第2話
外は心地いい春風の吹くぽかぽか陽気で、おろしたてのオフホワイトのワンピースもいい感じで、商店街に向かう足取りも軽い。
「しかしアンタも大概、吞気というか、図太いというか、男に騙されたってのにちっともメソメソしないねえ」
私の横を歩くおタマ様は、半ば呆れたように言った。
ちなみにおタマ様は今、黒い着物に赤い帯を締め、黒髪のベリーショートがモダンな雰囲気のおばあちゃん姿に化けている。吊り目で化粧もはっきりした感じで、煙管なんかを持たせたら似合いそうだ。
私の支度が終わる頃、おタマ様が魚屋以外にも、商店街のお店を見たり喫茶店のケーキを食べたりしてみたいと、猫らしい気まぐれで言い出したので『一人暮らしの家に地元から祖母が遊びに来たので、近くの商店街を案内している孫』という設定で出かけることにしたのだった。
「いやあ、貴也くんと付き合ってて、やっぱりどこか違和感があったんですよね。でも本当に愛されてないなんて信じたくなくて、見て見ぬふりをしていたというか。貴也くんがいなくなったことより、通帳がなくなっていたことの方がショックだったのが、たぶん全ての答えですよ」
苦笑して言えば、おタマ様は複雑そうな顔をする。
「悪かったね。そう見えないだけで伊織も繊細なことを考えてたわけだ」
「まあそうなんですけど、言い方ってものがあるかと」
この辺りの歯に衣着せなさは猫だからなのか、おタマ様の性格的なものなのか微妙なラインだ。
「でもまあ、その貴也くんもおタマ様が痛い目に遭わせてくれましたし、お金も返ってきましたし、そもそも急におタマ様が見えるようになったのにびっくりで、失恋のショックなんて霞んじゃいましたよ」
私が笑って言えば、おタマ様は得意げに胸を反らした。
「ふん、じゃあもっと感謝して崇め奉っておくれよ」
「はい。ありがとうございます、おタマ様」
お礼を言ったのにおタマ様はなんだかジト目になる。
「アタシが言うのもなんだけどさ、アンタのそういう信じやすく素直すぎる所が、悪い男につけ入られる由縁だと思うよ」
「ええっ、そうなんですか」
自覚がなかっただけに、なかなかショックである。
「そもそも、いないはずの猫が見えて、しかも喋りだしたら、普通まず自分の頭を疑うもんだよ。それが伊織ときたら『もしやおタマ様ですか』だもんね。話が早くて助かったけど、大丈夫かねこの子はと思ったもんさ」
容赦なく言われてちょっと傷つく。
「ええ? だって代々、祟りのせいで実際に不幸に見舞われてるわけじゃないですか。さもありなんというか、祟り神様だったらそれくらいできるのかなあと思いまして」
「うぅん、伊織がそんな信じやすい性格になっちまったのはアタシのせいもあるってことかねぇ。まあアンタの家系は祟りの二代目からずっとそういう気質があるっちゃあるけどね。妙に抜けてるというかなんというか」
「へえ、そうなんですか。確かにお父さんもたまに悪徳商法ひっかかって大変でしたし、おじいちゃんもオレオレ詐欺にひっかかりましたからね。ご先祖もそうだったのかあ」
私がそういえばと思って言えば、おタマ様は、仕方なさそうに笑った。
「多分、二代目がおキヨに似たのがずっと遺伝してんだろうね。あの子も何事も信じようとするところのある子だったよ。まあ、アタシを嬲った人でなしの亭主の気質が遺伝しなかったのは幸いだけどね」
「おキヨさん? ああ、おタマ様を飼っていた奥方ですか」
祟りの始まりの言い伝えを思い出して尋ねれば、おタマ様は懐かしそうな目をして頷いた。
「そうさ。優しい子だったよ。ろくでもない男に嫁いで苦労したのが不憫でねぇ……ま、そんなこたァどうでもいいさね。ほら、まずは喫茶店でケーキだよ」
