですか」

「すみません。出荷作業の都合で、昨日の昼過ぎからそちらの窓口での受付を見合わせておりまして」

 彼は恐らく流通作業の労働者ではなく、管理者や経営者の類の者だろう。とすれば、アリストラクタ家の関係者かもしれない。うまくすれば中に入れるのでは、と灰次は思考を巡らせる。

「ああ、申し訳ありません。私、こちらの流通所の代表補佐役をしております、オディオ・チ・ナイトと申します」

 灰次が黙り込んでいるのを警戒していると思ったのか、男は慌てたようにそう名乗った。

「ナイト……」

 確か、メロが言っていたのは、そんな名前ではなかったか。彼なら話を聞いてくれるのでは、と言っていたが、まさか向こうから来てくれるとは。この機を逃す手はない、とばかりに灰次はポケットの中の招待状を探った。

「俺は藤堂。ジャッシュの者です。この紹介状を見てもらえますか」

 メロの紹介状を取り出すと、オディオに差し出して見せる。オディオは灰次の手にある紹介状を見て、ふむ、と唸った。

「流通経路についての調査ですか。観光の方ではないようですね。なぜ、ジャッシュの方がこのような調査を?」

 不安げにこちらを窺う様子に、灰次はにこりと笑った。

「知人に頼まれまして。コルテブランドの取り寄せを利用している男なんですが、自分がいつも食べている商品がどのように届くのか興味を持ったと」

「ご自身で見学に来るのではなく、あなたに調査を依頼したのですか」

「忙しい男なんですよ」

「あなたは何者です」

 いよいよ訝しげな表情になる。確かに苦しい言い訳だと自分でもわかっている。灰次は苦笑いしつつ、どこまでこの男に話していいものか探っていた。メロの様子では、彼は信頼に足る人物のようだ。異物混入の件を話せば、きちんと取り合ってくれるかもしれない。

「すまない。ちゃんと話すよ。俺は藤堂灰次、ジャッシュの掃除屋だ」

「掃除屋? なぜ、そのような方が」

 隣国のトラブルシューターが来るような事態といえば、大なり小なり問題が起きていることは間違いないと考えたのであろう、オディオが息を呑んだのがわかった。それから一瞬何かを考え込んで、さっと顔が青ざめた。

「すみません。中へ」

 慌てた様子のオディオに促されるままに流通所内へ入る。従業員入口の担当者に客人だ、とだけ告げて、オディオはふたりを自分の執務室に連れて行った。


 室内には大小いくつかの本棚と書類の入った棚、執務机と簡易な応接セットがあった。オディオは扉の鍵を閉め、大きな窓に掛かったカーテンを引いた。陽射しが遮られた室内は、一瞬で薄暗くなる。応接セットの卓上にあるランプに明かりを灯すと、彼は、お掛けください、とふたりに着席を促した。

「設計図の件ではありませんか」

 声は震えていたが、オディオははっきりと設計図、と言った。

「どういうことだ」

「私が、送り返しました」

「何を知ってる?」

まさかこの男が犯人か、と灰次は身構えるが、それにしては様子がおかしい。オディオはしばらく俯いていたが、意を決したように顔を上げ、口を開いた。

「なんの前触れもなく、私宛に一枚の設計図が届いたのです。ジャッシュ国王の名が記された書類ですから重要なものだろうと思い、エスリー氏宛のリンゴの箱に密かに忍ばせました」

 イエモト設計図には工房の名も記名されている。オディオはこの仕事が長く、何度も取り寄せを利用している顧客の名前を覚えていた。そこにエスリーの名があったことを思い出して、慌てて送り返したのだという。

