猫の祟りと六代目

佐倉島こみかん

第1話

 27歳の誕生日、結婚資金に貯めていた200万円の入った通帳と共に、婚約者の貴也くんは姿を消した。

 連絡も取れず、部屋に彼の荷物の一つもない。

「祟りだ……!」

 私は膝から崩れ落ち、頭を抱えて呟く。

 男に騙されるのは、もうこれで何度目だろう。

 今回は、部屋の家財道具がそのままだったのだけが幸いである。

 前の彼の時は、全部売っぱらわれたのか持ち出されたのか、家具・家電一式が部屋から消えていたのだから、それに比べればまだマシか? いや、被害総額的には今回の方が大きいか? などと思考が現実逃避を始める。

 いつもこうだ。この人こそは、と思ったのに、裏切られ騙されて捨てられる。

 それもこれも、我が家に伝わる『おタマ様』の祟りのせいに違いない。


 ことの始まりは私の曾々々祖父まで遡る。

 江戸末期、ご先祖様は大きな商家を営んでいたそうだが、その当主であるご先祖様がとんでもない人でなしで、店の者や奥方に横暴の限りを尽くしていた。

 そしてその当主がある日、奥方の可愛がっていたタマという猫を嬲り殺しにした。

 その後、当主はもちろん奥方や店の者にまで様々な厄災が降りかかって、ご先祖様の商家は潰れ、その後も何かと悪いことが続いて当主夫婦は早くに亡くなってしまったそうだ。

 そして、あまりにも続く不幸にその息子が高名な祈祷師に視てもらったところ、惨殺された猫のタマが祟っている、と言われたのだった。

 対処法として『おタマ様』と祀って慰霊し『お父上から数えて七代目までよくよく祀るように』と言われ、それから代々うちでは祟り神に近い扱いでおタマ様を祀っている。

 『猫は七代祟る』というが、猫を殺した当主ほどの厄災ではないにしろ、確かに我が家系にはそれ以降も不幸がついて回っている。

 父が勤めていた会社は婚約直後に倒産したらしいし、祖父母宅は新婚早々、放火で全焼するし、曾祖父は戦争で片足を失くしたらしいし、曾々祖父は原因不明の病で盲目になったそうだ。

 実家にいた頃は、何かあれば荒ぶるおタマ様の御霊を鎮めるため、おタマ様の神棚にお供えをして手を合わせたし、祖父母の家が火事になったり、父の会社が倒産したりし時は神主さんを呼んで祈祷もしてもらったそうだ。

「これは私も一度、実家に戻って祈祷してもらわないといけないのでは……?」

 幸い、そこそこいい給料の職に就いており、大した趣味もなく家と職場の往復ばかりの地味な暮らしをしているので、持ち逃げされたの200万以外にも多少の蓄えはある。

 新幹線で小一時間ほどの実家に帰るくらいはどうともない。

 警察への被害届の面倒さから目を背けて、そんなことを呟いたその時。

『ああもう、またかい! アンタ達ゃ何でもかんでもアタシの祟りのせいにするけどね、アンタが毎回騙されてんのはアンタの男を見る目がないせいだよ!』

 しゃがれた低い女性の声が聞こえて、驚いて振り向けば、そこにはでっぷりとした体形でふてぶてしい顔をした大きな黒猫が座っていた。

 ふさふさした長い毛並みで、目は金色、銀色の鈴がついた赤い首輪をしている。

「ね、猫!? え、一体どこから、というか喋った!?」

 窓も開けていないから野良猫が入って来たわけでもないし、このアパートはペット禁止だし、そもそも猫の祟りの話を聞かされて育ったためなんとなく猫が苦手で、生まれてこの方、猫など飼った覚えはない。