少しだけしんみりした空気を振り払うように、おタマ様は明るく言って、私の前に進み出るのだった。
商店街の中の喫茶店はいくつかあるけれど、おタマ様は一番今時っぽいカフェを選んで入った。
「ええと、ケーキセットを二つで、私は季節の苺のショートケーキとミルクティーをホットで」
「アタシゃこのチョコレートケーキとアイスコーヒーで」
おタマ様は猫だけど、もう死んでいるから本来猫には毒のはずの食べ物も問題ないらしく、よどみなく店員さんに頼んだ。
「はい。ケーキセットをお二つ。季節の苺ショートとホットミルクティー、ベルギーチョコレートケーキとアイスコーヒーでよろしいですか」
「はい」
「承知いたしました。素敵なお着物ですね、お孫さんとお出かけですか」
気さくな男の店員さんはおタマ様に言う。
「ああ、昨日が孫の誕生日だったもんで、お祝いにケーキをね」
「ああ、そうなんですか! おめでとうございます」
「えっ、あっはい、ありがとうございます」
ケーキを食べたい理由を聞いていなかったため、驚くわけにもいかず、若干怪しい挙動で店員さんにお礼を言った。
「えっ、おタマ様、ケーキを食べたいってそういう理由だったんですか!?」
笑顔の店員さんがそのままキッチンの方に捌けていくのを見送ってから、おタマ様に小声で言う。
「だってアンタ昨日、誕生日だったってのに貴也のごたごたで、夕飯は作り置きの味噌汁と冷凍してたご飯しか食べてないじゃないか。実家じゃケーキを食べて祝ってただろう」
おタマ様は何を当たり前のことを、と言わんばかりに答えた。
元々は貴也くんとディナーに行く予定だったため、ケーキも用意していなかったのだ。その貴也くんは端からディナーになんて行く気はなかったわけだけれども。
「誕生日、覚えててくれたんですね。嬉しくてちょっと泣きそうです」
「馬鹿をお言いでないよ」
おタマ様は鼻で笑ったけど、思わぬ優しさに触れて、この猫本当に祟り神か? という気持ちすら湧いてくる。
「なんか、おタマ様って面倒見いいですよね」
「アンタに七代目をこさえさせないといけないからね。それより今の男なんかどうだい? ここの店主で独身だよ。恋人もいない。年は32で伊織よりちょっと上だけど、その年でこの店を切り盛りしてるって大したもんじゃないか」
「えっ、それどこ情報ですか!? というか、このお店にしたのってそういう理由だったんですか!?」
唐突に詳細な情報と共におススメされて驚いてしまった。
「伊織のところに来て2年、アンタの男を見る目のなさに嫌な予感がして色々調べてたんだよ。まあ、こんな形で役に立つとは思っていなかったけどね」
おタマ様はため息交じりに言う。
「はあ、七代祟るって大変なんですねえ」
「まったくだよ。あと、他人事みたいに言ってるけどね、自分のせいだってことを自覚しとくれ」
おタマ様に突っ込まれて、肩をすくめた。
「あはは、そう言われてしまっては申し様もなく……」
苦笑いで誤魔化すことにする。
その後、ケーキを食べて喫茶店を出てからも、商店街のお店の店員さんをおタマ様情報と共におススメされながら見て回る形となった。
「どうだい? 今のところ、これは! って男はいないのかい?」
色々見て回って、最終目的地の魚屋を目指して歩きながらおタマ様は聞いてきた。
「ええ? そう言われても、一回見たくらいじゃ分からないですよ。しいて言うなら最初の喫茶店の店員さんとか、気さくな感じで良い人かなと思いましたけど。でも、あのカフェに着物のおばあちゃんが珍しくて声を掛けた感じだと思いますし」
私が答えれば、おタマ様はがっかりした顔をする。
