一.工房の宝

 コガド・シティ。

 ジャッシュの隣国コルテの王都である。

 コルテは豊かな土壌と広大な土地に恵まれた国で、ジャッシュほど大きくはないものの多くの農産物を輸出している。

 特に王都コルテの野菜や果物はコルテブランドと称され、高級品として貴族の贈答用などにもよく使われるものだ。

 灰次は特に興味はないが、昔、カイザがコルテの果実酒は絶品だと言っていたのを覚えている。いつか一緒に飲もう、と言った先王との約束が果たされることはなかったが。今回の旅で良い果実酒が手に入ったら、彼の墓前で杯を交わすのもいいかもしれない。

 窓から入ってくるマラドよりもずいぶんと澄んだ空気を思いきり吸い込んで、灰次は大きなあくびをした。

「ねむい?」

 隣に座るカラーに心配そうに見上げられ、灰次は苦笑した。この穏やかな気候とゆったりとした時間の流れに、うっかり浸っている場合ではない。

 自分は仕事でここに来たのだから。


 今回の依頼はハリロク・タウンの保安員たちからのものであった。

 王室のクーデター騒動で桐生院門下の職人たちに世話になった灰次であったが、彼ら伝いにハリロクの保安員から依頼が来ようとは、まったく予想していなかった。あの街に住む職人たちは皆、彼ら自身で街を守ることに誇りを持っていたし、まさか自分のような流れ者の掃除屋に仕事の依頼なんてすることはないだろうと思っていた。

 先の事件以降、いくつかの小さな依頼をこなしながらゼロストリートの空き家で過ごしていた灰次のもとに、突然見覚えのない離鳥ハナレトリがやってきたのだ。

 鳥の足についたタグはハリロクタウンのもので、封筒には桐生院の印があった。

 依頼を送ってきたのはロイの兄弟子のひとりであるリャンで、ここ最近ハリロクで起こっている盗難事件の犯人を捕まえて欲しいというのがその内容であった。

 久しぶりにロイに会いたいというカラーの希望もあって、依頼を受け取ったその足で灰次はハリロクへ向かった。そこでリャンに会ってみると、事態は思った以上に深刻であることがわかった。

「設計図泥棒」

「ああ。それもただの設計図じゃない。イエモト設計図ってやつでな」

 ハリロクには多くに職人たちがおり、いくつかのグループに別れて様々なものを作っている。武器が得意な職人たちの集まりや、アクセサリーが得意な集まり、それぞれのグループを工房と呼び、工房ごとに仕事をしているのが通例だ。

 桐生院世界きりゅういんモンドの工房は武器やアクセサリーなど多様なものを作ってはいるが、登録上は生活用品の工房となっている。

「そもそも工房の創設については知ってるか」

「ああ。工房創設に際しては、国に献品が必要なんだろ。集まった職人たちがひとつの作品を作りあげる。その品が一定の水準を超えていれば、工房を作る許可が下りる」

 店を出すための腕試しのようなものだ、と十九郎が以前言っていたのを覚えている。もっとも、彼自身はハリロクで学んだ後、マラドで開業したためそういった経験はなかったわけであるが。

「そうだ。今、ハリロクには二十三の工房がある。その二十三の工房が献品したものはマラドの城に収められていて、他国との貿易の際に技術水準の見本として披露されたりするんだ」

「この国の技術力を視覚化したものってわけだな」

「イエモト設計図ってのは、その献品したものの設計図だ。各工房のすべての始まりと、誇りだ」

 リャンはそこまで話すとすっかり冷めたコーヒーを口にした。その肩はがっくりと落とされていて、深いため息が漏れる。

「桐生院もやられたのか」

「いや、うちは無事だ。やられたのは十三件。最初の盗難事件があってから保安も手を尽くしてはいるんだが」

「十三、って半分以上じゃねーか」

「そうなんだよ。それで今、街も荒れてる。保安は信用ならないだの、設計図泥棒はどこの工房のやつだだの、挙句、うちみたいに被害に遭っていない工房の連中は全員容疑者扱いみたいな空気になっててな」

 こんな活気のない、猜疑心に満ちたハリロクは見たことねえ。リャンはさらに肩を落として、お手上げだよ、と力なく両手を挙げて見せた。

「それで俺に? 保安の奴らがよく掃除屋なんて雇う気になったな」

「保安が動けるのはこの街の中だけだ。外に出たらあいつらに権限はない」

「ってことは犯人は外に? 目星がついてんのか」

「そこまでは。ただ、保安のひとりが手がかりを見つけた」

 保安員の名はリンスキー。コルテブランドのリンゴが好物で、定期便で取り寄せている。そのリンスキーが最近取り寄せたリンゴの箱に、その手がかりはあった。

「盗まれた設計図が入っていたんだ」

「は?」

 自分でも驚くほどに間抜けな声が出てしまった。しかし、この展開はさすがに灰次にも予想がつかなかった。

「入っていたのは一枚。アクセサリー工房のエスリーってとこのイエモト設計図で、これは最初に盗まれたやつだった」

「だったら、そのリンゴ農家が犯人じゃねえか」

「リンスキーはその農家とリンゴの取り寄せを通じて交流があるらしいが、ありえないと言ってた」

 それは単に知り合いであるから信じたい、といった個人的感情によるものではなかった。

 この季節、リンゴは出荷のピークを迎える。コルテブランドのリンゴとあればなおさらだ。そんな繁忙期にはるばる遠く離れたハリロクに来て設計図を盗むなど、到底ありえない。それがリンスキーの見解であった。

「まあ、もしそいつが犯人なら送り返したりはしないわな」

「ああ。それに、コルテブランドはその流通を全てコガドの流通所で行なってる。箱に紛れ込むとしたら箱詰めだとか発送作業の時だろうよ」

「そりゃそうだ」

 なるほど、そこで俺の出番か、と灰次はここに至ってようやく納得した。

「わかった。コガドへ飛ぶ」

「助かるよ。大事にすると厄介だから、エスリーのイエモト設計図はまだ保安が管理してる。戻ってきたことは知らせてない。どうにも困ったってことで、掃除屋に依頼したいってリンスキーたちに相談されたんだ。本当によかった。ありがとう」

「あー、まあ、仕事、だからな。それで」

 ほっとした様子のリャンに、灰次は言い出しにくいと思いつつもビジネスの話を切り出す。

 するとリャンは察したように、一枚の書類を差し出した。

「これだけは払えると言ってる。コルテ行きの旅費も含めてこれだが、どうだろう」

「まあ、受けられなくはないが」

「もう一声、ってんだろ。金以外のものでどうだ?」

「金以外? 武器か? あいにく、俺は武器はあんまり」

「いや、もっといいもんさ」

 リャンは微かに笑って、工房の奥に向かっておい、と声をかけた。少し間があってから、おずおずと現れたのは、見覚えのある姿だった。

「ロイ!」

 カラーが嬉しそうに立ち上がる。お久しぶりです、と控えめに挨拶するその姿は、桐生院門下一の腕前と称されるロイ・エルファ、彼であった。

「役に立つのは知ってるだろ」

「断れねえな」

「恩に着る」

 ロイ、一緒に行くの? と喜ぶカラーの顔を見て、灰次は断れるわけがなかった。そうでなくとも、彼の腕は確かだ。もし盗んだ相手が技術者の類であったなら、おそらく彼の腕や知識は頼りになる。

「すみません、よろしくお願いします」

 そう告げたロイの声はどこか複雑な音色を帯びていて、カラーは耳をぴくりとさせた。

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