 しかも、どう考えても声の聞えた方向は、突如現れたこの猫からである。

『おやアンタ、アタシが見えるようになったのかい?』

 黒猫は金色の目をぱちくりして私を見た。

「見えてますし、喋ってるのも聞こえてます……」

 上から目線で言われて、思わず敬語で答えてしまう。

『へえ、こりゃ面白い。六代祟ってきたけどこんなのは初めてだ。まあ、今日で27になったからかねえ……』

 黒猫は何やら前足を組んでぶつぶつ言いながら考え込んでいる。

「あの、もしや、あなたは、おタマ様ですか……?」

 私は、その絶妙に可愛いような可愛くないような見た目の黒猫へ恐る恐る尋ねた。

 六代祟ってきたと言っているのだから、目の前に居るのはどう考えても我が家を祟っている猫の祟り神だ。

『そうさ、アタシがアンタ達を代々祟っているおタマだよ。まあそんなこたァ今はどうでもいいんだ。伊織、ボサッとしてないでとっとと警察に通報しな!』 

 私の発言をあっさり認めたおタマ様は、私の名を呼んでぴしゃりと叱責した。

 江戸時代生まれの猫なのに、やたらと現実的な指示である。

「あ、はい、すみません。あまりにもショックだったので」

『気持ちは分からんでもないけどね、こういうのは初動が大事だよ。そいで早いとこ金をとり返して、さっさと次の男を見つけるよ!』

 おタマ様はチャキチャキと言うと、私のスマホを前足で指した。

「あ、どうもすみません。しかも、励ましてくださってありがとうございます」

 なんか、思っていた感じと大分違って怖くなく、面倒見のいい人、じゃなくて、猫だったのでお礼を言った。

 するとおタマ様は海より深い溜息をついて、私をじっとりと睨み上げてきた。

『励ましてるわけじゃないのさ。アンタが七代目を産まずに末代になっちまったら、アタシが困るんだよ!』

「はあ、そうなんですか」

 よく分からず聞き返せば、おタマ様は尻尾をふさりと振って座りなおした。

『いいかい? “猫は七代祟る”というけどね、こりゃ一種の浄化作業なのさ』

 腰を据えたおタマ様は、子供に言い聞かせるように話し出した。

『アタシら猫だって、別に好きで祟ってるわけじゃないんだ。祟ることで、その魂に溜まった恨みつらみが少しずつ排出されていって、祟り神から善良な魂に戻っていけるのさ。その恨みが全部抜けるのに七代かかるんだよ。それなのにアンタはまだ六代目!』

 そう言っておタマ様は、床に座り込んだ私の膝を前足でぺちりと叩いた。

『伊織の家系は、まあアタシの祟りのせいなんだが――基本的にずっと一人っ子だろ? だから伊織がこのまま見る目がないせいで子供を産めず、末代になっちまったら、アタシゃずっと中途半端なままなんだ! そりゃ困るんだよ』

 そう言うともう一度、膝に猫パンチしてくる。

「ああ、なるほど。そういう理由で……なんか、すみません」

 おタマ様の祟りだと思っていたのに、どうやら私の男運のなさは自分のせいらしい。

 それはそれでショックだし、おタマ様にも申し訳ない。

『しょうがないねえ。こうしてアタシが見えるようになったのも何かの縁だ。伊織が所帯を持てるように、全力で加勢してやろうじゃないか』

 フン、と猫背を反らして腕組みしたおタマ様は恩着せがましく言った。

「え、いいんですか? 祟らないといけないのに?」

 驚いて尋ねれば、おタマ様は大きく頷いた。

『そんなもん、七代目が産まれてからいくらでも祟れるし、これまでもちょいちょい祟ってるからね! 伊織に七代目をこさえさせるのが優先だよ!』

 ピンク色の肉球をつき付けて、おタマ様は宣った。

「あ、一応これまでも祟ってはいたんですね……」

『そんなこたァいいから、まずはとっとと警察に通報しな!』

「あ、はい!」

 私が苦笑すれば、おタマ様は改めて現実的な指示を出すのだった。



 警察への通報の間に、おタマ様は『それじゃアタシゃ、ちょっと貴也を祟ってこようかね』とコンビニへ買い物に行くくらいの気軽さで言って、フラッと消えてしまっていた。

 一応、詐欺と窃盗扱いになるらしく、警察の人が家に来て指紋を取ったり事情聴取されたりした。

「ああ、コイツですか」

 そこで貴也くんの写真を見せて事情を説明したところ、話を聞きに来てくれた温和な雰囲気の中年のお巡りさんは渋い顔をした。

 一緒に来ていた部下らしい婦警さんも頭が痛そうにしている。

「え、ご存じなんですか」

「結婚詐欺の常習犯です。まだ捕まったことがないんですが、県内で被害届がここ五年で二十件以上も出されているんですよ」

 中年のお巡りさんである山田さんは『お気の毒に』という表情で言った。

「結婚詐欺!?」

「名前、年齢、経歴、職業、家族構成、全てが毎回違う嘘ばかりです。あなたに教えた九条貴也という名前も、証券会社勤めという肩書きも、恐らく嘘でしょう。我々も顔しか分かっていなくて、捜査が難航していまして」

