ニ.リンゴ農園の主

 ロイの表情は、コガドに着くまでの間もあまり晴れやかではなかった。

 マラドの南方にあるコルテ領に近いナーシャ・タウンまで輸送用ジープで移動し、そこから馬車で国境を越えていく。

 馬車に揺られるうちに徐々に緑が増え青々とした山が近くに見えるようになってくると、カラーは、わぁ、と声をあげた。その隣でロイも綺麗だね、と微笑んではいたが、どことなく緊張した面持ちであった。

 長距離移動用の馬車はクッションも柔らかく、なかなかに快適な旅だった。数刻経つと周りはすっかり緑と水に囲まれ、コルテ領が近づいてきたことを知る。

 ナーシャを出てから半日ほどで問題なく国境を越え、王都コガドにたどり着いた。

「長旅お疲れさまでした。良い旅を」

 リンスキ―が以前コルテ観光に来た際に使用したのと同じ馬車を手配してもらったのだが、観光客慣れしているのだろう、穏やかで丁寧な仕事をする男であった。

「世話になった。快適だったよ」

 灰次が礼を告げると、お帰りの際にも是非ご利用を、と男はゆっくりと頭を下げた。


 街に着いて早々に宿を取り、朝になったら迎えに行くと告げてそれぞれの部屋に荷物を持って別れていったのが昨夜のことである。

「さて、行くか」

「ロイ、どうして元気ない?」

「なんだろうな。こっちに会いたくないやつでもいるのかもしれないな」

「わるいやつ、ロイのところにきたらカラーが守るよ」

 ああ、そうしてやりな、と頭をなでてやってから、灰次は部屋を出た。すぐ向かいがロイの部屋である。

「ロイ、準備できたか」

 ノックしながら声をかけると、はい、と素直な返事が聞こえた。すぐにドアが開いて、ロイが顔を出す。

「メガネ?」

「ええ、ちょっと。コルテは日差しが強いので」

 服装は普段と変わらないが、ロイはメガネをかけていた。

「自分でつくったの?」

「前にね」

「にあうよ」

「ありがとう」

 やはり少し元気がないな、と灰次は思いながらも、なにかあればカラーがなんとかするだろうと特に気にしないことにした。その表情の翳りが気にならないと言えば嘘になるが、彼の気持ちなどわかりやしないし、自分が干渉してやる義理などないのだ。


 宿を出ると、街はマラドとはまた違った活気に満ち溢れていた。

 農産物以外にも、最近はこの自然豊かな地に安らぎを求めてやって来る観光客も多い。美しい水、高い山々、それらは観光資源としても申し分ない。観光客や商人が行き交う街は、それなりににぎやかだ。

「まずはリンスキーの言ってたリンゴ農家か」

「メロ・ファムさん、ですね。コガドのはずれの方に農園があるみたいです」

 リャン、もといリンスキーから預かったメモを見ながら、ロイがあっちです、と指をさす。その向こうには農園地帯が広がっていた。

「ロイはコガド、来たことあるのか」

 メモの住所を見ながら前を進んでいくロイに、灰次が問いかける。

「ええ、まあ」

「助かるわ。俺、こっちは詳しくないから」

「僕も、そんなに詳しいわけではないですけど」

 嘘つけ。

 と、口には出さない。けれど、彼の足取りは慣れない土地を歩くそれではなかった。浮かない表情の原因はそれか。この土地に、なにか嫌な思い出でもあるのだろうか。

 だが今は、それを詮索している場合ではない。彼については初対面のときから違和感を覚えてはいたが、カラーの様子を見ていても危険な人物ではないだろうと思っている。自分自身の勘も、彼は信用できる人物だと告げている。

 それでもどうにも素性が見えてこないこと、彼の考えていることがいまいちわからないこと、それが引っかかっていはいた。

 いずれ、彼とそんな話ができるときがくるのだろうか。

「ここです」

 街のはずれと言っていたのでもう少し歩かされるのかと思っていたが、意外に速く目的地に着いた。

 メロのリンゴ園、と書かれた看板の奥にはリンゴの木が立ち並んでいる。コルテの標準的な農園がどの程度の大きさなのか灰次は知らないが、なかなか大きな農園のように見えた。

「僕はここで待ってますから」

 お仕事の邪魔をしては悪いので、とロイは預かっていたメモを灰次に渡す。てっきり一緒に来るのだと思っていた灰次とカラーは思わず顔を見合わせた。

「こないの?」

 カラーの問いかけにもロイは頷くだけで、そこから動こうとはしない。灰次はわかった、とだけ返してカラーを連れて農園の中へ入っていった。


「どなたかいらっしゃいますか」

 広い農園に向かって大きな声で呼びかけると、はーい、と返事があって奥から初老の男性が駆けてきた。少々小太りで小柄な人の良さそうな笑みを浮かべた男、なるほどリンスキーの言っていた特徴のとおりである。息を切らせ駆け寄ってくる彼こそ、メロ・ファムその人であった。