「ハリロク・タウンから送られたもののようですが、差出人は不明です。なぜ私のところに送られてきたのかも」

「心当たりはないのか」

 オディオは再び顔を伏せ、黙り込む。しばらく沈黙が続いた後、はあ、と小さく息を吐いて席を立つと、執務机の引き出しから封筒を取り出してきた。

「これが、設計図が入っていた封筒です。私宛になっています」

「差出人に心当たりは? 本当にないのか」

「……」

「少しでもあるなら、教えちゃくれないか。あの設計図はあんたの言う通り重要なものだ。どういう経路であれが流出したのか、俺はそれを調べなくちゃならない」

 オディオはまた俯いてしまう。

 こういう相手に対しては焦ってはいけない、と灰次は経験上、心得ている。恐らく彼自身も、誰かに話したいはずだ。だが、簡単に口にできないこともあるのだろう。

 灰次はもう一度、話してもらえないか、と呟いた。

「確証は、ないのですが」

 オディオが言いにくそうに口を開く。

「ハリロク・タウンにいる、少年技師についての話です」

 恐らくロイのことだろう。ああ、やはり彼が関係しているのか、と灰次は小さく息を吐く。

「彼が、コルテからジャッシュに送り込まれた技術スパイだと」

「スパイ?」

 スパイ、という穏やかでない単語が出て、思わず灰次は聞き返す。カラーも隣でその言葉に反応し、耳をぴくりとさせた。オディオは小さく頷いて話を続ける。

「数年前にハリロク・タウンに突然現れた少年がいるそうです。彼は、職人になるためではなく、ハリロク・タウンの職人の技術を盗むためにコルテから出て行ったと噂されていて」

「その少年が誰か知ってるのか」

「……ハリロク・タウンでは、ロイ・エルファ、と呼ばれているそうです」

 途端にカラーの殺気が強くなったのを、灰次は感じ取った。今にも飛び掛かりそうな状態のカラーを制して、灰次は冷静を装ってその先を促す。

「私も、そんなことはただの噂だと思っていたのです。正体不明の虚説、聞いたことはあるけれど実体のない、影のような噂……そんなものはあちこちに点在しています。これもそういった類なのだと。しかし……」

「ロイ・エルファというその少年は、実在しているのか?」

「はい。なんでも、高名な職人の弟子だとか。けれど、この国にそんな少年がいた記録はないのです。出生記録も、王室への届け出も、何もありません」

「……情報、感謝する。その封筒、借りても構わないか」

「ええ、どうぞ」

「しばらくは城下のルーティという宿に留まって調査をするつもりだ。今後も協力をお願いしたい。何かあったら連絡をもらえるか」

「もちろんですとも」

 誰にも話せずに抱えていたのだろう。オディオはほっとしている様子を見せた。

 灰次としても、進展があったことは喜ばしい。しかし、そこにロイの名が出てきたことは、正直、信じたくはないことであった。たかが噂、虚説であると言われても、自身の抱いていた疑念にこうも肯定的な要素がはっきりと浮かんできてしまえば、それは真実に近しくなっていく。今はそれを否定できるだけの判断材料も、情報もない。あるものといえば自分とカラーの、ロイを信じてやりたいという個人的な感情だけだ。

 それでもまだ、ロイが犯人であると断定はできない。引き続き、この協力者との調査が必要になるだろう。

 仕事に戻るというオディオはふたりを従業員出入口まで送ると、深々と頭を下げた。

 カラーは相変わらずピリピリしていて、あれから一度も言葉を発していない。それどころか、灰次と目を合わせようともせず、じっとオディオの目を見つめていた。

「よく我慢したな、えらいぞ」

「……うん」

 灰次が頭を撫でてやると、ようやく殺気が静まる。けれどその視線はまだ、去っていくオディオの背を追い続けていた。

「アレは噂の話だ。あの男を睨みつけたってどうしようもないぞ」

「……おなか、すいた」

 オディオが建物に入ったところでカラーは緊張を解くように小さく息を吐いて、灰次を見上げる。

「あさごはん、ちょっとだけだった」

「わかったよ。少し早いが昼飯だ」

 午後の調査はどうしたものか、と考えながら、灰次は流通所を後にした。

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