「まったく、貴也の時はほとんど一目惚れだったのに、どの口が言うかね。貴也みたいな系統の顔で選りすぐってやったってのに」
「ああ、なるほど。おタマ様は貴也くんの顔を基準に見た目を選んだんですか」
おススメされてもいまいちピンと来ないと思っていた理由がよく分かった。
「なんだい、貴也の見た目は好みじゃなかったのかい? アイツ顔だけは良かったろう」
貴也くんへの辛辣な言葉と共に、尋ねられてどう答えたものかと思う。
「顔というか、体格ですね。ぶつかった時の胸筋の逞しさにクラっとして」
「そういうことはもっと早くお言いよ! ええい、そうと知ってたらもっと別の奴を勧めたのに」
ぶつくさ言いながら、おタマ様は腕組みして考えだした。
「ええ? だっておタマ様、そんなこと聞かなかったじゃないですか」
理不尽に当たられてもどうしようもない。
「違うと思った時点で好みの系統を言うもんだよ。というかそもそも、一目惚れの理由が胸筋ってのも年頃の娘としてどうなんだい」
おタマ様は眉をひそめて言う。
「だって、うちのお父さんが見た目も中身も頼りないから、こう、がっしりして頼りがいがありそうな人に憧れがありまして」
なぜ自分の好みのタイプを祟り神に報告せねばならないのだろうと思いつつ、説明した。
「ああ、まあ……
私の答えに、おタマ様は遠い目をして納得する。
お父さんのことを、それこそ生まれる前から知っているおタマ様だから、もしかしたら思い当たる節が私より多い可能性すらある。
「とはいえ、筋肉と頼りがいは同義じゃないからね」
「ごもっともです」
じろりと私を見て釘を刺すおタマ様に、私は頷くことしかできなかった。
そんな話をしつつ目的地の
「いらっしゃい、何かお探しですか」
私と同じ年頃の男の店員さんが、にかっと笑って声を掛けてくれる。
筋肉質な体型に、清潔感のある短い髪、貴也くんとは系統が違う太い眉にどんぐり眼の朴訥とした顔立ち。
「伊織、ドンピシャじゃないかい?」
その店員さんを見て、おタマ様は私の耳元で小声で言った。
「ええ、私も今思わず『あなたです』と言いそうになりました。独身ですか?」
私も小声で答えてから尋ねる。
「独身だよ。名前は
本当にどうやって調べたのか分からない詳細な情報が返ってきて、二人で顔を見合わせ、『この人だ』と頷く。
「お客さん?」
小声で相談しだした私達を見て店員さん――北海さんは不思議そうに言った。
「いや、元々、鯛を買いに来たんだけど、他にも美味そうな魚が沢山で夕飯をどうしようかと相談をね」
おタマ様は、しれっと適当なことを言って誤魔化した。
「ああ、そうだったんですか。鯛は丸々一尾で出してますが、三枚におろしたり、刺身用に柵にもできますんで言ってください」
北海さんはその説明で納得したようで、親切に説明してくれた。
「じゃあ、そこのいっとう鮮度の良さそうなやつを一尾貰おうかね。三枚におろして、半身は刺身用に柵にしとくれ。アラも汁物にするからつけてくれるかい」
ん? アラ汁って作るの私? と思いながらおタマ様の慣れた様子の注文を横で聞いていた。
「承知しました。お客さんお目が高いですねえ。これ、一番いいやつですよ。あと、鯛を一尾って何かお祝い事ですか」
北海さんはその場で鯛をまな板の上に載せ、手際よく捌きながら聞いてくる。
「いや、久しぶりに孫の家に遊びに来たら、『お祖母ちゃんがせっかく来てくれたから、夕飯にはお祖母ちゃんの好物の鯛を出すね』ってこの子が嬉しいことを言ってくれるもんだから。お言葉に甘えようかとね」
おタマ様は照れたように笑って言った。迫真の演技である。
確かにそんな感じの設定だったけど、よくもまあそんな口から出まかせがスルスル出てくるものだと感心した。