 山田さんに続けて婦警の川村さんが言った。

「ええっ、そうだったんですか」

 私が知っていると思った彼のことも、一緒に築いてきたと思っていた思い出も、全てお金のための幻だったということか、と泣きたくなる。

「はい。被害届もこれで大丈夫です。こんな最低男、早いところ捕まえられるよう頑張りますから!」

 先程書いた被害届を確認した川村さんが私を励ますように力強く言う。

「ありがとうございます、よろしくお願いします」

 ショックなところに思わぬ優しさに触れて、尚のこと泣きそうになりながら頭を下げた。

 その時、ズボンのポケットに入れていたスマホが『ニャーンニャーン』と設定した記憶のない音で鳴った。

「あ、すみません、ちょっといいですか」

「はい、どうぞ」

 このタイミングで覚えのない猫の鳴き声というと、きっとおタマ様だ。

 慌ててスマホを見れば、貴也くんの携帯の番号での通話の着信だったので、急いで出た。

「もしもし?」

『ああ、伊織かい? アタシゃおタマだよ』

 現代を生きる祟り神だからか電話の作法に詳しいらしいおタマ様は、きちんと電話口で名乗った。

『貴也の奴、車に乗ってたから、自損事故させて両足骨折で病院送りにしといたからね』

 とんでもない情報過ぎて、祟り神ってスマホを使えるのか……という感慨も消し飛んでしまった。

「ええっ!? 事故で病院!?」

 思わず叫んでしまったところ、警察の二人がハッとして私の方を見る。

『アタシも搬送先に着いてきたから、豊山中央病院にいるよ。警察にはスマホで一番上にあった着信履歴に病院関係者が掛けてきたって伝えな! それじゃあアタシゃ、警察が来るまで念のためコイツを金縛りにしとくから切るよ』

 私が状況を飲み込めないでいるうちに、言いたいことだけ言って、おタマ様は電話を切ってしまった。

 とりあえず、私もスマホをしまって、何とも言えない気持ちで警察の二人を見遣る。

「どなたか、お知り合いが事故に遭われたんですか」

 踏んだり蹴ったりだなこの人、という眼差しで山田さんは心配そうに尋ねてきた。

 どうやら、おタマ様の声は二人には聞こえていなかったようだ。

「ええと、200万の通帳を持って消えた貴也くんが、事故で両足を骨折して、豊山中央病院に運ばれたそうです」

 私が言えば、二人は目を丸くした

「本当ですか!? 今、病院にいると?」

「はい。病院から、スマホの着信履歴の一番上にあったからと、電話がありまして……」

 おずおずと言えば、山田さんと川村さんは顔を見合わせた。

「川村くん、病院へ連絡!」

「はい!」

 さっきまで穏やかだった山田さんの緊張感のある指示に、川村さんはすぐにスマホを出して病院に電話を掛ける。

「私達はこれからすぐ豊山病院へ向かいます。宮尾さんも、相手にビンタの一つでもしたいところかと思いますが、逆上した相手に何かされるといけないので、安全確保のためご自宅で待機していただけますか」

