七.国を担う
城下は思いのほか落ち着いていた。だが、メインストリートがいつもよりざわついているのは確かだった。
『コルテがハリロクの技術を盗んだってのは、本当かね』『エスリーさんがお城に直訴に行ったんですって』『そんなことあるわけがないだろう』『我が国の機密がそう簡単に漏れるものか』『根も葉もない噂だろう。職人ごときが大騒ぎして、みっともない』『証拠はないんだ。コルテブランドの輸入禁止なんてことになったらどうしてくれるんだ』
貴族たちの好き勝手な声が、カラーの耳に響く。自分のことを言われているのではない。けれど、人々の猜疑心や好奇心に駆られた声は、ひどく心地が悪い。
その声が煩くて両手で耳を塞いでしまいたい衝動に駆られたが、前を行く灰次についていくので精一杯だった。
こうしてコルテの技術スパイについての噂はそこかしこで囁かれていたが、バージが言ったようにロイの名が広まっているようでもなかったし、城下の民たちはまだ危機感を覚えるほどには至っていないようであった。
平和に慣れすぎたせいで鈍っているのか、はたまた若き王への信頼か。いずれにせよ、噂ひとつですぐにパニックに陥るような王都ではないということだ。
「おお、掃除屋じゃないか」
「またろくでもないことを持ってきたのか?」
城門に近づくと、門番ふたりが手を振っているのが見えた。
クーデターの際に怪我を負ったという話も聞いていたが、大事には至らなかったようだ。ふたりとも、ピンピンしている。
「そちらもお変わりないようで。どう、城は」
「落ち着いてきたよ。ミュゼ様とユークリフ様のおかげもあって」
「そうか。そりゃよかった」
灰次が胸元から王国印を出し、姿勢を正す。続いてカラーが、首元からチョーカーのメダルを取り出す。門番たちも姿勢を正し、銀の槍を灰次たちの方へ倒した。
「通れるかい」
「ああ。名を名乗れ」
「掃除屋の藤堂灰次と、ペットのカラー・カッツェだ」
「藤堂灰次、及びカラー・カッツェ。入城を許可する。開門せよ」
城門が開く。灰次はどうも、と声をかけて門番たちの間をすり抜けて場内へ入っていった。
「あいつが来たってことは、もしかして噂は本当なのか」
「どうだろうな。何事もなけりゃいいんだが」
「あの黒猫、いつもより殺気立ってなかったか?」
「そうか? 不気味なのはいつものことだろう」
灰次とカラーを見送って、門番たちは不安そうに言葉を交わした。
「無事にお戻りになられて、安心いたしました」
謁見の間の手前でミュゼを見かけ声をかけると、彼はほっとしたように灰次に近づいてきた。
「ユークリフのおかげだ。助かったよ」
「お役に立てたようで何よりです。ユークリフと陛下は執務室におりますので、ご案内しいたします」
執務室の場所はわかっているが、灰次は頼む、と答えてミュゼの後を追う。
「そうしてまた仕事をしている姿を見ると、本当に変わらないな、あんたは」
「それはあなたでしょう。私はずいぶんと年を取りました。あなたは本当に相変わらずですね。その、黒猫も」
「ああ。おかげさまで」
アヤセの件で一度顔を合わせたときには随分とやつれたような表情をしていたと記憶している。しかし、今はすっかり現役時代に戻ったようだった。
先代ジュオールの手腕は先王時代に何度か見たことがあったが、年老いた今でも背筋をまっすぐに正し歩く姿は、若い頃となんら変わらない。カラーのことをあまり気に入っていない様子も相変わらずだ。
立場上、カラーをあからさまに忌み嫌う様子は見せないが、やはり彼も王室に仕えクルス教を信仰する身として、黒猫には近づきたくはないらしい。それが普通だ。
カラー自身はミュゼにはあまり興味がないらしく、特別なつくこともなければ嫌ってもいない。彼にしてみれば、自分に好意的にしてくれる者たちのほうが珍しいのだ。近しい者たちは皆一様に気にせずに接してくれるので、それ以外の誰かに疎まれようと嫌われようと、どうでもいい。どうでもいいが、やはり自分を恐れ、嫌う視線というものは好きではなかった。
「陛下、失礼いたします。藤堂さんがいらっしゃいました」
執務室の扉を開けると、椅子に掛けて難しそうな顔をするシーザの姿と、その隣で資料を整理するユークリフの姿があった。
「灰次、おかえり」
「帰還いたしました。ご挨拶が遅れましたこと、お許しを」
「ああ。ミュゼ、ユークリフ、少し休んでくれ。しばらく灰次と話すから」
「ありがとうございます。失礼いたします」
