三.王都の流通所
王都コガドで一際目立つ大きな建物、それが流通所である。
さすがに城より大きくはないが、古くからある立派な建物で、観光名所のひとつにもなっている。直売や直送を行っている農園もあるが、コルテの多くの農産物はここに集められる。
出荷後の品質管理や発送管理は厳しく、特にコルテブランド商品の管理については一定の水準を満たした商人や家でなければ行うことができない。
アリストラクタ家は古くからコガドでそういった仕事を行っている家系で、今でもこの国でいちばんの農業貿易商人であった。元は王家に仕えていた貴族で、この国が農業大国として有名になる以前からこの国の農業貿易を支えてきた家系である。
「なるほど、こりゃうまいな」
「すごくおいしいね」
灰次とカラーは、メロにもらったリンゴをかじりながら流通所に続く道を歩いていた。とても大きい建物なのですぐにわかりますよ、とメロが言っていたとおり、遠くからでも流通所の場所はすぐにわかった。
すぐにわかったけれど、歩いていくには少し遠い。十九郎のところに預けたままのバイクを思い出して少しばかり後悔する。やはり少し時間と手間がかかってもバイクで来るべきだったか。
そこまで考えて、灰次はふと気付く。この街にはバイクやジープなどの乗り物が見当たらない。そもそも、コルテ領に入ってから、ほとんどそういった類の乗り物を見かけていない。街を行く者たちの多くは徒歩、もしくは馬車や、それに近い馬や牛の引くリヤカーのようなものに乗っていた。速度はないが、特に急ぐ者もいないように見えた。
そのせいもあってか、この街は活気はあっても時間の流れは穏やかで、のんびりとした感覚に飲み込まれそうになる。宿でもそうであったが、仕事中だということをついうっかり忘れてそうになってしまうほどにのどかであった。
「アリストラクタという人に会いたいんだが」
流通所の入口には来客用窓口が設けられていた。商人や観光客など、多くの者たちが訪れるのだろう。
「失礼ですが、どちら様でしょうか。お約束は?」
窓口担当の女性に聞かれ、灰次は唸った。簡単に会えるものと思っていたが、そうでもないらしい。
「約束はしてない。ジャッシュの者なんだが、流通経路について少し話を聞きたくて」
それでも一応、と聞くだけ聞いてみることにした。恐らくは無理だといわれるであろうと予想して、次の策を考え始める。
「申し訳ございません。繁忙期のためお約束のある方しかお繋ぎできないのです」
「そうか。じゃあ、また改めることにするよ。邪魔したな」
無駄なトラブルは起こさない。時間的にもあまり猶予はないが、別の手立てを講じるまでだ。
「あの」
けれど、去ろうとした灰次の背に向かって、彼女は声をかけた。反射的に振り返ると、彼女は一枚の書類を差し出していた。
「どなたかのご紹介であれば、お繋ぎすることはできるかもしれません。お会いになれるかどうかまでは、わかりませんが」
差し出された書類は紹介状の書式であった。灰次はそれを受け取ると、彼女に向けて笑みを浮かべた。
「身元も明かさない他国のこんな怪しい人物にこんなもの渡して、あとで誰かに怒られたりしないかい?」
「怪しいだなんて! ここに来てくださる方は全て、コルテのお客様です。国や見た目で判断するようなことはいたしません」
「そうか。ありがとう」
ここでも灰次は、違和感と驚きを覚えた。カラーだけではない、自分もジャッシュでは奇異な目で見られることが多かった。けれどここに来てから、宿でも街の中でも、そしてメロも彼女も、誰も自分やカラーを気にしてはいない。宗教上の差だけではないだろう。恐らくこの国の風土がそうなのであろうと思った。
平和でのどかな風土。人を疑ったり分け隔てたりするのではなく、どんなものでも受け入れようとする姿勢。
これまで農業国であるコルテにはなんとなく田舎じみた、閉鎖的で排他的なイメージを抱いていた灰次であったが、その認識を改めなくてはならないと思った。
「これが観光地ってやつなのかね」
来るものは拒まず、去る者には次へ繋がる手土産を。閉鎖的な農業国から一転、今のような観光地になったのはいつ頃のことだろうか。
灰次はコルテのことは詳しくないが、少なくとも自分が幼い頃に聞いたこの国のイメージは前述したような閉鎖的なものであったと記憶している。となれば、ここ十数年の間に遣り手の王や役人がいたのだろう。今回の仕事とは関係ないが、そんな逸材がいるのなら、ぜひ会ってみたいものだ。
帰ったら若き王にもこの国の様子を話して聞かせてやろう。それがジャッシュの気風と合うかは別として、国交に力を入れたいと言っていた我が国の王はきっと興味津々で聞き入るに違いない。
そんなことを考えつつ、灰次はメロの農園へと足を向けていた。紹介状を頼めるような人物など、彼くらいしか思い当たらない。もっとも、書いてもらえるかどうかはわからないが。
道中、ロイのことを思い出す。初めて会った時から感じていたロイの違和感。何がと聞かれればはっきり言葉にすることはできないが、ハリロクという街、桐生院という工房の中で彼は他の職人と違うと感じた。それと同時に、心の底からものを作ることが大好きな職人気質なのだろうという正反対の印象も強く受けていた。
そして、コルテに来るまでと、コガドに入ってからの彼の態度。彼にとってこの地に何か因縁があるのは確かなのだろう。彼自身はずっとハリロクで暮らしてきたと言っていたが、間違いなくロイはこの街に来たことがある。自分たちの前から突然姿を消したのだって、真面目で丁寧な仕事ぶりの彼らしくない。協力者としての自身の立場すら不意にしてしまうほどの何かが、彼にあったのだろう。