「リンゴ狩りですか」

「いや、俺は」

「もしかして掃除屋さん?」

 名乗ろうとすると、メロははっとして姿勢を正した。客相手の柔和な笑みは消え、緊張した面持ちで灰次の次の言葉を待つ。

「はい。藤堂灰次といいます」

「リンスキーさんから、連絡はいただいています。長身で少年連れの掃除屋さんが行くから、と」

 リンスキーはなんと説明したのだろう。設計図泥棒の調査について、この男はどこまで聞いているのか。

「もうひとりお連れがいると聞いていましたが」

「ああ、外で待ってる」

「そうですか。それで、私はどういったお話をすればいいんでしょうか」

「そうだな。リンスキーからどこまで話を聞いてる?」

「うちのリンゴ箱に奇妙なものが入っていたとのことで。商品の品質に影響のあるものではなかったけれど、出荷や流通の経路を調べるために掃除屋さんを行かせる、と」

 リンスキーという男はなかなか気が利くらしい、と灰次は感心した。何が入っていたかメロは気にしていたようであったが、灰次はそれには触れずに話を進めた。

「うちのリンゴの流通は全て、アリストラクタさんに任せているんです。昔からずっと」

「アリストラクタ?」

 出荷されたリンゴは流通所に送られ、そのアリストラクタという人物のもとで箱詰めや発送手配が行われるのだという。メロによれば王室指定の由緒ある流通・貿易の家柄で、コルテブランド商品のほとんどがそこに集まるということだった。

「出荷のときに問題なかったなら、そのアリストラクタの所で混入した可能性が高いってことか」

「そうなりますね。でも、これまでトラブルもなく我々も信頼して商品を預けてきましたから、そんな事故起こるはずはないんだけどなあ」

「そのアリストラクタって人の家は?」

「家はこの先です。でも、恐らく城下の流通所にいると思いますよ。今はリンゴの出荷で忙しいでしょうから」

「わかった。ご協力、ありがとうございました」

 灰次が礼を告げて戻ろうとすると、メロは慌ててちょっと待っててください、と一度農園の一角にある小屋に入っていった。

 すぐに戻ってきた彼の手には小さな袋が提げられていた。

「小振りで出荷できなかったリンゴです。小さいですが味は保障しますよ。ぜひ食べてみてください」

「いいのか?」

「ええ。もし気に入ったら、今後はうちのリンゴを贔屓してくだされば幸いです」

「なるほど、さすがだな。ありがたくいただくよ」

 灰次はその小さな袋を受け取ると、もう一度礼を言った。

 小振りだと言っていたが、その袋はずっしりと重く、中を見れば赤くつやつやとしたリンゴが五つ入っていた。

「ありがとう」

 それを見てカラーは嬉しそうに笑い、灰次にならって礼を言う。

「リンゴは好きかい」

「すき。赤くて、きれい」

「それはよかった」

 メロがカラーの頭をなでる姿に、灰次は思わず目を見開いた。

 この国はジャッシュと違い、クルス教への信仰が強くない。国教を定めているジャッシュと違って、コルテは宗教、信仰に関しては自由だと聞いたことがある。ジャッシュにいれば誰からも異端だと忌み嫌われるカラーの黒髪も、赤い瞳も、彼らにとってはそうではないのだろう。

 外の世界には、彼を認めてくれる場所もある。それでもカラーは自分を選び、ジャッシュを選んだ。

 いつか彼を自由にしてやれる日は来るのだろうかと頭の片隅で考えて、しかしそれは今よりずっと遠い日のことだろうと、灰次は小さく首を振った。

「タルトタタン? なに?」

「リンゴを使ったお菓子だよ。おみやげで売っているから、買って行くといい。ミレースというお店のものがおすすめだ」

「わかった」

 カラーのたどたどしい言葉にメロはにこにこしながら頷き、灰次が歩き始めてからもふたりは会話を続けながら着いてきた。帰りにカラーにタルトタタンをねだられることは確実だろう。

「おかえりなさい、ふたりとも」

 農園の入口まで戻ると、ロイが駆け寄ってきた。木陰にいたのだろう、陽射し避けのメガネも今は外していた。

「ロイエ坊ちゃん?」

 カラーとの会話をぴたりと止めて、不意にメロがそう呟く。それを聞いてロイの顔がさっと青ざめたのが、灰次とカラーにもわかった。慌てた様子でメガネをかけ直し、ロイは取り繕うような笑みを浮かべる。

「ああ、いえ、すみません」

 はっとしたようにメロがそう言うと、ロイはぺこりと会釈だけしてすぐにその場から去っていく。カラーは慌ててそれを追いかけた。

「坊ちゃん?」

 足早に去っていくロイと追うカラーを見ながら灰次はメロにそう問うた。

「いえ、人違いです」

 すみません、とメロは続けたが、それ以上はなにも言わなかった。

「世話になった」

 その先を促すことはせず、灰次はそう笑いかけてから、ロイとカラーを追った。

 思ったより距離が開いていたらしい。三つめの曲がり角を曲がったところで、カラーは待っていた。

「灰次」

「どうした? ロイは?」

「いなくなっちゃった」

「どういうことだ」

 ざわ、と灰次の全身に奇妙な感覚が走る。これはいいものではない。それを灰次は知っている。

「ここまがったら、もういなかった」

「お前なら追えるだろ」

「こないでって言ってる」

「ロイが?」

「そう」

 直接ロイが告げたわけではないだろう。その「こないで」はカラーが感じ取ったものだ。ならばそれは恐らく正しい。ロイは姿を消した。なにも言わず、ただ、自分たちと関わることを捨てて。

「仕方ねえな」

「さがすの?」

「いや、自分の意思でいなくなったなら俺たちにはどうしようもないだろ。仕事を続ける」

「おわったら」

「探すよ」

 灰次が笑ってそう返せば、ほっとしたようにカラーは口元を緩めた。

 まずは城下の流通所へ。

 灰次はコガドの中心街へと足を向けた。

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