「わあ、いいお孫さんじゃないですか」
北海さんが私の方を微笑ましそうに見て言った。
「自慢の孫さね」
「もう、お祖母ちゃん、そういうの恥ずかしいよ」
ふふん、と胸を張るおタマ様に、とりあえず孫っぽいリアクションを取ることにする。
「あはは、仲がいいんですね。あとは何かご入用のものはありますか」
鯛以外にも美味しそうなものがあるから夕飯の相談を、と言ったのを覚えていてだと思うけど、北海さんは言った。
「ええと、おススメは何かありますか」
おそらく料理するのは私になるので、とりあえず尋ねてみる。
「そうですね、今日は、ちょっと小ぶりですがアジのいいのが入ってますよ。刺身……は鯛がありますもんね。小ぶりで火が通りやすいんで、塩焼きとか、アジフライなんかもいいですよ」
「アジフライ! いいですね。じゃあそれも二尾ください」
久しくアジフライなんて食べてないなと思って、店員さんに言った。
「はい。承知しました」
北海さんは柵の形になった鯛をトレーに入れてラップを掛けながら元気よく言った。
「しかし、若いのに捌くのも上手いし、見る目も確かなもんだね。この店の息子さんかい」
おタマ様は知っているくせに、手際を褒めつつそれとなく話を聞いた。
「はい、そうです。ありがとうございます。でも父は他界しまして、今は俺が母となんとか切り盛りしてます。ようやく様になってきたところで、まだまだですよ」
北海さんは照れ笑いしながら謙遜する。
「そうかい、若いのに感心だねえ。こんなに感心な人だったら奥さんは幸せだろうねえ」
おタマ様は独身なのも知ってるのに、更にのうのうと言った。
「ああいや、実はまだ独身で。この仕事だとなかなか出会いもなく、デートもできなくてですね」
まあまあ無神経なおタマ様の発言だったけど、それを気にした様子もなく、北海さんは笑い飛ばして言った。
「あら本当かい? そしたらどうだい、うちの孫? いい子なんだけど、今、傷心中でねえ」
確かに違和感のない流れだけど、とんでもない爆弾をぶちこんでくる。
「ちょっとお祖母ちゃん! 急にそんなこと言っても困らせちゃうでしょ! もう、ほんと、すみません!」
顔を真っ赤にしてツッコミを入れてから頭を下げた。
「あははは、気にしないでください。本当に仲良しなんですねえ。初めてのお客さんですし、お祖母さん孝行の素敵なお話も聞かせてもらいましたし、アジ、一匹おまけしときますから」
北海さんは楽しそうに笑って、袋にアジを3匹詰めてくれた。
「ええっ、すみません、ありがとうございます!」
「いえいえ! 是非また来てください。はい、お会計こちらですね」
電卓を見せる北海さんにお会計を支払う。
「あのっ」
鯛とアジの入った袋を渡しながら、北海さんはおずおずと切り出した。
「俺も去年、彼女に振られて辛かった時期あるんで、お気持ち分かります。そういう時こそ、美味しいものでも食べて、元気出してくださいね」
北海さんは温かい笑顔で励ましてくれる。
「あ、ありがとうございます! これ、美味しく食べますね」
はにかんで言えば、北海さんも快活に笑ってくれた。
「それじゃあ、帰ろうかね」
ポーっとなっている私に、おタマ様は咳ばらいを一つしてから言った。
「はい、ありがとうございました! またどうぞ!」
北海さんのハキハキした声を背に、家路につく。
「伊織、家に帰ったら作戦会議だよ」
「よろしくお願いします、おタマ様」
したり顔の笑みを浮かべて言うおタマ様に、私も浮かれた気持ちで頷いた。
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