それはきっと、メロの「ロイエ坊ちゃん」という言葉に関わりがあるに違いない。できるならばそのこともメロに聞けはしないかと思いつつ、聞いてもいいものかと迷う自分がいた。
「おや、どうかしましたか」
農園の入口近くまで来ると、メロがこちらに気付いて驚いた様子で声をかけてきた。
「たびたびすまない。流通所へ行ったら、紹介状があればアリストラクタさんに会えるかもしれないと言われてね」
「そうでしたか。すみません、そんな決まりがあるとは知らず」
「もし可能なら、紹介状をお願いしたいんだが」
「ええ、いいですよ」
メロは即答し、灰次から書式を受け取ると小屋へと入っていった。
「お人好しすぎやしないか、この国の連中」
「いいひとだね」
そう時間もかからずに、メロは紹介状を持って戻ってきた。丁寧な文字で、流通経路に関する調査という大まかな主旨と、メロのサインが書かれている。
「お役に立てれば良いのですが」
「ありがとうございます」
「私のような一介の農家の紹介状では直接アリストラクタさんに会うのは難しいかもしれませんが、補佐役のナイト氏なら、もしかしたら。きっと話を聞いてくださいます」
「そうか、助かるよ」
灰次は紹介状を受け取ると、それを上着のポケットにしまった。それから一呼吸おいて、もうひとつ聞きたかったことを切り出す。
「あんた、さっきの俺の連れことを知ってるのか」
「先ほどの、少年のことですか」
「ああ」
メロの表情が曇る。何か言おうとしているが、しかしそれを言ってもいいものか迷っているように見えた。
「坊ちゃん、て呼んだだろ」
「いや、その、それは」
「言えないことか」
今回の件に関わることではないはずだ。どうしても聞き出さなければいけないということもない。個人的な興味で他人のことを詮索するのは灰次も好きではない。けれど、ロイの様子が気になるのは確かで、できればその理由を知りたかった。
見知らぬ地で、何が起こるかもわからない場所で、彼をあまり長い時間ひとりにしておきたくはない。彼にとっては見知った土地なのかもしれないが、何かあったときに自分がまともに動けないのは困る。
「ただの、人違いだとは思うのですが」
「誰かに似てる?」
「はい。アリストラクタさんの、ご子息に」
意外な答えに、灰次は目を見開いた。
「その息子ってのは、今どこにいる」
「ロイエ坊ちゃんは、五年前に亡くなりました。今はロイエ坊ちゃんの兄上であるご長男のレイル坊ちゃんが、お母上のサポートをされています」
五年前に死んだアリストラクタ家の次男に、ロイが良く似ている。その事実に、灰次は背中がゾクリとした。彼はアリストラクタ家と何か関係があるのか。それも、自分たちに隠さなければならないような関係性が。嫌な感じがする。背中がゾワゾワとする感覚が、抜けない。
言葉に詰まる灰次を見て、カラーがメロの前に駆け出して行った。
「りんご、おいしかった」
にこり、と笑いかければ、メロもほっとしたように笑顔になった。
「そうかい。よかった!」
メロは、そうだ、と言ってポケットを探ると、今度は何か小袋に入った菓子のようなものをふたつほど、カラーに渡した。
「リンゴのチップスだ。よかったら食べて」
「うん、ありがとう」
カラーが灰次の腕を引く。はっとして灰次がカラーを見ると、赤い瞳が強い光を宿していた。カラーも何かよくないことを感じ取っている。
「すまない、変なことを聞いて。紹介状、ありがとうございました」
「いえ。私こそ、混乱させるようなことを言ってしまったようで申し訳ない。調査がうまくいきますように」
カラーはもう一度メロにありがとう、と告げて、灰次の腕をぐいぐいと引っ張った。
角を曲がって見えなくなるまで、メロは手を振って見送ってくれた。
メロの姿が見えなくなると、カラーがぴたりと足を止める。
「灰次。すごくきもちわるい」
「ああ。そうだな」
カラーが殺気立っている。それでもロイのことが好きだからだろうか、今ここで事を荒立ててはいけない、ロイに迷惑がかかるかもしれない、とカラーなりにその殺気を抑えていたようだった。
「助かったよ、カラー」
「うん。灰次、ロイどうするの」
「探して問い詰めてやりたいけどな。まずは流通所だ」
「おしごと」
「ああ。それに、もしかしたらアリストラクタでロイのことがわかるかもしれない」
「そう」
いなくなったはずの子どもが別人として生きていたことで悲劇的な事件が起きたのは、まだ記憶にも新しい。そんなことが何度もあってたまるか、と思いつつも、もしかしたら、と考えてしまう。自然と、速足になる。
ようやく流通所の前まで来たところで、カラーが気付く。
「しまってるよ」
「来客受付時間は終了しました。まじかよ」
流通所の来客用窓口はしっかりと扉が閉じられて、鍵がかかっていた。書いてある文章を読むに、今日は出荷作業の関係で既に来客受付は終了したということだった。
「明日来るしかないな」
関係者を装って忍び込むこともできないことはないが、ここは自国ではない。万が一トラブルが起こっても、ジャッシュにいるときのようには立ち回れない。王国印の権限も、国外では役には立たない。
「宿に戻るぞ。ロイも帰ってるかもしれないし」
「うん」
せっかくだからと帰りがけにコルテの果実酒の小瓶を何本か買って、ふたりは宿に戻った。
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