 それからまた諭すような口調で山田さんは私に言った。

「わ、分かりました」

 私が答えれば、山田さんはにっこり笑って頷いてくれた。

「なんというか、天罰が下ったようですね」

「はあ、そうですね……」

 天罰というか祟りなんです、と言っても信じてもらえないだろうから、苦笑いして同意する。

「山田さん、確認と訪問の許可とれました!」

「分かった。それじゃあ川村くん、すぐ病院に向かおう」

「はい!」

 病院への連絡を済ませた川村さんに向かって、山田さんは言った。

「宮尾さん、ちゃんと捕まえてきますからね!」

 拳を握って力強く言う川村さんの目が燃えている。

「ありがとうございます、よろしくお願いします」

 私は頼もしい二人に頭を下げるのだった。


 結果的に、貴也くん――本名・沼田源次郎は病院で逮捕され、200万はそっくりそのまま返ってきた。

 職業は証券マンではなく無職。年齢は29歳と聞いていたのに35歳。『君だけだよ』と言ってくれていたのに、私以外にも同時並行で三人キープしていた女性がいたらしい。

 私が聞いていた話とは本当に何もかも違っていた。

 病院での事情聴取を聞いてきたおタマ様いわく『結婚詐欺で騙し取った金とヒモ生活で生きてきたクソ野郎』だったらしい。

 また、今回の私の通帳は大金だったので、せこせこ使わずに次の詐欺のための車の購入の頭金にしようとまだ下ろしていなかったのが幸いしたそうだ。

 私以外からも被害届が出ていた関係で『被害届多数の結婚詐欺師に天罰? 事故からの逮捕!』と、翌日ちょっとしたローカルニュースになっていた。

『ふん、天罰だなんて心外だね。アタシが祟ってやったってのに』

 今日は土曜日。仕事も休みで朝食後にのんびりローカルニュースをテレビで見ていたら、おタマ様はフンと鼻を鳴らして言った。

「いや本当に、なんとお礼を申し上げてよいやら……とりあえず、後でいいお刺身でも買ってきますね」

 私の隣に寝そべっているおタマ様の喉の下を撫でつつ言った。

 祟り神にこんなことしていいのかと私も思うが、おタマ様たっての希望でさっきから撫でさせられているのだ。

『うむ、いい心がけだね。アタシゃ鯛が好きだよ。スーパーのも悪くないが、魚屋のいっとう新鮮なヤツにしな』

 ぐるぐる喉を鳴らしながらおタマ様は言った。

「スーパー以外のお魚屋さんって行ったことないですねえ。あ、でも確か商店街に一軒あったような」

 駅前の商店街にあったような気がしてスマホで調べる。

「ああ、ありました、北海きたみ鮮魚店。おタマ様も一緒に行きます?」

『そうさね。この目で一番いいヤツを選びたいから、ついていってやろう』

 スマホを見せて尋ねれば、おタマ様はやっぱり偉そうに頷いた。

 基本的におタマ様は強い霊感のある人でないと見えないらしいので、着いてきても問題ないだろう。

「じゃあちょっと出かける準備をしてきますね」

 立ち上がってクローゼットに向かえば、おタマ様が後ろから声を掛けてくる。

『ああ、せっかくの休みだ。ちょっとは、めかし込んできな。こないだ買ったワンピースも、まだ寒いからって袖を通してなかっただろう。今日はいい陽気だし、ちょうどいいんじゃないかい』

 自分でも忘れていた春物のワンピースの存在を指摘されて、そういえばと思い出す。

「あ、いいですね、それ! というかおタマ様、よくご存じですね」

 ワンピースのことを知っていたり、そういえば説明もしていないのに貴也くんの名前を知っていたり、私のことにやけに詳しい。

『そりゃあ今はアンタが祟りの当代だからね。基本は25過ぎたら当代扱いで、二年前からずっとアンタの傍にいるんだよ。そりゃあ知ってるさ』

「えっ、そうなんですか!? 知らなかったです」

 祟りがそんなシステムだったとは知らなかった。

『まあ、これまで見えたり話せたりする奴はいなかったから知る由もないね。ほんとに何の因果なんだか……』

 最後の方は独り言のように呟いて、ふう、と溜息をつくと、おタマ様は私に背を向けて丸まってしまった。

「じゃあ、準備が出来たら声掛けますね」

『はいはい、アタシゃ好きにしてるから、ゆっくり支度しな』

 こちらを向かずに尻尾を揺らしておタマ様は答える。

 おタマ様に纏わるアレコレの驚きの方が大きくて、結婚詐欺に遭ったショックも薄らいでいるとはいえ、それなりに落ち込んだ気持ちもある。

 商店街を散歩なんて久しぶりだから、気分転換にもちょうどいいかもしれない。

 おタマ様はそれも見越して提案してくれたのかな、と思うと少しだけ嬉しい気持ちになって、気分良く身支度をするのだった。

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