状況が状況なだけに、ミュゼもユークリフも気を張り続けているのだろう。シーザの言葉に、少しだけふたりの周りの空気が和らいだような気がした。
「どうなってる?」
ふたりが部屋を出ると、灰次はいつもの口調でシーザに話しかけた。
「エスリーたちには城に留まってもらってる。クイン・アグリコとは争いたくないんだけど、本当にスパイなんてことがあったとしたら……そうも言っていられないかもしれない、とは思ってるよ」
シーザの不安げな言葉に、戦争の気配がゼロではないことを悟る。
「いや、それだけは避けろ。間に合うように俺がなんとかする」
「とりあえず、ジャッシュの国境でコルテへの出国制限をかけることになった。今、クイン・アグリコにこちらへの入国も制限をかけたいと申し出るための書類を作成しているところだ」
仕事が速すぎる、と灰次がため息をつく。それは実質、コルテを完全に疑っているということではないのか。出入国の制限、つまり国境封鎖ともなれば、余計に状況は悪化しそうだ。
この措置も想定していなかったわけではないが、まさか本当にこの速さで国家間の往来まで制限されることになろうとは。
「仕方ないだろ。ハリロクやマラドではもう噂が広まってるんだ。ジャッシュの人間がコルテの民を傷つけるかもしれない。あるいは逆もあるかもしれない。その可能性を考えたら、これくらいの手は打っておかないと」
「そうは言っても、こんなことしたら国が噂を認めたようなもんだろ」
「クイン・アグリコにはこちらの噂が収まるまでの緊急措置だと伝えてある。我が国はコルテを疑っていないとも。向こうの国の状況がわからないから何とも言えないけど、彼女は聡明だ。僕と同じように判断してくれると信じているよ」
そう語るシーザの眼差しは強く、灰次は生前のカイザのことを思い出した。
民を案じ、人を信じ、常に国の最前線に立つ。
たとえその先にどんな事態が待ち構えていようとも、今尽くせる最善を選ぶ。そして、その先の最悪を防ぐために動き続ける。
どんどん国王らしくなっていくな、と灰次は苦笑した。まっすぐで頑固なところも、父親によく似ている。
「申し訳ありません。差し出がましいことを」
「あ、いや、灰次の言うことももっともだと思うよ! ごめん、僕やっぱり、先走ったかな」
「いえ、陛下のご判断に間違いなどございません」
突然かしこまって膝をつく灰次に、シーザは戸惑う。隣ではカラーがきょとんとした表情で立ち尽くしていて、なんだかそれが滑稽だった。
「胸張れって言ってんだ。いいじゃないか、お前が決めたなら。だが、国境を封鎖するってことは、たとえ一時的であってもコルテとの関係悪化は否めないだろう」
灰次は立ち上がると、シーザの肩を優しく叩いた。シーザも一瞬ほっとしたような表情を浮かべる。
「わかってる。だからなるべく早く真相を探ってくれ。僕らがコルテの、コルテが僕らの、これからも良き隣人でいられるように」
「もし真相が噂どおりだったら?」
「それはそのとき考えるけど。戦争はしたくないね」
「わかった。設計図泥棒探しがこんなことになるとは思わなかったが、王室からの追加依頼、引き受ける」
それを聞いてほっと息を吐いてから、シーザは言いにくそうに次の言葉を紡いだ。
「それで、その……依頼した以上、バックアップをすべき、なんだけど……」
「国家としては動けないって言うんだろ。出国許可も出せない。護衛やサポートもつけられない。違うか?」
こくりとシーザは頷いた。これまでの話の流れで、王室からの依頼であっても表立ってジャッシュ国王の使者であると振る舞ってコルテの内情や真相を探ることが難しいであろうことは、灰次も理解していた。
「それでいい。掃除屋の正しい使い方だ」
陽の当たらない場所で文字通り暗躍する、それがこの稼業の本来の姿だ。灰次は王国印を所持するほどの地位を得ているが、それは先王とのしがらみやいくつかの事情が重なった結果である。本来であれば、王室に出入りして国王と直接話すような身分ではない。
「そういうときのために、俺たち掃除屋は掃除屋なりの網を持ってるんだ。情報屋とか、使えるやつとか、ま、いろいろな」
「うん……」
「もし俺が危うくなったり、下手踏んだりしたら、迷わず切れ。いいな。俺もカラーもその時は王国印を捨てる。王室とは関係ないと言い張れ。できるな?」
「でも」
「約束しろ。それができないなら、この依頼についての契約は今すぐ破棄だ」
シーザは困惑した表情を浮かべる。対する灰次の目は強く、隣にいるカラーも赤い瞳をじっと目の前の王に向けていた。
このふたりなら失敗することはない。きっと戦争も防いでくれるし、設計図泥棒の犯人も見つけ出してくれる。そう信じてはいるが、否、信じているからこそ、もしものときの覚悟が怖かった。けれど、自分は国王である。その言葉と行動に責任を持ち、国民の全てを担う覚悟がなければ、この城の主としての資格はない。
父もきっと、何度も経験したのだろう。優しさと信頼だけでは国を担うことはできない、そんな、苦しい局面を。何度も乗り越えて、この国を育んできた。ならば、その覚悟も自分は継がねばなるまい。
「よい。掃除屋、その命を以て、我が国への忠を尽くせ」
シーザの言葉に、灰次は再び膝をつき頭を垂れる。今度はカラーも同じようにして並んだ。
「御意のままに。陛下」
ゆっくりと顔を上げると、陽の光にきらめく金の髪が揺れているのが見えた。その表情は逆光で読み取れなかったが、灰次は満足そうに微笑んだ。
ひとまずハリロクへ向かうことを告げ、灰次は執務室を後にする。部屋を出るときにちらりと見たシーザの表情は不安げではあったが、瞳には強い光が宿っていた。その覚悟に、自分も最善の形で応えてやらねばならない。
広く長い廊下を外に向かって歩いていると、見慣れない鎧を纏った騎士がこちらへ近づいてきた。鉄紺色のスカーフに、軽量型の鎧。口元は布で覆われている。腰に携えられた銀のレイピアを見て、ようやく灰次には彼がどこの隊の者か見当がついた。
「失礼いたします。掃除屋の藤堂灰次殿ですね。自分は、ビーネパッカー所属のアサー・タシタンと申します」
諜報と暗殺のスペシャリスト・ビーネパッカー。話には聞いていたが、こうしてきちんと対面するのは初めてだった。隊の特質的に、彼らは城にいないことが多い。先王カイザの頃にも、ビーネパッカーの騎士と出くわした記憶はほとんどなかった。
「ああ。藤堂灰次だ。用件は」
「はい。バージ・アルクルス殿より火急の報せとのことで、こちらを預かりました」
アサーと名乗る男は、低く落ち着いた声でそう告げた。身長は灰次とさして変わらないが、騎士らしい、がっしりとした体格をしている。マーベルランスあたりで大槍を振り回していても違和感のなさそうな男だ、と思った。
「バージから?」
差し出されたメモを受け取る。折りたたまれたそれは手触りがよく、王室の公式文書とはいかないまでも、それなりに上質の紙を使っているのがわかる。
「恐らくハリロク・タウンへ向かわれるのではとのことで、その前に目を通して欲しいと仰せつかっております」
「わかった。ありがとう」
「いえ。それでは自分はこれで失礼いたします。おふたりに、クルスの加護があらんことを」
真面目な男なのだろう。丁寧な挨拶をしてから、先ほど来た方向へ戻っていった。古巣であるビーネパッカーの騎士を伝言係にするとは、バージらしいと言えばらしい。アサーは見たところ、年若い青年であった。であれば、騎士団時代の直属の部下だったわけでもないのだろう。先日のクーデターの件で見知ったのであろうか。
それにしても、バージのほうから連絡を寄越すのは珍しいことだ。頼んでいた情報が手に入った時などはすぐに知らせてくれるが、今回はバージ自身が噂の色味とやらを鑑みた上で、早急に灰次に渡す必要性のあると判断したということだろう。
「バージ、なに?」
「新しい情報かね」
受け取ったメモを開く。走り書きのような字だが、かろうじて読むことはできた。
「新しい噂」
〈
以上が
「……信憑性は定かではなく、何者かの意図を感じるが、色味が違う。恐らくお前にとって必要な噂になるだろう。なるほど」
メモにはバージの見解も添えられていた。
これまで
誰かが、意図的に流している噂なのだろうか。犯人は、桐生院に、ロイに、恨みを持つものか。はたまた、コルテ側のスパイが実在していて、ジャッシュの職人たちを惑わせようとしているのか。それとも、設計図泥棒の黒幕なのか。
だが、根も葉もない噂話では、彼らが否定すればすぐに立ち消えてしまう。火のないところに、煙は立たない。小さな火種かもしれないが、
「バージまでお急ぎ便の押し売りとはね」
メモをたたんでポケットにしまうと、灰次は先ほどより少し速足で廊下を進んだ。
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